ブレイクスルーという現象について

私の人生は大方、成功体験があることとないことに二分できるのではないかと、ふとシャワーを浴びながら思った。

そして、「成功体験がある」ことは、「ブレイクスルーした瞬間がある」

こととほぼ等しい。

「ブレイクスルーした瞬間」があれば、当分の間、その分野においては方程式の解を導き出せる。

これまでの人生で起こってきた一つ一つの事柄に対して、方程式を解く方法を知っていたものか、知らないままなんとなく模索してきたことか、振り分けることができるのではないかと思う。

・中学の勉強(定期テストや決まった型である高校受験)はブレイクスルー(以下BT)した←BTの瞬間の原体験

・高校の部活はBTしていない(から中途半端に終わってしまった)

・高校のとき苦手だった化学はBTした(1年生のときの実力テストは今だから言えるが20点いかなかったけれどセンター試験ではほぼ満点)

・大学生活は全体的にBTしていない(ぼんやりぼんやりの連続)

・大学時代で唯一BTしたのはカフェのバイト(器用にできたと思っていたが効率的なやり方がわかったからだと今では思う)

・はじめて恋愛でBTしたのは社会人2年目から付き合っていた元彼(これまでの相手にはなんか遠慮があったけれどはじめて全体重をかけられるくらい信頼していて愛おしかった)


中学の勉強のBTの原体験。

1年生のはじめての期末テストで、まあコメントのしようがないほど普通な成績をとった。その成績をもとに行われた三者面談で、学区2番手(世間一般では中の上くらいの偏差値のところだと思う)の高校を志望してみたが、3番手の学校を勧められた。

そのとき、先生に勉強の仕方を教えてもらった。教科書などをみながらノートにまとめ直すことに時間を使っていたテスト勉強を、ひたすら問題を解くことに使ったほうがいいよ、と。

2回目の定期テストでその勉強法を試してみたら、5教科の総合得点が70点以上あがった。味をしめた私は、95点以上を取らないと落ち込むくらいに定期テストの点数をとれるようになっていった。そうして結果的には、学区1番手の、全国的にみても優秀な高校に入学することができたのだ。

これは、地頭がよかったから得た成功ではなく、方法を知った(この知った瞬間を「BTした瞬間」と呼ぼう)から得られた結果だと思う。

この方程式の解き方を知るというのは、とても気持ちがいい。

わからないわからないともがき続ける必要がなく、型に流し込んでしまえばスルスル流れてスポっと何かが生まれるのである。


何かをできるようになりたいと思ったり、成功したいと思った時に必要なのは、その方程式の解き方を見つけることではないだろうか。


残念ながら、社会人6年目になった今、仕事においてはBTの瞬間を迎えることができていない。

チャンスは何度かあった。職種としては限られた人しか機会がないような職にたまたま就くことができて、はじめての成果物は会社の中での売り上げは1番になったし、業界の中でも割と話題になった。でも、2作目、3作目と、それが続かなかった。たまたま最初のそれが成功しただけで、方程式の解き方は身につけられなかったからだと思う。

次は、大学のころから仕事にしたいと思っていたことに携わることができた。でもこれもなんだかグッと入り込めなかった。あんなにやりたいことだったのに。成功の道筋が見えずに、ただただ作業のようになんとかこなす日々。全然アツくなれない…。なんて血の通わない人間になってしまったのだろう、と思った。でもこれも、どうやったらうまくいくかわからなかった、というか、BTするための努力をしていなかった結果だろう。

BTするためにはある程度のインプットが必要だと思う。本を読むでも、誰かにアドバイスを求めるでも、なんでもいい。自分だけで閉じこもらずに、外から新しいアイデアをもらう。そこからうまくいきそうなことを試してみる。そうしてピタッと合う方法と出会うのである。


今、BTしたい、できそうなことが目の前にある。これまでであれば、それに携われることに満足して、このままなんとなくやり過ごしていた。でも、これはBTしてこれを自分の強みにしたい!とフツフツとやる気が起こっている。

新しいBTのトピックスになるように、グッと向き合って方程式の解き方を発見したい。

もうすぐ28歳。

もうすぐ令和。

新しいことにグッと集中するにはとてもよいタイミングだ。

ブレイクスルー元年にしたい。 

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