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見守りという名の監視

私は通勤途中に車の中でラジオを聴いている。ほとんどがFM、たまにAM。

朝はいつもほぼ同じ時間帯、決まった時間に決まった番組やCMが流れる。

CMやコーナーの順番も覚えてしまっている。8時の時報の後に流れるCMは流れる前に頭の中に音楽や言葉が勝手に流れてくる。

CMや広告の大切さというよりは、人を洗脳するには繰り返せばいいのだということを感じてしまう。

さて、今日は帰宅時にFM局の番組中で聞こえてきた言葉だ。

「見守りカメラ」

場所は兵庫県の加古川市。
(以下、加古川市のホームページより引用)
加古川市では小学校の通学路や学校周辺を中心に見守りカメラを設置し、通学時や外出時の子どもの安全を確保することで、市民の皆さんが安心して子育てができるまちを目指しています。

 平成29年度は通学路や学校周辺を中心に900台の見守りカメラを設置し、平成30年度は公園周辺や駐輪場周辺、主要道路の交差点などを中心に575台の見守りカメラを設置しました。

 また、見守りカメラに「ビーコンタグ(BLEタグ)検知器」を内蔵することで、子どもや認知症のため行方不明となる恐れのある方の位置情報履歴を保護者やご家族にお知らせする見守りサービスの普及にも取り組んでいます。

令和4年度には、犯罪・交通事故の未然防止の仕組みを強化するため、AIを搭載した「高度化見守りカメラ」150台を設置しました。
(引用終わり)

番組のパーソナリティの人が加古川市の人にインタビューする形で、見守りカメラのことを紹介していた。

パーソナリティはしきりに「すごい」「安心」を連呼していたが、私は「見守りカメラ」という言葉を耳にした段階で、既に番組の内容は頭に入ってこなかった。一瞬、背筋が凍る思いだった。

これを「安心」の一言でとらえていいのだろうか。

私の脳裏に浮かんだのは「監視」という言葉だ。

加古川市の面積がどの程度かは知らないが、市内に1,600台を超えるカメラが設置されているのだ。

人間は、自分に都合のいいことだけ、今の自分の立場でしか物事を考えない傾向にある。例えば、新幹線や高速道路が開通するというと、首都圏など周辺地域からの観光客の増加の面ばかりをとらえて経済効果を謳う。

しかし、実際には昼間人口の減少、人口流出による過疎化、新幹線駅以外の集落などの衰退など、影に隠れた問題が発生する。

カメラにしても同じだ。カメラは手段であって、目的ではない。「見守り」という名の目的、大義名分に対して隠れて犯されているもの。それは個人のプライバシーだ。

「私は外ではやましいことはしない。やましいことをしようとする人はカメラの設置に反対するのだ」という人はいるだろう。

私はそうは思わない。

これが「見守り」という名を借りた「監視社会」の象徴だということを、国民のほとんどの人はわかっていない。

あれをやってはダメ、これをやってもダメ、少し愚痴や悪口を言ったら録音・録画されて晒される。

キレイごとで塗り固められたi息苦しい社会、皆さんは居心地がいいですか?



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