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スターウォーズ Ep.7の分析

※これは以前FBに投稿したシリーズ第2弾です。英国大学院留学中に鑑賞した映画についてその時の思いを記しています!

2015/12/24【イブに見るスターウォーズ】
12月24日クリスマスイブは鉄道が走ってないので、友達に会いに行くのではなく、一人でスターウォーズ鑑賞で楽しむことに。昨年のイブは国際学生団体の仕事を終え、スカイツリーを見ながら「カップルが通る道を並行して浅草へ。自分もスカイツリーのようにボッチでも周りを照らしながら、暖かく見守る人として今年を終えたい。さあ、これから静かな隅田川沿いに佇み自分の一年を振り返ってみよう(出典: FB)」とか呟いていたが、今年は寒冷の坂を登りながらスターウォーズ7について自分なりに評価してみた。

(※以下は私の主観も混じった分析です)スターウォーズ史でいえば第1期(①〜③: 1999~2005)、第2期(④〜⑥:1977~1983、第3期(⑦〜⑨: 2015~)に区分され、小説やアニメ、ゲームによりその前後と間が補填されている。しかし7作品目以降はその前に書かれている小説やゲームとは展開が異なるためパラレルワールド化している。
私の世代が第1期からはまり、私の親世代が第2期から入り込んでいる。私自身は第1期の方が好みなのだが、私より一回り年の上の世代は第2期を好み、7作目の感想を聞いてみると、7作目は好評価だったが、私的には④を見た時のモヤモヤ感を感じてしまった。だから、その差について考えてみた…
まず第1期と第2期の違いは何かについて簡単に分析してみると
第1期は政治が大きな要素となっている。①では「資本主義社会での巨大組織による民主主義を超越する力」「賄賂などの政治腐敗」「不信任案決議による国家元首の罷免」、②では「暗殺」「戦争」「非常時大権による独裁」③では「法執行力と司法手続きの欠如」「民主的手続きによる帝政化」「正当な虐殺」「裏工作」など極めて政治的かつ難しい内容である。もちろんアナキンの家族愛や師弟関係、地上・宇宙・ライトセーバーの戦闘などもあり、忙しい映画だったと言える。第2期は政治的要素はなく「家族愛」に焦点が置かれている。もちろん物語を魅力的にするために「戦闘と逃走」「裏切りと試練」等もあるが当時の技術ではやむを得ないが落ち着いた感じである。そんな中、⑦は「原点回帰」というべきか第二期と似た流れを感じる。つまり組織的な動きではなく、「人と人との関係」に重きを置いているのだ。もちろん待ち望んだ分、大変面白かったが予想外だったと言える。⑧と⑨がどんな流れになるのかは想像はできるがそうならずにこれからも予想外な展開に期待する。
後、最近映画を含める娯楽に対し「ポリティカル・コレクトネス」を導入する動きがあるのに気がついているだろうか?21世紀に入り世界は「人権」の重要性を訴えるのみならず、実行に移している。当然悪いことではなく、時代の流れに沿っていると言えるが、映像関連の娯楽に対してその意識を求めるのに違和感を感じる。次期007を黒人や同性愛者を採用するとか、次作ハリポタのハーマイオニーが黒人である等、別にそれ単体では問題はないが、今まで続いてきた流れ、一種の「ブランド」に対しては違和感を感じてしまうのは私だけではないはず。例えば⑦で言えば主要な登場人物に積極的に黒人やラテン系を採用しているが、旧6作に比べエイリアンが実は少ないなど「人の多様性」が意識されており、G. ルーカスが築いてきたスペースオペラとはイメージが異なると感じている。
どうでもいいが、説明なく気になった点:①新共和国ができて30年以上経つはずなのに何故軍事組織が「Resistance」なのか?、②ニューオーダーの「例」の兵器が何故放置されていたのか?、③登場させるキャラとさせないキャラの違いは?
最後に余談だが、ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルが2015年夏に日本で公開された「キングズマン」に出ていたのは驚き(さっきまで全く気づかなかった)。

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