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38年の人生回想・中学後編(ギター編)

中学時代を振り返っていたら長くなりすぎて、3年間を前後編に分けるという長編自伝に突入しています。申し訳ございません。

末吉秀太38年の人生を振り返るシリーズにお付き合い頂いている皆様へ、末吉家先祖代々御礼申し上げます。

きょうは38年間の人生のバックボーンと言っても過言ではない、中学時代後編を振り返っていきたいと思います。写真は中学の卒業アルバムです(爆)

中学時代、部活と並んで熱中したのが『ギター』です。

中学入学と同時に父が経営する自動車販売店で働いていた『しんちゃん』がフォークギターをプレゼントしてくれました。それがキッカケでギターに夢中になりました。

『しんちゃん』は当時21歳。車とバイクとギターが大好きで、肩にはミッキーマウスの刺青が入った、いわゆる『ちょいワル兄ちゃん』でした。

ロン毛で金髪、いつも破けたデニム(デニムは1着しかもってなかったはず)にアメカジTシャツやボロボロのスウェットや色褪せたパーカー。

ボロボロだけど、キレイにオイルが塗られたクロムハーツの財布とレッドウイングのブーツ。車を触る時は傷がつかない様、お気に入りのバックル(ブレスレット)を必ず外す仕草が大好きでした。

愛車は、ボロボロのハーレーとビートル。古かったのでよく壊れてましたが(笑)絵を描くのも上手でスケッチブックによく鉛筆で絵を書いていました。

父から、とても可愛がられていたので、彼女を連れて、よくウチに遊びに来ていました。鹿屋にこんなカワイイ女性がいるのか?というくらい、それはそれはキレイな彼女でした。

まさに『しんちゃん』は子供ながらに憧れの存在で、今でも、自分のファッションは『しんちゃん』に影響を受けていると思います。バイクの後ろに乗せてもらったり、車を納車する時に積載車の助手席に乗せてもらったり。その時聞いた、ロックバンドの数々は今でも大好きです。

しんちゃんは、ぼくが小学3年からウチで働いていたのですが、ぼくが中学2年の時(推定23歳くらい)に絵を勉強したいという理由で県外の学校へ進学しました。

(今何してるのかなぁ。。。)

ギターに熱中!!!

さて、小学校編で前述しましたが、母が音楽が大好きだったことに加え、ギター経験者だったことや、しんちゃんのようにギターを弾きたいという憧れから、自然とギターに熱中しました。

伴奏ができるようになると、母が歌ってくれる様になり、次々と自分の好きな曲をリクエストして、そのコラボがとても楽しかったです。音楽って聞くのはもちろん、プレイするとこんなに楽しいんだという達成感を味わうことができました。

うまく弾ける様になると、もっといいギターが欲しいと思うようになり、連日両親に懇願しました。

当時欲しかったギターが5万円くらいだったので「自分でお金を貯めて買いなさい」という両親の声を受け、中学1年の時に始めたのが新聞配達でした。鹿児島市のように、住宅が密集している地区であれば、中学生もできるのですが、鹿屋市のはずれの田舎。もう一軒一軒が遠くて。。。本当にきつかったです。当時30件くらいを毎朝5時に起きて配って、月の給料が15,000円くらいでしたが、生身の体でお金を稼ぐという実体験をさせてもらった本当に良い経験です。

お金を貯めて、自分の欲しいギターを手に入れた日のことは、よく覚えていて、ギターを布団に入れて抱きしめながら一緒に寝ました(バカ)

毎日毎日大音量で練習して(田舎でよかった笑)、新しい曲が弾けた時の喜びはもちろん、音楽を聴くことの楽しさも教えてくれたのもギターに出会ったからこそだと思います。

映像を生業にしている今、音楽は切っても切り離せない存在になりましたが、「音楽が好き」「モノヅクリが好き」というバックボーンを作ってくれた、母としんちゃんに感謝です。

次回は波乱の高校中退〜社会人1年目を書いて以降と思います。お時間のある皆様。引き続きお付き合いくださいませ。。。


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