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#0147【復讐の果てに(伍子胥、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今回の史記の人物シリーズ最後は、伍子胥(ごししょ)を取り上げて締めくくりたいと思います。

時代は前後しますが、彼は中国南部の楚に生まれます。一族は代々楚の重臣でしたが、伍子胥たちは敵対派に貶められてしまいます。

伍子胥の父が囚われの身となり、楚の君主から「父の命が惜しくば首都に出頭せよ。」と命令が届きます。

伍子胥には、兄がいました。伍子胥は、「これは罠です。行ったところで父も救われない。犬死です。国外に亡命して復讐を目指しましょう」と主張します。

それに対して兄は、「お前のいうことはもっともである。しかし、復習が果たせなかった場合、親不孝となってしまう。私は父の冥土の旅に付き従おう。復讐についてはおまえに任せた」と返しました。

兄が首都に着くと、父も兄も処刑されてしまいました。

伍子胥は命からがら国外へ脱出し、隣国の呉(ご)の国に脱出します。やがてこの国で力を付けて国力も増大化させていきます。孫子の兵法で有名な孫武という人物も招き入れることに成功します。

準備が整った呉は、楚に攻め込みます。楚は首都が陥落し滅亡の淵に立たされます。

伍子胥の父と兄を処刑した楚の君主は既に死んでいました。ここで伍子胥はその君主の墓を暴き、遺体に対して鞭を打たせます。

「死者に鞭打つ(死屍に鞭打つ)」

この言葉の元となります。復讐の鬼と化した伍子胥に対して、過去の友人から苦言が呈されるなどあり、伍子胥は冷静さを取り戻します。

楚の首都は陥落させたものの、広大な楚の領域を征服するには至らず、呉の隣国である越(えつ)が呉に攻めてきたとの情報が入りました。

伍子胥は、楚の征服を諦めて呉へと帰還し、越を撃退しました。その戦いの過程で伍子胥を重く用いてくれた呉の君主は亡くなり、新君主の座に夫差(ふさ)が就きます。

最初はうまくいっていた夫差と伍子胥の関係でしたが、やがて夫差の同年代の部下たちが台頭してくると、口うるさく激情家である伍子胥が疎ましく思えるようになりました。

強大化した呉の国力をもって天下に覇を唱えたい。夫差はそう思って度々外征を行います。その都度、国力は低下していってしまいます。伍子胥は呉の国と自身の行く末が見えたため、自分たちの息子を国外へと脱出させました。

こういった行動が積み重なり、二人の関係は破局を迎え、夫差は伍子胥に自殺を命じました。

伍子胥は「私の目を東門にくくりつけておけ、越が呉を滅ぼすさまを見てやろう」と言い残して自害して果てます。この言葉を聞いた新君主は、激怒して伍子胥の遺体を川に捨てさせました。

やがて、外征に疲れ果てた呉は、かつて撃退した越の逆襲にあい、滅亡するはめとなりました。

伍子胥の死から約10年が経過していました。

新君主は自害して果てる際に「あの世で伍子胥に合わす顔がない。私が死んだら、顔を布で覆ってくれ。」

復讐と怒りは大きな原動力となりますが、それは自分の身を滅ぼしてしまうことにもつながってしまう。そんなことを思わずにはいられません。

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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