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量子力学はどうしてこう学生にはわかりにくいのか

これまで何度か指摘したように、コンビニの書棚には「相対性理論がわかる」系と「量子力学がわかる」系の、二種類の科学本が半ば定番化しています。

表紙のデザインも、前者はきまってアインシュタインのお顔と「E=mc^2」のコラージュで、後者はというと、たいてい黒猫のシルエット。「シュレディンガーの猫」というわけです。

後者つまり量子力学において、実はシュレディンガーの猫なんてものは相手にされていません。試しに大学生以上向けの書物にあたってみてください猫の話題なんてまず出てこない。猫さんが一人歩きしだして、今日も大衆向けの量子力学本でミッキーマウスしてるのです。

私が大学入試用物理に不満を覚えるようになって、地元図書館で『ファインマン物理学』シリーズとかを(わけもわからず)棚から出して(わけもわからず)眺めいった日々を、こうやって書き綴りながら思い出します。ずっと前に取り壊されたあの図書館、中は吹き抜けなのに重苦しいの。「物理数学」という本があったのも懐かしいです。岩波の物理入門シリーズの一冊で、タイトルを見て「物理なのか数学なのかどっちやねん」とひとりツッコミをいれました。開けてみると、割と易しげなのですよ。

大学数学の書物(志賀先生の『30講』シリーズとか)にもその頃手を出していて、どれも最初の章はごく易しそうで、次の章からジェットエンジン吹かすので目を回してしまいました。とてもついていけないと思ったその頃に「物理数学」とタイトルにある別の本を目にして「これならまだわかるかもしれない、物理もいっしょに学べるかな」と、今振り返るとずいぶん虫のいいことを考えた気がします。気がしますというのはあまり覚えていないからです。当時日記を付けていたのでそれとつき合わせると面白い気もしますが探すのも面倒なので今はしません。

私の「物理学の原論文原語で読んでまえ」シリーズを気ままに綴るにあたって、いろいろ文献のお世話にもなっています。そのひとつがここ。著者さんとおぼしい方のツイッターつぶやき、過去に何度か拝見しております。この「EMANの物理学」には「物理数学」のコーナーもあって、復習がてら再読中です。これはブラケット記号についての解説。


平明に説明してくださっています。あの頃の私が読んだらやはり目を回してしまうでしょうけど。

それはそれとして、ブラケット記号による積分が量子力学の肝であり革新でもあったことは、どの物理入門書でも強調されます。無口で知られるディラックが毛布(ブラケット)にひっかけてブラとケットのペアでブラケットだあっはっはとナイスなジョークをとばしたというあの逸話とともに、です。

しかあし、私にいわせればこんな愉快な天才列伝話で納得させらてたまるか、です。ご当人の名著『量子力学』(1930年初版、以後数度の改訂あり)を開けてみても唐突に「重ね合わせの原理」が提唱されてそこからどんどんずんずん話が進んでいくので置いてきぼり気分です。刊行当時、あの毒舌で性格極悪のパウリにすら賞賛されたというけれど、私にはいったいこれのどこがそんな名著なのかわからないのです。

そこでいろいろな科学史本も参照しながら、エルミート共役がどうの内積積分がこうのというあの形式がどうやって形になっていったのかを自分なりに追っていって、ようやくその道筋がつかめた気がしました。

これも前から繰り返していることですが、物理学者と数学者のあいだでとりわけ1920年代より30年代にかけて、相互干渉の激しかった時期があって、それがその後それぞれの史観で再整理されてしまったせいで、あるアイディアが誰によってどう変化してそれがさらに誰によってどうアレンジされて…という進化の道のりが分からなくなっているのです。

ワイルとかフォン・ノイマンとかウィナーとかの数学寄りなんだけど物理臭いひとたちとの絡みとか、多少数学史をわかっていると見えてくるのですが。

ちなみに日本語で読める、使える参考文献を以下紹介しておきます。


カホーフカ カホーフカ
憎しみに燃える 弾よ飛べ
イルクーツク越えて
カホーフカへ
道はなお遠し
戦いの火蓋切られ
砲火狂う中
任務を帯び 乙女過ぎぬ
燃ゆるカホーフカを
やきつく日なか 暗き夜も
装甲列車
我ら平和まざす戦士
守りて 進みぬ

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