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#0223【士は己を知る者のために死す(予譲、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

中国最初の正史と言われている史記には、刺客列伝という五人の「刺客」を集めた箇所があります。今日は、予譲(よじょう、生年不詳ー没年BC453年)という人物を取り上げます。

予譲は、智伯(ちはく)という人物に仕えていました。その前に二人に仕えましたが、うだつが上がらない状態でした。一方、智伯は予譲を尊敬して遇していました。

智伯は優秀な人物で、自分の勢力を拡げようと戦乱の中国(始皇帝の統一より約250年前)において知略をめぐらしていました。しかし、敵対する三者に手を組まれ、智伯は滅ぼされてしまいます。子孫も殺されてしまい、その土地は敵対者が三分して領有しました。

敵対する三者の中で、中心となっていた人物を趙襄子(ちょうじょうし)と言いますが、彼は子孫を殺戮するにとどまらず、智伯の頭蓋骨に漆を塗って、尿瓶にして辱しめました。

予譲は、山中に逃れて「『士はおのれを知る者のために死し、女はおのれを喜ぶ者のために容(かたち)づくる(化粧をする)』と聞く。智伯は私を買ってくれていた。その恩義のためにも智伯のために仇を報いた上で死に、智伯に知らせたい。」と決意します。

予譲は、変名を用いて罪人の群に入って、趙襄子の宮中の厠(かわや)の壁の修理工となります。厠にやってきた趙襄子を刺し殺そうと機会を伺っていましたが、趙襄子が胸騒ぎがするので(おそらく密告があったのでしょう)、尋問したところ、予譲の胸元から短剣が見つかりました。

部下たちは予譲を殺そうとしますが、趙襄子は「彼は義人である。私が用心すればよいだけだ。智伯が滅んで子孫もいない中(仇を討っても報酬があるわけでもないのに)、旧臣として復讐しようとする姿勢は立派である」と言い、予譲を解放します。

予譲は、今度は身に漆を塗って、皮膚をただれたように見せかけ、炭を呑んで声を変えました。妻ですら予譲とは気付きませんでしたが、友人に見破られます。

その友人が「君は、才能があるんだから、趙襄子に宝物を捧げて家臣となればいいじゃないか。彼はきっと君を寵愛するだろう。その上で志(復讐)を果たしたらどうか」と問います。

予譲は「家臣となりながら、自分の君主を殺そうとすることは二心を抱くことであり、ひいては自分の旧主(智伯)の名を辱しめることになる。」と拒否します。

しかし、予譲の執念もむなしく、襲撃しようと潜んでいるところを捕らえられ、趙襄子の前へと引きずり出されました。

趙襄子は「予譲よ、君は智伯の前に二人に仕えていたが、その二人が智伯に滅ぼされたときには何もせず、智伯が私に滅ばされると復讐しようとしている。なぜなのか。」と問います。

予譲「前の二人は私は常人として遇しました。ですので、私も常人としてそれに対しました。しかし、智伯は国士として私を遇しました。だから私も国士としてこれに対するのです。」

趙襄子は感涙します。「君の気持ちは分かった。しかし部下の手前これ以上君を許すこともできない。そして、君のために殺されてやるわけにもいかない。」

予譲は「あなたが一度私を許したことで、寛大さを天下に示されました。ただ願わくば、あなたの衣服を下さりませんか。せめてそれを斬って復讐の念を晴らしたく。」

趙襄子は部下に命じて衣服を持参させて予譲に与えると、予譲は剣を抜いて三度躍り上がって衣服を斬り「これを地下の智伯に報告しよう」と言い残して、自殺して果てました。

彼の死を聞いた人たちは、みな涙したと伝わっています。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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