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学校の先生が言ってくれた言葉の力

2019年1月に始動したANOTHER TEACHERが今年から3期目になる。
法人格も持たず、メンバー全員が本業ではサラリーマンをやりながら副業で関わってくださっている中で、ここまで続けてこられていることに仲間や周りの方々への感謝が絶えない。

私自身も本業を持ちながら何故この教育分野に情熱を燃やすことが出来るのかと振り返ってみた。そうするとその最初のきっかけを作ってくれたのは、これまで社会に出るまでにお世話になった学校の先生方だということに気付いた。

オンラインの活用やYouTube等の台頭により、『学校教育の意味』『校舎のある学校に行く意味』みたいなものが以前よりも増して議論されるようになった。

SNS等を見たり、色んな教育イベントに出たり交流をする中で『学校教育って意味がない』なんてことを言う人にも出会うようになった。また、学校の先生の能力を低いものとして扱う人に出会うこともあった。

ANOTHER TEACHERを始動して教育分野に携わるようになって、社会人や学生、生徒に限らず学校教育を否定する人や学校の先生を否定する人達に対してだけは、どれだけ頑張っても共感することが出来なかったように思う。

『学校の先生ってめちゃくちゃ素敵だよ』と。

それは恐らくこれまで自分が学校の先生にとてつもなく恵まれていたからというのもあるし、もっと言うと一度は『いつか学校の先生になりたい』とさえ思っていたからだと思う。

実は今年からある学校の授業を長期間に亘って持たせて頂けるチャンスに出会うことが出来て、もうこれ以上ない幸せを感じている。

『あの憧れの先生に少しても近づけるかもしれない』と。

高校時代に僕の担任をしてくださっていた国語科の先生がいた。

この先生の初めての印象としては他の先生と違って、なんと言ったらいいのか少しやんちゃな感じがある先生で、江戸っ子的な話し方で授業を進める不思議な授業だった。

やんちゃな感じの口調からは想像が出来ないほどに博識で、子供の頃から百科事典を読み漁るのが大好きだったらしく、ある生徒が本当に物知りがどうか試す為に、某国の軍隊が使っている戦闘機の種類などについて『先生知っていますか?』みたいな感じで勝負を仕掛けてもスラスラと答えたという伝説もあった。

また、趣味のトランペットではセミプロ級で、記憶が正しければ高校時代の吹奏楽部の時から始めたトランペットを大学の部活ではもちろんのこと学校の先生になってからもずっと続けていて、当時関西で流行っていた高槻ジャズストリートにも出演していたように思う。

僕が通っていたのは少し風変わりな学校で育ったこともあり、周りには学校の勉強や部活一本のみで活躍している人よりも、音楽が出来るとか語学が堪能だとかファッションに詳しいとかそういう個性的なメンバーが集まる中で、当時の僕は逆にその中では浮くように受験勉強に没頭していた。

当時親から浪人だけは絶対にさせないと言われていたことと、どうしても行きたい大学に出会ったこと、たまたま入ってきた指定校推薦枠、AO入試、一般入試の全てを狙って勉強していたため、心身共に全く余裕がない状況で、特に学校の成績を下げることや内申点を下げることを絶対にあってはならない中で、1時間45分かけて兵庫の家から大阪まで通っていたので、時に数時間の睡眠で数日過ごすことも珍しくなかった。

また中学受験の時に4年間も塾に通ったにも関わらず第一志望の中学に落ちてしまったトラウマから、勉強に関してはさほど能力が高くないことと、今度ばかりは絶対に失敗したくないという思いがどんどん自分を追い込んでいた。結果として、高校3年生時には一夏で体重が7kgも落ちたこともあった。

そんなこんなで社会にいる人が皆敵に見えていた当時はこんな顔だった。笑

そんな僕に担任の先生が行ってくれた一言が

『小澤、お前はもっと俺みたいに適当にやれ。というか悪いことしろ』

当時ただひたすらに努力だけはしていて苦しんでいた僕にとってこの言葉はかなりの衝撃的な一言で、というか学校の生徒に『悪いことしろ』みたいなことを言う先生がいることにも耳を疑った。

今思い返すと、『もっと肩の力を抜け。自分の心身と相談して適切にやれ』とか、『完璧主義を少しやめろ。正義感を貫きすぎるな』という意味を含んでいたように思う。この先生の言葉の力はすごかった。

普段はすごくやんちゃそうな話し方をするこの先生は間違いなく僕のこと、そして恐らくは他の生徒のことをしっかりと見てくれていた。

そして『俺みたいな適当にやれ』と言っていたこの先生は確かに要領がすごく良い先生だったと思うけど、不安な僕が恐らく数十回は頼んだであろうAO入試の小論文に関して一度も文句を言うことなく夏休みの期間も対応してくださり、一度も適当にやっていたことはなかったように思う。これがすごいカッコよさだった。

正直この高校生の時は受験が終わるまでは、自分自身を追い込まないこと自体が恐怖だったので大学が決まるまでは1日足りとも氣を抜くことは出来なかったけど、この先生の一言は今後の自分の人生に多大な影響を及ぼすことになる。というかものすごく救われた。

大学受験を終えてからも色んな挑戦はこれまでにしているが、この先生の一言のお陰で、その後の人生においては常にフルマックス200%の努力をするのではなく、時には『適当に」「遊びを楽しみながら」人生を楽しむことが出来たように思う。

結果的に今ではこんな笑顔も出来るようになったし、当時よりも12歳年を重ねたけど、なんだか若い(笑)

そしてこの適当さや遊びを楽しむことは今活動を続ける上で人を巻き込めるようになったことに大きく繋がっているように思う。

『適当にやること』を知らない人は自分以外の人に100%を強要してしまう。心の余裕がなければ、人の力を借りることが出来ないし、人の弱さを理解することもできない。そのバランス感を観自在出来なければ人を巻き込むことなんて出来やしない。

この担任の先生の言葉に僕は間違いなく人生を変えてもらった。

そんなことを1クラス20人〜40人ほど、日本中の多くの学校の先生達がきっと毎年やっている。

民間で働く人間として、恐らくかなりの回数学校で授業をさせてもらったりワークショップをやらせて貰ったから分かる。

子供達は大人の本質を見抜く天才だ。上辺だけのブランドや言葉で着飾っても絶対に振り向いてはくれない。会社の執行役員へのプレゼンテーションなんかよりも100倍緊張する。

もちろん人間対人間だから相性はあるし、どうしても合わないこともあるだろうけど、学校の先生はそんな生徒の人生×人数と向き合っている。
世代が違ってもジェネレーションが違っても好かれても嫌われても向き合わなきゃいけない。

めっちゃ素晴らしいじゃないか。

ある先生の一言で人生の見方が変わる。見える景色が変わる。
それはきっと毎日生徒に向き合っている学校の先生だからこそ、より深いものになると思う。

だけど、学校の外にいる大人が当たり前に中学・高校に出入りして生徒と向き合えば、僕がしてもらったような体験をもっと日本中に広げることができるかもしれない。

いや、学校だけじゃない。

日本中のありとあらゆる見えない壁をなくして、お互いがお互いをせんせいとして捉えることができれば、あなたの一言が誰かの人生を変えることがきっと起こる。

そんな世界を僕はANOTHER TEACHERで創る。

そんな風に思わせてくれた高校時代の担任の先生は今でも時々連絡をくれて応援してくれたり、教育関連の人を紹介してくれたりする。

本当に感謝が絶えない。僕が将来もう少し有名になって、社会にしっかりと貢献が出来たら『担任の先生のお陰です』と言うことが恩返しになれば嬉しい。

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