海はすべてを知っていて、
風はすべてを見ている。
過去も、未来も。
私やあなたが逃げ出したことも、すべて。

海に触れたその瞬間に、
私たちは溶け出して、
かたちを持たない記憶に呑み込まれていく。
水から流れ込む記憶は、
地球そのもので、あなたそのもので。
波にさらわれた言葉は、
海の時間の中に永遠を孕ませている。

風は私たちを吹き抜けて、
最奥のやわいところに触れたことがある。
生まれた頃の産毛のような髪が、
澄みきった青へ強く靡き、
声を上げる力を得たことに気づいている。
そしていつか、
風の中で立つこともままならなくなるように、
私たちの時間が有限であることも見ている。

ならば今、
海から逃げ出した私がすべきことは、
海がなく、風も吹かない、
あの白い世界を見ることだ。


やがてすべては海へとかえり、
風の音を耳にして眠りにつくのだから。