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くも猫 ふわふわ日記 天草の本屋に行った。

たまたま「水俣曼荼羅」の事、ツィートしていたら「天草の本屋と活版印刷所の屋根裏」というなんとも不思議な本屋さんを見かけた。更に、ホームページを見るに、水俣相思社の永野さんと水俣の写真を撮り続ける豊田さんのトークイベントの告知があり、よけいに行きたくなって出かけた。豊田さんの写真は熊本市現代美術館で見たことがある。水俣の山間部に住み、水俣病に苦しむ人々の姿を撮り続けている女性写真家だ。いろいろなつながりがあるものだ。永野さんと豊田さんどんな話になるのか。こりゃ、延々と終わりのない話が続く予感、水俣の今を二人が語るのだ。残念だが今回はそのイベントには参加できないが、まずは本屋に行こうと思った。自宅から1時間少し。1階は新刊本と雑貨店、2階は古書店と飲食店、イベントスペース。京都にありそうな雰囲気の店が天草にあるとは…

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この青と、書体のセンスがよか。

これまで少しは天草に関心があり、仕事でもうろうろしていた過去があるが、どうも天草になじめない点が多々ありこれまで距離を置いていた。潜伏キリシタンの事、天草四郎の乱についてこれほど取り組むに値する資料があるのに、地元民が関心がなければただのゆるキャラ、イベントの材料にしかならないし、実際そうなってきた天草に違和感を持っていたせいもある。

あの創造性のかけらもない、商業デザイナーの天草四郎の絵に、何故誰も異を唱えないのか?あんな切れ長の目の男性はどこにもおりませんっ。天草四郎の乱で数万人天草の人はむごい殺されかたをしたのだ。資料を読めばもっと泥臭い、天草四郎の像が見えてくるはずなのに。ファンタジー、何の温かみもない、デジタルイラスト、いかにも商売目的の絵を後生大事に何故奉るのか?当時長崎のエリアと今の天草は同じ文化圏であり、もっと深く長崎と天草は連携して文化ゾーンを形作る必要がある。

団子っ鼻、ニキビ、短足、泥だらけ、服は破れ髪はぼさぼさ…の天草四郎を誰も想像しないのか?そんな餓死寸前の貧しい少年を神に見立てて原城に立てこもるキリシタンの人の思いを想像してみなよ。
まぁ…そんなわけで、天草の入口に生まれ住む自分にとって、今の天草はどうにも距離感があったのだ。もちろん今の天草に住む人のルーツは天草四郎の乱の後、人影のない天草の地に全国から移植された貧しい農民、仏教徒がほとんどだから仕方がないが。

ついでに言えば、そんな仏教徒に無理やり「天草をサンタクロースの聖地」にしようなんて、これまた、とんでもない地域興しのイベント屋も出て来て、僕は更にあきれてしまったのだ。何も知らない仏教徒の爺さん、ばあさんに、いきなり「天草をサンタクロースの聖地にしましょう」というのは「逆の踏み絵」ではないか。(この憤飯もののイベントは当然、破綻した)

ちょうど今、熊本の五家荘という熊本の山深い地区の資料を読んでいて、五家荘もある時期、あまりにも過酷な山里の暮らしに耐えかねた住人が庄屋どんともめごとを起こし、時の政府はそのエリアを天草と同じ天領にした。つまり当時の小役人は、今の苓北町の番所から船を乗り継ぎ、海抜ゼロの地、天草から標高1500メートルを超える山々の奥まで検地に来ていたのだ。そんな五家荘の山奥にも塩の道をたどり、キリシタンの教えは伝わり悲しきかなオラショの言葉まで残っている。

いつも、こんなことばかり考えているから、ちょっと頭の具合もおかしいが、最近出かけると、いろいろな出会いもあることだし、天草にも楽しいことはありゃせんかいな…五家荘の山の写真集(自分の葬儀に配布する予定だった) をお土産に「天草の本屋と活版印刷所の屋根裏」さんの店に入った。想像通りのいい感じの店で、今の天草に必要な文化の発信源が若い連中により作られたのはとてもよいと感じた。

これまで、おじさんおばさんが偉そうに自治体の補助金で「地域の活性化」とやらを企んできたが、補助金がなくなれば何も残らない「地域興し」失敗した後、こうした本屋が出来たのは天草にとって本当にいいことなんだと思う。

2階の店内を見渡すと、目の前に「死者の書」の漫画本がある。民俗学者折口信夫の死者の書を、漫画にしたものだが、作者の近藤ようこさんは折口信夫に心酔し、折口が教鞭をとった大学に入り民俗学を学び漫画を描いた。死者の書は難解と言われる本で、僕も最初の出だしでその暗がりに閉じ込められ、まだ這い出せずに苦労している最中だった。そんな「死者の書」の解説本が目の前にあるとは…。

本屋で一番嬉しいのは「本との出会い」…こりゃ当たり前の話、だけど、そんな本屋があるのは本当に嬉しいものだ。当然猫も居たし。そんな、出会いを今後も大事にしたいものだ。

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あめつちのことづて…よい言葉




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