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#0167【ガラスの天井を破壊する(マリア・テレジア①)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は西欧の女帝特集です。

今回と次回を使って、オーストリアのマリア・テレジアを取り上げます。

彼女は、前回のエカテリーナ二世とほぼ同時代を生きますが、女帝としての即位は
1740年と彼女よりも20年程早く政治の表舞台に立ちます。

マリア・テレジアは生粋のオーストリア皇族ハプスブルク家に1717年に誕生します。
父は、神聖ローマ帝国(現ドイツ・オーストリア・ハンガリーの欧州中心部を領域としていた国家)の皇帝カール6世です。

カール6世には男児が生まれなかったため、マリア・テレジアが23歳の時に女帝として即位します。

ハプスブルク家男系(父親がハプスブルク家出身)最後の君主です。彼女以降も彼女の息子に皇帝位が移行していきますが、父(マリア・テレジアの夫)はハプスブルク家ではないため、女系(母親)での皇位継承となりました。

さて、マリア・テレジアが皇位継承をするにあたっては、男系とはいえ女性であることへの反発も起こり、オーストリア継承戦争が勃発します。1740年から1748年までフランス・スペインによる介入のみならず、神聖ローマ帝国領内でもあるプロイセン(現ドイツ西方)やバイエルン(現ドイツ南方)なども叛旗を翻す大戦争となります。

勃発当時、23歳のマリア・テレジアは夫との間に第4子を妊娠中でもあり、また彼女の政治的能力は皆無だとする各国駐ウィーン大使からの報告を受けて自国の領土拡張を狙っていたのです。

唯一、イギリスの外交官のみが「毅然とした態度や落ち着きに非凡な才あり」と報告していました。

1740年12月にプロイセンとオーストリアの国境にあたるシュレジエン地方にプロイセン王フリードリヒ二世の軍隊が進出します。1741年3月にマリア・テレジアが待望されていた長男ヨーゼフを産むと国内の士気は大いに高まりますが、歴史的にも軍事的才能に溢れる逸材であるフリードリヒ二世の前に大敗を喫してしまいます。

しかし、それ以降もマリア・テレジアは敵国や周辺国に屈することなく、国家の緊急事態に相対します。

その不屈の姿勢は、フリードリヒ二世をして「今のハプスブルク家は、稀にみる男性が統治している。ところが、この男性というのが女性なのだ」と評したといいます。まだ中世の雰囲気が色濃くあった時代、女性の能力が低く見られている中で、マリア・テレジアはガラスの天井を破っていったのです。

結果、8年にも及んだオーストリア継承戦争は、オーストリアにとって序盤に失ったシュレジエン地方のみの失陥にとどまり、マリア・テレジアが女帝として即位することを周辺国に認めさせることに成功しました。

以上、本日の歴史小話でした!

(続き:No.168【華麗な作戦。三枚のペチコート(マリア・テレジア②)】)

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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