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チャートが読める人と読めない人の差はどこにあるか

皆さんは競馬はお好きでしょうか?私は特に好きではないし興味を持ったことがありません。ですから競馬のテレビ中継見ててもどの馬も全部同じように見えます。でもその私の横で「わー、お母さんそっくりやの」とか言う人がいます。えっ、それわかるの?と思います。私からしたら全部馬なのに。

子供についていっておもちゃ屋みたいなところに入るとゲームとかフィギアとかたくさん置いてあります。父親の私には全部同じに見えます。なんでその高い方買うの?こっちでいいじゃんといっても、それはキャラクターが全然違うらしいんです。なにそれ、重要なことか?と思います。


私は音楽が大好きです。休日にジャズを聴きます。例えばマイルス・デイヴィス・バンドのジャズを聴くのに録音が1956年以前か以後かはとても重要です。或いは聴くCDアルバムのドラムを叩いてるのがフィリー・ジョー・ジョーンズか、それともトニー・ウィリアムスか、それともジャック・デジョネットかというのは休日の昼ごはんに何を食べるかを決めることよりもよっぽど重要です。横にいる嫁さんからしたら「なにそれどっちでもいいじゃん。」かも知れませんが、まったくよくありません。キースジャレットのピアノアルバムを聞くにしてもインパルス盤を聴くかECM盤を聴くかはむちゃくちゃに大きな問題です。どっちでもいいわけがない。


うちの母親はとても花とか植物が好きで、その辺に生えてる野草を指差して細かく説明します。自分からしたら何言ってんの、草じゃん、ばかばかしい。としか思いません。野草に興味ない人間からしたらこの草きれいだね程度は会話に付き合えても、それ以上はとても付き合えないとレベルの話ってあります。

つまり、ジャンルを問わず、どの世界でも同じなのだと思います。

ジャズに興味がない人にトニー・ウィリアムスのドラムの話をしてもそれは全くどうでもいい話であり、きっとウザい話です。しかし、それが好きな人間にとってはそこを語ることはかなり充実した幸福度の高い会話になると思います。興味のあるなしとかそのジャンル認識の密度の高さによって見える世界は違うのです。


料理、演劇、芸能、スポーツ、政治などジャンルを問わず興味を持ってその世界に精通すると、より細かい見極めとか違いというのはどんどん際立ち、その反対に興味がなければ何もかもきっと同じに見えるんです。政治に関心のない若者に自民党の議員の派閥の話をしても彼らにとっては全て同じに見えることでしょう。対象が政治家だろうとアイドルだろうと同じだと思います。一つの事実を同じように見ても見え方が違うのです。エドモンド・フッサールの現象学というのはつまりこういうことです。


何が言いたいかと言うと、チャート分析が好きになることがすごく大事だと思うんです。そして何度も何度もチャートを見てその見方に熟練度をつける。このことがとても大事だと思うんです。「あ、このRSIはやばい」とか「このMACDは吹き上がる!」とかいうのは「トニー・ウイリアムスのシンバルってすごくね?」という話と同じだと思うんです。


全部一緒に見えるか。

それとも違いを見抜きその特殊性に気付くか。


チャート分析に長ける長けないというのは、つまりそういうことだと思います。

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