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仕事は続けています

そういえばちゃんと書いていなかったのですが、会社・仕事は結局よわよわしく続けております。
というのも法人を畳むためには手続きを調べるところからやらなくてはならず、詰まりまくっていた年度末の仕事をなんとか終えて一息ついていたら4月になっていて、とりあえずこのままでいいや・・・と現在まで何もせずにいたら5月の仕事も入り、ヌルッと3期目が始まりました。

(以下、とくに推敲せず思いついたことを思いついた順に書いています。)


このままでいいのか

コンテンツを納品するという仕事の特性上、年度初めは比較的落ち着いています。ただ、この空いたスペースに仕事を投げ込みすぎたことによりダメになってしまったわけなので、いくつか仕事は回しながらも映画を観たり本を読んだり酒を飲んだりしてゆるやかに過ごしています。

しかし、このままでいいのだろうか、もっと気持ちいい生き方があるんじゃないか・・・という問いは常につきまといます。こっちのほうがいいのかもしれないと選択肢Bを選んでも、結局そのうち同じ問いにぶつかります。おそらくもう、「今が最高に心地いいぜ」と確信を持ちながら生きていくのは難しいのかもしれません。それを分かっていながら頑張るというのは、なかなかしんどいものがあります。

これまで、こんな人を助けたい、こんな社会にしたい等のニーズを原動力にしてきたつもりでしたが、大学を卒業してから丸5年経った今、自分は本当はどうしたいのかという根本的なところを考えなおしてしまうことも増えました。これにも絶対的な正解などないのに。

自分が信用できない

「こんなことをやってみたい」という気持ちは、たくさんあります。本を出してみたい、店をやってみたい、事務所まわりを整備したい、イケてるプロダクトを作りたい、WEBメディアやイベントをやってみたい。でもそれは形式に憧れているだけの、単純な思いつきです。これまで何度もそういったことは思いついてきたのに、ほとんど実現できていない。これは自分の能力が低いのだと思っていましたが、それすらも甘えた考え方です。これは自分の仕事である、と責任を負う覚悟ができていれば、スキルの程度にかかわらず、また時間やお金がなくても何かをやり始めるはずだからです。

いやいや、確信を持てずとも、とりあえず目の前のことに対して手を動かしていれば、いずれ本当にやりたいことに出会うものだよ。というのは正しいなと思います。正しいけれど、自分の場合は少しでも「違う」と感じた時点で苦しくなり、それをやめてしまう傾向にあります。それで、最後までやりきれないということは自分にピッタリなものではなかったのだと評価し、新しいものを探しはじめる。大声で始めては途中で投げ出す。こんなことばかりだから、もう最初から何もやらんほうがいいと思って仕事をやめる宣言をしました。


読書不足が原因では

で、ここからは若干ポジティブな話になりますが、ひとつピンと来ていることがあります。それは、たぶん自分には「気持ちいいインプット」が足りていないのだということです。

人にインタビューをし、それをもとに記事を書く仕事をしているわけですが、自分の場合、「記事に『自分の中の課題感』を混ぜ込み、クリティカルなことを書かなければいけない」という思い込み・こだわり・呪いにかかっています。自分がスピーディーに仕事ができない原因の9割はこれです。商業ライターとしては失格だし、これでは稼げるはずがありません。でももう、どうにもならないのです。

「自分の中の課題感」は、インプットしないと生まれないものです。社会がどんなふうにできていて、誰が取り残されているのか、何が実現されていないのか。目の前のことに精一杯なときは、それを知ろうとする余白がありません。そしてまた自分の場合は、その余白がないから精一杯になってしまうのだとも思います。この無限ループから抜け出すためには、一旦アウトプットを控え、集中して読書する時間を作るしかない。そんな実感があります。

正しさの暴力と他者とを往復する

ただし読書は、やりすぎると暴力的になります。なぜなら本を読むのにはそこそこの時間がかかるから興味のない本は買わないし、自分の意見を補強するような読み方をしてしまいがちだからです。すると「自分に何ができるのか」をそっちのけにして、自分は正しいのだという気持ちだけが強くなる。若者に人気の某論客っぽい人を支持している子供が親や他人に対して「それってあなたの感想ですよね?」的な攻撃をして気持ちよくなっているのは、そういうことなんだと思います。

その暴力性を抑えるために現場(アウトプット)があります。現場に出たり成果物が評価される対象になったりすると、他者と出会います。他者は自分を相対的に見るために必要です。自分の正しさを揺さぶり、別の可能性を示してくれる存在。しかし、他者とぶつかりすぎると何が正しいかわからなくなり、手が止まってしまう。だから、このバランスが大切です。「俺は正しい」と「俺は間違っていたかもしれない」の往復。

思えば、本を読むだけ読んで現場に出ることはなかった学生時代の自分は「最強」だったし、逆に前年度の自分は現場に出てアウトプットするだけでほとんど本を読みませんでした。そりゃこうなるよな、と思いました。

ということで今年度はうっすら仕事をしながら、嫌なやつになるリスクを受け入れつつ、とにかく気持ちよく読書をすることを目標にしてみたいと思います。そしてご覧いただいた通り、この文章の中でも主張が行ったり来たりしていることからも、今の自分の精神状態がお察しいただけるのではないかと思います。ここまでお読みいただいた方は、どんなことでも良いので声をかけてくれると嬉しいです(ちゃんとお返事できる自信はあまりないのですが、かまっていただけたら嬉しいみたいな感じです。すみません)。

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