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ラジオ生活:クラシックカフェ・ブラームス「交響曲第1番」

聞き逃しサービス 2023/10/19 放送
クラシックカフェ


「交響曲 第1番 ハ短調 作品68」
ベルリン国立管弦楽団(管弦楽)
オットマール・スウィトナー(指揮)
作曲: Johannes Brahms
[1986年録音版]
(47分59秒)

開始より1時間00分46秒頃 (終了より49分14秒前頃)


配信終了2023/10/26 15:50
 
 (すでに配信終了してます)
 
 
番組情報


Google検索 URL> https://www.google.co.jp/search?tbm=vid&hl=ja&source=hp&biw=&bih=&q=Johannes_Brahms+1_Sinfonie


Bing検索 URL> https://www.bing.com/videos/search?q=Johannes_Brahms+1_Sinfonie


 
 

ブラームス「交響曲第1番」
wikipedia 日本版>  https://ja.m.wikipedia.org/wiki/交響曲第1番_(ブラームス)


   交響曲第1番ハ短調作品68(こうきょうきょくだい1ばんハたんちょうさくひん68、ドイツ語: Sinfonie Nr. 1 in c-Moll, op. 68)は、ヨハネス・ブラームスが作曲した4つの交響曲のうちの最初の1曲。1876年に完成した。ハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれ高く評価された。「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに、第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっている。  

【構成】
   交響曲の定石通り4つの楽章で構成されているが、舞曲(メヌエットまたはスケルツォ)に相当する楽章を欠いている。また、楽章の調の構成は、5度の関係を基本とした古典的なものではなく、3度関係の調となっている(ハ短調 - ホ長調 - 変イ長調 - ハ長調)。
   全曲を通して、「C-C♯-D」の半音階進行が曲を統一するモティーフとして重要な役割を果たしている。
[第1楽章]Un poco sostenuto - Allegro
  ハ短調、序奏付きのソナタ形式(提示部反復指定あり)、6/8拍子(9/8拍子)。
   ティンパニを中心に、コントラファゴット、コントラバスという低音楽器がC音を8分音符で連打する力強いオスティナートの上に、ヴァイオリン、チェロの上向する半音階的な旋律と木管とホルン、ヴィオラの副旋律が交錯する序奏で始まる。

[第2楽章]Andante sostenuto
ホ長調、複合三部形式、3/4拍子。
   緩徐楽章。オーボエ、第1ヴァイオリン、ホルンによる印象的なソロ演奏がある。

[第3楽章]Un poco allegretto e grazioso
変イ長調、複合三部形式、2/4拍子。
   間奏曲ふうの短い楽章。古典的な交響曲の形式にのっとれば、ここにはメヌエットかスケルツォが置かれるべきだが、ブラームスは4つの交響曲のすべてにおいて典型的な三拍子舞曲の第3楽章を置かなかった(第4番においてようやく本格的なスケルツォが登場するが、やはり二拍子である)。とはいえ「グラツィオーソ(優雅に)」という楽想指示には、メヌエット的な性格の楽章であるという作曲者の意図が現れている。

[第4楽章]Adagio - Più andante - Allegro non ハ短調(後にハ長調)、序奏付きのソナタ形式、4/4拍子。
   第1楽章の序奏の気配が回帰したかのような重い序奏でゆっくりと始まる。序奏は2部構成。重い気配が弦楽器のピチカートと交代しながら駆け上がっていくと、頂点でティンパニ・ロールによってさえぎられ、ハ長調のアルペンホルン風の朗々とした主題がホルンによって歌われ、序奏の第2部に入る。この主題はクララ・シューマンへの愛を表しているとされ、クララへ宛てた誕生日を祝う手紙の中で"Hoch auf’m Berg, tief im Tal, grüß ich dich viel tausendmal!"(「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」)という歌詞が付けられている。フルートがこれをリピートしたあと、トロンボーン・ファゴットがこの主題の先をさらにコラール風に続けて歌う。

〜[上記wikipediaより抜粋]


ブラームス「交響曲第1番」
wikipedia ドイツ版> https://de.m.wikipedia.org/wiki/1._Sinfonie_(Brahms)


  ヨハネス・ブラームスの交響曲第1番ハ短調作品68は1876年11月に初演されました。最初のスケッチは 1862 年に遡り、中断を含めて 14 年以上かけて作成されました。ブラームスは 1877 年にこの作品に最後の変更を加えました。

   1862年、ブラームスは友人に、交響曲第1番の後の第1楽章(序奏なし)の初期バージョンである交響曲楽章を見せた。クララ・シューマンは、 1862 年 7 月 1 日にヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムにこのことについて次のように書き送っています。
『ジョンは最近私に、驚くべきことだと思いますが、次のような大胆な始まりを持つ交響曲第 1 楽章を私に送ってくれました。これは少し強いかもしれませんが、すぐに慣れました。このムーブメントは素晴らしい美しさに満ちており、モチーフを巧みに扱い、その特徴はますます高まっています。すべてがとても興味深く絡み合っており、それでいてとても生き生きとしていて、まるで最初のほとばしりのようです。仕事のことを気にすることなく、存分に楽しむことができます。第 2 部から第 1 部への移行は、再び素晴らしい成功を収めました。』
〜[上記wikipediaの翻訳より抜粋。]
 
 



 



ヨハネス・ブラームス
wikipedia ドイツ語版>
https://de.m.wikipedia.org/wiki/Johannes_Brahms


   ヨハネス・ブラームス(1833年5月7日 ハンブルク生まれ、† 1897年4月3日ウィーン)はドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。彼の作品は主に盛期ロマン派に割り当てられています。しかし、バロックと古典的な形式を組み込むことによって、それらはそれらを超えています。ブラームスは、19 世紀で最も重要な作曲家の一人と考えられています。

【人生】

   1872 年、ブラームスはついにウィーンに定住し、ヴィーデン地区のカールスガッセ 4 にあるアパート番号 4 の 2 部屋 (1877 年からは 3 部屋) に住んでいました。ブラームスは当時ピアニストとして非常に成功しており、定職がなくても生計を立てることができました。それにもかかわらず、彼は 1872 年から 1875 年までウィーン音楽友協会の運営を引き継ぎました。彼と出版社も、すでに出版した作品から多額の収入を得ていたため、シムロックは彼に何か新しい出版物を提供するよう勧めた。
   ウィーンでは、ブラームスは特にハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクと友人になり、後に彼の妻エリザベートが活発な文通でブラームスの作品を事前にレビューし、通常はクララ・シューマンよりも先にもレビューした。
   交響曲第 1 番ハ短調作品 68の初演は、1876 年 11 月 4 日にカールスルーエで行われました。ブラームスは 1862 年にこの作品に取り組み始めましたが、完成したのは 1876 年、リューゲン島のザスニッツ滞在中にでした。

〜[上記wikipediaの翻訳より抜粋]
 
 

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