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【ネタバレ感想】ジョーカーは社会の敵か?弱者の代弁者か?


トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』、本当に凄まじい映画だった。
舞台は80年代のNYだが、現在、世界中に広がっている苛立ちと絶望感を、これ以上ないリアリティで描写しているのではないだろうか。

思想の分断ではなく、階層の分断


ジョーカーの舞台は80年代のNY、レーガノミクスの時代だ。減税によって経済を活発化をさせようとしたこの政策によって、富める者が更なる富を得ることになり、アメリカの格差が広がる要因となったと言われている。格差を是正するための累進課税とは真逆の政策が実施されていたのである。だが現在もトランプが同様の減税を行い、日本も法人税は下げる一方で消費税を上げている。完全に現代の社会状況とリンクした時代設定と言えるだろう。この手の政策は、お金を持っている者が活発に経済活動を行えば、彼らは雇用と給料を拡大するので皆がそのおこぼれを貰えるはずだ、という希望的予測に基づいて実行されているが、実際のところ雇用主たちは儲けたお金でAIや自動機械を導入して雇用を減らそうとしているため、その恩恵を受けるのは雇用主と、十分な学歴と知識を持ったエリート達だけである。更に運送業などでは労働を直接雇用せずに個人事業主として契約することで、全てのリスクを労働者側に押し付けようとする業務形態が生まれている。結果として彼らはプレカリアート(不安定な労働者)を増加させ、貧しい者ほど不安定でリスクを伴う仕事にしか就けない、という最悪の状況を招いている。やはり政府が積極的に富の再分配を行わない限り不平等は改善しないのだろうが、これらの問題は未だに無視され続けたままだ。

現在、世界の至るところでリベラルと保守の思想的な対立が起こっている。だが、思想や文化の異なる人々は本当に我々の敵であり、加害者なのだろうか?
個人的には、多くの人が感じている生活や将来に対する不安の原因は、前述のような経済格差問題にあると思っている。だがメディアや政治家は怒りと嫌悪を煽るような口調で、移民や他国、宗教や思想が異なる者達が我々を脅かす不安の正体だと嘯き、攻撃を促している。(実際、本当の加害者は自分達だと気づいていない可能性もある)本来ならば社会が経済的に上下の階層に分断されている事が問題なのに、対立軸は国家、人種、宗教、政治思想などにスライドしてしまい、被害者同士の戦いを加害者が安全圏から焚き付けているような、奇妙な状況が生まれているように感じる。
一方で今回のジョーカーは、思想的な対立ではなく、不器用ながらも必死に最底辺の生活を送っているジョーカー(アーサー)の視点から、完全に分断された社会階層の問題を集中的に描いている。


歪んだワーキングクラス・ヒーロー


ヒース・レジャーがダークナイトで演じたジョーカーは一切の共感や理解を拒む超越的なアンチヒーローで、人間の道徳観に挑戦してくる悪魔(サタン)のような存在だった。だが、今作でホアキン・フェニックスが演じるジョーカーは、持たざる者の最後の切り札という意味でまさにジョーカー的である。何の特殊能力も持たない、この世の不幸を一身に背負った最弱の男だが、自分はこの社会の被害者であると気づいた瞬間に暴力のタガが外れ、破滅的な“無敵の人”へと反転するのだ。
またこのジョーカーがとても危ういのは、極めて暴力的かつ不気味な犯罪者である一方で、鑑賞者の共感と同情を呼ぶワーキングクラス・ヒーローの要素も持っている点だ。
アメコミヒーローの多くが英雄、神、社長、王といった上位1%側のエリート達である一方で、ジョーカーは完全に我々99%の凡人側の存在である(めちゃんこ狂ってるけども)。
作中で彼は、“散々虐げておきながら、問題が起きそうになると「大人しく良い子にしてろ」だなんてふざけるな!” 的なニュアンスのことを叫ぶが、これはマイノリティから貧困層まで、社会から疎外された全ての弱者が共感してしまう怒りの声ではないだろうか。それどころかクライマックスで交通事故による気絶から目覚めたジョーカーは、まるで数々の受難の末に復活するキリストのように演出されている。この狂ってしまった男が救世主として描かれることに矛盾と危うさを感じながらも、実際にこの社会を良くも悪くもひっくり返すことができるのは、彼の様に労働階級から生まれた怪物かヒーローだけのような気もしてしまった。

例えばMCUのヒーロー達は、テロ、気候変動、侵略者、レイシズムなどを象徴する外敵から社会を守るために戦ってきたが、今作のジョーカーはデモや暴動といった民衆の怒りを象徴する、社会の内側から生まれたヴィランである。もしアベンジャーズがこのジョーカーと遭遇した場合、どう対処するのが正解なのだろう?ただの人間であるジョーカーを武力で排除するのは簡単かもしれないが、社会の抱える問題は全く解決しないのではないだろうか?ジョーカーの暴走を赦すような社会が健全であるはずがない。だが、疎外され、無視され、虐げられる者達の存在を赦し続ける不健全な社会こそが、ジョーカーのように自暴自棄に陥った無敵の人を無限に生み出してしまうのだ。

ホアキン・フェニックスの演技の凄まじさ

とはいえ、この映画の見どころは社会的なメッセージだけではない。とにかくホアキン・フェニックスの演技が凄まじすぎる。
ジョーカー(アーサー)には精神的な負担があると笑ってしまう脳の障害を持っている設定があるため、ホアキンは裏切られたときの絶望も、怒りも、緊張も、笑いながら表現しなければならないのだが、それを見事に演じ分けてしまっている。なんちゅう表現力なのか。この役の為に20 kg減量したという身体を活かしきった不気味な姿勢やダンスも含めて、ホアキンはこのジョーカーというキャラクターの狂気に、圧倒的な説得力を持たせることに成功している。彼の迫真の演技を大画面で観れるというだけでも、映画館に見に行く価値は充分にあると思う。

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