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第23節 約束は雨天の打ち上げ花火のように

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第22節第24節


 夏の日没はまだ来ない。
 としまえんの広場では、男女のパフォーマーが、それぞれヨーヨーと一輪車を巧みに操り観客を沸かしている。
 音楽に合わせて行われる息の合ったパフォーマンスを見・魅せる二人は、実は夫婦であるらしい。子供の頃、児童館に通っていた彼らは、当時から片やヨーヨー片や一輪車に夢中で、その後パフォーマーの道に進み、今や夫婦でもあるという素敵なエピソードが語られた。
 夢と生活、人生をかけた二人のパフォーマンスは、終わりを迎えようとするとしまえんで、アトラクションにも負けず劣らず観客たちの目を引・惹いている。
「……」
 真衣とジェロニモも、そんな観客の一人だった。
 夜に行われる花火を見たかった真衣は、余裕を持って夕飯を食べようと、園内のインドカレーのお店へ向かう途中で彼らのパフォーマンスに目を引かれ足を止めたのである。
 間もなくパフォーマンスは終了し、観客の大きな拍手が飛び交う。
「……真衣?」
 遠巻きにパフォーマンスを眺めていた真衣の目から、不意に涙が零れ落ちた。
「あっ、あれ? なんだろう? はは……」
 手の甲で目元を拭い、真衣が笑う。
「どうしたんだい?」
「いや、大したことじゃないんだ。
 さっきの話、聞いた? 子供の頃に児童館でヨーヨーとか一輪車で遊んでて、今じゃプロで、結婚してるなんて、すごくない?
 それに比べて私なんかさ。普通に進学して、普通に就職して、特に大きな夢もなくて。ただ、幸せになれたらなって。普通に結婚してさ。好きな人と子供と一緒に、幸せな家庭を築けたらなぁなんてちょっと時代遅れなこと思っちゃってたりなんかしてさ。でも結果、彼氏もいないし、こんなんじゃん? 私、何してるんだろうなーって……。
 好きなものは、追いかけてるけどさ。でも、あんな風に堂々とじゃなくて。そりゃあ、昔と比べたらオタクイコールキモイみたいな感じじゃないし、職場でもそこまで隠してないけどさ。部屋中ジェロニモグッズだらけで、こんな重度のオタクだなんて、やっぱ知られたくないしさ。好きなものにも、ジェロニモにも失礼だよね? はは。ほんと私、何してるんだろうなって。何やってるんだろうなって、思っちゃって……。ほんと馬鹿だよねー。はは」
「真衣……」
「ごめんね。ちょっとトイレ行ってくる。混んでるかなぁ……。てか、メイクだいじょぶかな? やば! ここで待っててね?」
 そう言うと、真衣はジェロニモの返事を待たずに慌ただしく走って行った。
「……」
 ジェロニモはその後ろ姿を、静かに見守った。

     *

 としまえん内にあるインドカレーのお店“マサラ”で夕飯を済ませた真衣とジェロニモは、としまえんの公式グッズを購入したりゆっくり園内を散歩したりして残りの時間を過ごし、今は夜八時から打ち上げられる花火を目前にして場所を確保していた。
「花火、楽しみだなぁ~。生で見るのなんて久しぶりだよ。今年は特に無理だと思ってたもん」
「ふふ。よかったね、マスター。……私も、花火には少し興味がある。捕虜になってからは興味深いものをいくつか見たが、そのどれとも比べものにならないくらい、日本の遊園地というのは不思議なものだった。真衣。今日は私も楽しませて貰ったよ。ありがとう」
「ジェロニモ……」
「ふふ。今日は真衣にとことん付き合うと言ったが、感傷的な気分まで移ってしまったようだな。真衣の言葉では、エモいと言うんだったかな?」
「もー、ジェロニモ。馬鹿な私でも感傷的くらいわかりますー」
「そんなつもりはなかったのだが。すまない」
 二人が笑い合う、幸せなひと時。
 花火が始まるまであと少し。
「真衣! サーヴァントの気配だ! 今回は明らかにサーヴァントのものだ」
「えっ!? そんな……。今?」
 一瞬にして幸せなひと時にヒビがやって来て、真衣の顔から微笑みを奪う。
 近づいてくる絶望、一組の男女、マスターとサーヴァント。
「マスター。あの浴衣を来た肌の黒い男、わかる? あいつがサーヴァントだと思う」
「……ジェロニモ、か?」

 ――ジェロニモ。ネイティブ・アメリカン、アパッチ族の戦士。
 本名には「あくびをする人」を意味する穏やかな名を持ち、アパッチ族の誇りと義理を重んじる人物だったという。侵略や裏切りには激しく抵抗し、一族の規範の内では略奪も行ったが、敵との同盟も歓迎し、降伏後は捕虜として穏やかに暮らしたと伝えられている。
 しかし、敵軍がつけた渾名あだなであるジェロニモの名の方が有名であり、メキシコ軍や合衆国軍との戦いでは“赤い悪魔”とまで恐れられたその苛烈な逸話から、今なお反抗のシンボルとして語り継がれている。

「お前たち、聖杯戦争の参加者だな? 悪いが消えて貰う。だが、ここでの戦闘は流石に避けたい。そこの川に来い。もう少しで花火が始まる。花火の最中なら、戦闘の音も誤魔化せるだろ」
 マスターの方――達也が先陣を切り二人に言葉を吹っ掛けた。
「すまない。私も戦士だ。戦うのは歓迎だが、私のマスターはその花火を楽しみにしている。少し待ってもらいたい。私は私たちの誇りにかけて決して約束は破らない。花火が終わればどこへでもついて行き、君たちと戦うことを約束しよう」
 ジェロニモの穏やかながら圧のある言葉に、達也は憤りを燃え上がらせる。
「花火が楽しみだと……? どいつもこいつも遊び気分で……。何が戦士だ。戦う気がないなら好きにしろ。ランサー、こいつを今ここでれ」
「ちょっとマスター、流石にここでは……」
 達也は右手の甲の“愛怨あいえんに燃える車輪の令印”をブーディカへ向け言い放つ。
「こんなところで一画を消費させるつもりか?」
「マスター……」
 ブーディカが躊躇ためらいを越えて諦めに辿り着く前に、もしくは何か代替え案を探し当てる前に、ジェロニモが譲歩して道をひらいた。
「わかった。花火まで時間がない。急ごう」
「ジェロニモ……」
「真衣。私は我々の誇りにかけて、真衣と必ず花火を見よう。なに、川なら女子トイレほど込んではいないだろう? 一瞬で済ませて、花火が終わる前には戻って来るさ。だから、真衣はここで花火を見ながら待っていてくれ」
「ジェロニモ……」

 ――真衣は、ジェロニモに戦って欲しくなかった。
 それはただ、少しでもジェロニモと長く一緒にいたかったからというだけではない。むしろ、聖杯戦争に勝って本人の同意も得られれば、ジェロニモに受肉して貰い、もっとずっと一緒にいられる可能性さえあるのだ。
 それでも、真衣はジェロニモに戦って欲しくなかった。
 それは、ジェロニモという英霊の、偉人の逸話を知っているから。そして、彼が本当は心優しい人間だと思っているから。だからもう、彼に血に塗れた戦いに身を投じて欲しくなかったのだ。せめて略奪とも戦争とも縁遠いこの地でくらいは、彼に戦って欲しくなかったのだ。

「ふん……。行くぞ」
 園内を通る石神井川しゃくじいがわ *1 に向かって歩いていく達也たちに、ジェロニモが続く。
「……待って! ジェロニモ。私も行く!」
「……真衣。花火はいいのかい?」
「ジェロニモと見れないなら意味ないよ! それに、一瞬で終わらせるんでしょ? たしか七分くらいだったから、戦いに勝ったら特等席まで連れてって。どっか誰もいない場所で、二人きりで見よう? それもそれで、アリじゃない?」
「真衣……。わかった。君がいてくれるなら心強い」
「ジェロニモ……」
 そんな二人のやり取りに、達也はチッと怒りの火花を打ち上げた。
 あの日、花火に照らされていた綺麗な横顔は、今はもう壺の中の灰――。


第22節第24節
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脚注

*1:石神井川:東京都小平市花小金井南町の水源から始まり、同都内北区堀船で隅田川と合流する、延長約二十五キロメートルの河川。都内では比較的大きな河川で知名度もある。