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量子力学に「複素共役」が現れたいきさつ

私もそうだったように、量子力学を学びだすと誰もが一度は戸惑う(そして次第に脱落していく)ことがあります。

複素共役です。

前にした話ですが自分自身のための復習も兼ねて解説すると、

3+ⅰ と 3−ⅰ
4+2ⅰ と 4−2ⅰ
1+6ⅰ と 1−6ⅰ

こういう風のペアを「複素共役」と呼んでいます。

私たちの存在しているこの物理現実は、実数で回っています。身長が167ⅰセンチとか体重が44-7ⅰキロとか、戦闘機の最高速度がマッハ1+3ⅰとか、そういう表示は見たことがありません。

しかし量子力学を学びだすと、これら複素数(実数と虚数が共存する数)が「複素共役」というペアでやたら顔を見せるので、戸惑うわけです。

こういうわけのわからない(しかし素朴な)複素数ペアが、そもそも
どういう風に量子力学に持ち込まれていったのか、気になりませんでしたか?

調べてみました。

量子力学の切り込み隊長ことヴェルナー・ハイゼンベルク *ではない* ことは、調べる前に見当がついていました。

ヴェルナーくんが学生だった頃、すなわち今から百年と少し前、原子の構造については、こんな風に説明されていました。


今の中学の理科で教わる、例のあれです。この「殻」とあるところに電子があると、そういう構造図です。

観測データとよく一致するので、この通称「ボーア構造図」は短期間で受け入れられたのですが、謎は残りました。

「この輪っか(電子の周回軌道)は、どういうメカニズムでこの間隔になっているんやろ?」

いろいろな学者が、いろいろな仮説をもとに計算しては、どれもすっきりしないものに終わりました。

ここでヴェルナーお兄さん登場です。1925年、花粉症による高熱に倒れた兄ぃ(23歳)が、岩の孤島で療養していたとき、ぴきーんと閃きがあったという、あの逸話ですあの。(ちなみにこんな島だそうです)


そしてぴきーんを元に書き上げたのがこれ


内容を要約すると「だいたい電子の軌道などというものを誰が確認したというのだ? 測定可能な値のみに基づいて議論を進めるべきだ」と宣言した後、小難しい計算式が延々と続いていく、そういう内容でした。

写実的ではない、抽象絵画にGOだぜ!というところです。

この論文を郵送された師匠マックス・ボルンは「ヴェルナーのやろー、わけのわからん数式でいっぱいの論文を送りつけやがって、いったい何のつもりだあの若造」と最初は呆れた…と後に回想しています。

マックスくんです

しかし中堅学者ゆえの自制心があったおかげか、彼はこれを投げ出さずに読み込んで、マックスくんはあることに気が付きました。「ここにある数式、行列で表せるんちゃうか?」

正しくは「無限次元の行列」です。行列というと、タテ2つとヨコ2つに数字が並ぶ大きなカッコを思い浮かべると思います。高校数学で習うアレです。あれがタテとヨコに2つどころか無限に続いていく、そういう行列のことです「無限次元の行列」。

画像はイメージどすえ


ボルン自身は行列について詳しくなくて、そこで教え子でもあるパスカル・ヨルダンという青年に声をかけました。

「おまはん、去年たしか『数理物理学の方法』ゆう本の編纂に一枚噛んどったな。物理科やけど数学もできるというんで、著者のクーラント(数学者)に力を貸しとったな。行列のこともおまはんわかるやろ。これヴェルナーが先日送りつけてきた論文や。あいつ∑ と ∫ と ∞ でごり押ししとるが、これって無限行列で書けると思うんや。わしその方面は疎いで、おまはん何とかこれ行列に落とし込んだってくれへんやろか?」

パスカル(ドイツ人なので発音はむしろパスクアルかな)ヨルダンはこの挑戦を受けて立ちました。「ひと肌脱ごうやないですか」

パスクアルくん

そして彼が引っ張り出してきたのが「エルミート行列」と呼ばれる、ある変わった行列でした。

こんなのですわ。

エルミート行列の例(検索でてきとーにもってきた)

見てすぐわかると思いますが、タテとヨコとで「複素共役」になっていますね。こういうのを、フランスの数学者エルミートにちなんで「エルミート行列」と呼んでいます。いえエルミートが研究したわけではなくてエルミートのとある研究が先駆けということで後世に行列研究が進んだ際に「エルミート行列」と名付けられたのがこのエルミート行列です。タテとヨコで「複素共役」してる行列くんです。

「これ使うと、うまいことヴェルナーくんのアイディアを、行列に落としこめますわ~」

このボルン&ヨルダンの論文をここで紹介しようかと思いましたが、日本の方がここで手際よくハイゼンベルク ➡ ボルン&ヨルダンの思考過程を検証しておいでだったので、エルミート行列をどう使ったのかの解説部分を以下貼っておきます。


Hermite(エルミート)行列への言及


このとき量子力学に「複素共役」の血が入ったのです。

ううんこういうべきかな。こうやって「複素共役」を原子における電子軌道に見出したとき、量子力学が産声を上げたのだと。

おんぎゃ~


せっかくなのでボルン&ヨルダンの原論文 "Zur Quantenmechanik" (1925) も貼っておきますね。

なにやらMatrix(行列)が出てきます


ただこの論文をざーっと眺めてみると、ボルンもヨルダンも、いったい複素共役が物理的にはどういうことを指し示しているのか、イメージできていなかったようですね。

翌1926年にはシュレディンガーが華麗に現れて、あの方程式をかっこよく見せつけて、ヨーロッパ物理学界を興奮のるつぼに陥れるわけです。しかし彼もやがて複素共役と直面することになって、そして orz してしまうのです。

ひととおり決着がつけるのはさらに翌1927年、数学者それも人類史上最高の脳みそ持ちと今も言われるあの数学者によってでした。

ストレンジラブ博士…うそです



ここからは私見です。量子力学史を、エルミートとか複素共役とか内積とかの、それら自体はごく簡単な数学的概念をキーワードにして、もっとスマートに語りなおせないか ―― そんなことを前から夢想しております。


♪ へいどくたすとれんじらぶ、はぅゆーごーなーせヴざわーるど



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