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芸能人はそんなに偉いのか

私の住んでいる地域はテレビ局が少ないので、首都圏のテレビの再放送が土日の昼間によく流れる。

テレビ東京が多いのだが、開運!なんでも鑑定団、YOUは何しに日本へ?、ありえへん∞世界、所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!、出没!アド街ック天国、家、ついて行ってイイですか?などはすべて再放送だ。

そして、出川哲朗の充電させてもらえませんか?もその一つ。

数日前、この充電旅でまたトラブルという記事がLineで流れてきた。充電旅を見ていると、出川の出没情報が入るとどこからどう連絡されるのか、見物客が先回りして待っていて写メを撮るシーンが多くみられるように感じる。

最近のテレビの番組の低俗化は先に書いたとおりだが、製作費節約のためにAD自らアポなし突撃ロケが多い。充電旅だけでなく、某局のポツンと一軒家とかバナナマンのせっかくグルメなどもそうだ。それを芸能人がスタジオでコメントするというスタイルは、もう見飽きたしバカバカしい。視聴者もこれからの番組を知っていて、見てますと答えることが多い。

充電旅のトラブルの記事をよく読んでみると、出川が特に暴言を吐いたとかスタッフが横柄な態度だったとかではなく、夜遅いロケに野次馬が集まって邪魔だうるさいという興味のない人の苦情があるというものだった。このこと自体はまあそういうこともあるだろうと思うし、どうとも思わない。出川はたぶんいい人だとは思う。気持ち、やや横柄な対応だなと感じる場面もあるが、出川も人間だし、すべての人に対して神様のような態度もできないだろう。

本題は、出川そのものではなく芸能人をチヤホヤする視聴者側の問題だ。テレビ局側も芸能人も然りだが、テレビに出てる芸能人てそんなにすごい人なのか?ただテレビに出ているだけで、大したことしていない人も多いし、コメントも適当な人もいる。とにかく否定せず肯定し、笑って、大声をだして恥をかけば、ある程度売れる現在のテレビというか芸能界なので(だいぶ歪曲して単純化表現しているが)、低俗な芸能人が多くなっているのは確かだろう。

それを一般人は「テレビに出ている人だ」「youtubeで見たことある人だ」ということで大騒ぎし、写メを撮る。人間は知っている人に好意を持つ。知っている物を買い、知っている人に投票する。だから情報とか広告はとても大事であり、これだけの情報社会になったが故に、自分が知っているか知らないかで判断のほとんどが決まってしまう。

テレビに出ている人=知っている人=すごい人という構図に惑わされてはいないか。本当にその人の本質であったり、その人の人間性であったり良さであったりというのは、しばらく付き合ってみないとわからないものだ。人間誰しも表と裏があり、きれいに見える部分もあれば、嫌な部分も当然にしてある。その嫌な部分、人間的な部分を許容できてこそ、真の親友・友人と呼べる人になるのではなかろうか。

芸能界はきれいごとの世界なので、芸能人も表向きはきれいなことしか言わないし、ファンも視聴者も裏側まで知りたいとは思っていない。少しでも愚痴や悪口、否定的なことを言うとすぐに炎上するSNS情報社会だ。なんでもハラスメントとつける、とても生きづらい嫌な社会だ。

いつもの癖でまた話の本筋からズレてしまったが、芸能人に限らず、テレビに出ている人は諸手を挙げて賞賛するほどそんなに素晴らしい人たちだらけなのか、私は大いに疑義がある。これは私のことを棚に挙げて、ではあなたはどうなのかと聞かれることを想定はしていない、一般論として書いている。

いまこうしている間にも、Line Newsが流れてくるが、半分は芸能人ネタだ。誰それが結婚した、どういう発言をした、炎上したなどなど。そんなことどうでもよくて、私の生活には一切関係ない。今日行われた補選で自民党が全敗したというニュースのほうがよほど大事だ。

テレビに出ている人をチヤホヤするのはやめようと、国民に呼びかけたいくらいだ。テレビになんか出なくても、世の中のもっともっと素晴らしい人はたくさんいる。誰の目にも止まることなく、毎日親の介護のために汗水流して働いて日銭を稼いだり、毎日毎日外の掃除をボランティアでしたり、雪かきをしたり、誰かの悩みを聞いている人を私は知っているし、そういう人は素晴らしい人だと思う。

どれだけの大きさで社会に貢献したか否かだけが歴史に名を刻み、評価され、記録に残るのが本当の歴史ではない。歴史とは勝者の記録だと聞いたことがあるが、まさにその通りだ。それならば、文化や風俗は庶民の歴史であろう。庶民の声が届かないのは世の常かもしれないが、いまの日本はまさに庶民が虐げられている戦時中なのだ。


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