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e^i はいつ、どうやって量子論に混入しだしたのか?

「量子力学」の名称は、今からちょうど百年前に提唱されました。

前に紹介したとおりです。ドイツのマックス・ボルンによる論文のタイトルがそのまんま「Über Quantenmechanik」(量子力学)です。

全文をご覧になりたい方はこちら。ドイツ語です。


この論文、これ自体は何か革新的なものではなくて、その手前の段階のものです。事実、この翌年(1925年)に同著者はとんでもなく革新的な論文をものにします。無限行列を量子論に持ち込むのです。

そのあたりの話は前にしているので⇩ 今回は省きます。


今から百年ほど前、量子論が量子力学に育っていくなかで、どういう風に複素数が主役の座になっていったのかが、前から私の関心ごとでした。

当時の論文をあれこれ再読するうちに、カギは $${e^{i}}$$ だなって気づきました。

物理学ではもっと昔から頻出でした $${e^{i}}$$ は。

フーリエ展開がらみで、頻繁に出てくる子でした。

それから電磁気がらみでも、欠かせない子でした。波を扱うのに便利でしたからね。

量子論では、原子における電子飛躍の際に電磁波(波です波)が生ずることを論ずるにあたって、この子は欠かせなくなっていました。

ハイゼンベルクの「あの」1925年論文にも $${e^{i}}$$ がいっぱい出てきました。

これに刺激されて、ボルン&ヨルダンと、ディラックがそれぞれ独自に $${e^{i}}$$ をふんだんに使った論文を書き上げました。

前者については上で紹介しました。後者についてはこちらで論じています。


ポールなディラックくんが天才ぶりを発揮したのは、彼独自の代数を頼りに、遷移確率(確率!)まで考えを進めたことでした。

アインシュタインが1916年に世に問うた、ある大胆な論があって…


その9年後、ハイゼンの論文に刺激されたポールくんが、これを書き上げて…


これの続きで、翌年の彼は上述のアインの1916年論文を、彼独自の代数で語りなおしてきました。


確率です確率。$${e^{i}}$$ の解釈が、計算テクニックや電磁波の表現に留まらない、何か今までにない概念に(彼も気づかないまま)自立の道を歩みだしていたように、現代の目には映ります。現代というか現代の私の目には、ですが。

確率と解釈するアイディアは、ボルンの論文(1926年)のほうが先行していました。ポールくんはどうやらそれは読まないで独りでその先まで行っていたようです。


同1926年に、デルタ関数を導入し…


ここでも確率の考え方が、より深く出てきます。


シュレディンガーの一連の1926年論文でも $${e^{i}}$$ が頻出します。しかし彼は実体論的にそれを理解しようとしたようです。

シュ論文の読解と解読はいずれやります。1926年のものは物理学史の金字塔として知られているものの、実際にきちんと読んで、ほかの学者たちとの論争までしっかり追っての論は、なくはないのですがどれも物足りませんね私には。

$${e^{i}}$$ がどんな風に現れ、どんな風に解釈されていたのかという視点より、いずれ迫ってみたいです。


…火の鳥を追いかけている気分。

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