#0180【会議は踊る(タレイランとナポレオン、フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週はフランス革命シリーズをお送りしていますが、最後はタレイランを紹介します。

タレイランはフランスの外交官・外務大臣として活躍した人物です。

色男で数多くの女性と浮名を流し、フランス七月革命(1830年)を描いた『民衆を導く自由の女神』の絵で有名なウジェーヌ・ドラクロワ(1798年誕生)の母とも関係があったと言われています。

ドラクロワの父は、1797年に外務大臣のポストもタレイランに奪われていました。

タレイランはバラスの手によって引き上げられましたが、1799年のクーデターではシェーエス、ナポレオンと手を組み、その地位を守り切りました。

さらにナポレオンが1804年に皇帝の地位と就いても引き続き登用されていきます。

しかし、独自の外交網を持つタレイランはナポレオン個人よりもフランスのためにどうあるべきか、あるいは自分の地位保全のためにどう行動するべきかを考えている人物です。

1813年にナポレオンのロシア遠征が失敗し、1814年にライプチヒの戦いでロシア・プロイセン・オーストリア等の連合軍にナポレオンが敗北すると、彼を見限ります。

かつてフランス革命においてフランスから追放したブルボン王家のルイ18世をパリに迎え入れることを決めました。

ルイ18世は、かつて革命政府がギロチンに処したルイ16世の実弟です。

ナポレオンは徹底抗戦の構えをみせますが、近臣たちも離れていくのをみて皇帝の地位を放棄することを決めて、地中海のエルバ島へと流刑となります。

ナポレオン退位後の新しいヨーロッパの国境線をどうするのかを決める会議がウィーンで開かれ、タレイランも参加します。しかし、会議では各国の利害調整が全く進まず、毎夜舞踏会にあげくれる体たらくです。
「会議は踊る。されど進まず。」

こういった状況下で、パリではルイ18世に対する不満が充満します。1815年8月15日に当局の禁止も関わらず、「皇帝陛下万歳」とナポレオンの誕生日を祝う集会が開かれていました。

ナポレオンは、エルバ島を脱出。一路パリへと向かいます。ナポレオンのパリ入城を妨げようして派遣された将軍たちは元ナポレオンの部下です。彼らは続々とナポレオンの指揮下に入ります。

ルイ18世はパリを脱出。ナポレオンの再即位の報をウィーン会議で受け取った各国指導者は領土問題を棚上げして、対ナポレオンで結束します。

かつて常勝を誇ったナポレオンも必勝を期したワーテルローの戦いで敗れてしまい、僅か3か月で再退位を余儀なくされ、イギリスへと亡命します。フランスはルイ18世が王として君臨することなりました。

このナポレオンの再退位について、シェーエスは議会で「ナポレオンにもう一度チャンスを」と擁護する発言をしていますが、覆ることはありませんでした。

シェーエスはその後、1836年88歳でこの世を去ります。

イギリスはナポレオンのイギリス本土上陸を認めず、アフリカ大陸西岸の赤道付近のセント・ヘレナ島へと流刑にすることを決め、その地で死去することになります。

ナポレオンを統領の地位につかせ、そして引導を渡したタレイランはその後、ルイ18世の下でも勢威を保持し、1838年に84年の生涯を閉じました。

今回のフランス革命シリーズでは、ナポレオンを脇に置きながら話を進めました。

次回のフランス革命シリーズでは、英雄ナポレオン本人を主軸にして話を進めます。

以上、本日の歴史小話でした!

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