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中国史に関する私の出会いについて

 中国史との出会い

 私と中国史との出会いは約30年以上前、少年ジャンプの『赤龍王』でした。

 連載時の『赤龍王』はそれほど好きではなかったのですが、図書館で史実をベースにしていることが分かり、改めてコミックスを買って全部読んだ時に面白いと感じました。
 ただ、劉邦がなぜ、韓信や彭越たちを誅殺したのか理由が分からず、背景を調べようとして、司馬遼太郎『項羽と劉邦』を読んだことが本当のはじまりです。
 

 史記の記述はあっさりとしていることが分かり、図書館に置いてあった連環画の絵を解説した『三国志演義』を読んで、史記よりも個性のある登場人物が多く、一騎打ちやおどろくような策略が多数ある『三国志演義』の方が好きになりました。
 やはり、演義の力は偉大ですね。もし、演義が存在しないなら、中国史への興味は薄れ、日本史かギリシャ神話の方にいっていたことでしょう。

 中国史への興味の出始め

 それで、順次、光栄ゲームをプレイし(笑)、横山三国志を読みながら、学校と地元の図書館の書籍を読んでいきました。
 ただ、出会いが三国志ではなかったため、三国志に偏重するわけではなく、宋代までを舞台にしていればなんでも読みました。
 高校生までには、順番は余り覚えていないのですが、



・社会思想社の『故事成語事典』
・吉川英治『三国志』(3回読み返した)
・柴田錬三郎『三国志』
陳舜臣『小説十八史略』
・『秘本三国志』、『短編集』
・海音寺潮五郎『孫子』
・徳間書店『十八史略』
・『史記』
・『三国志』(確認できないけど、確か大きさが小さい版が当時からあった記憶があります。正史を要約して紹介した三国志です。当時は、正史は完全に史料がなかったわけではないです)
・筑摩世界古典文学全集の『正史三国志』(文庫の前に大判がありました)
・河出書房の『新十八史略』
・高島俊夫・渡辺精一先生の歴史解説本

 などを読みました。今、考えれば、徳間書店の書籍の存在は大きかったですね。

 結構、詳しくなったことに自分で気づかなかった
 

 下手な謙遜をすると、物事を客観的に見ることができなくなると考えているのであえて書きますが、表層上の知識では、『三国志マニア』と言われる人より下に見え、私自身もそうは思っていましたが、
 実は中国史や三国志好きで史学にいった方や三国志の知識自慢される方よりも、中国史への総合的な歴史理解は(あくまで当時においてですが)かなり上だったと思います。

 ただ、私はずっとその自覚がなく、サイトやブログをつくることもなく、遠回りすることになります。タイムマシンがあったら、あの時の自分に声を大にしていってやりたいです(笑) 
 ただ、今、考えるとやはり文学と歴史がごっちゃになっており、なかなかそういった書籍では歴史の楽しさは伝えられても、歴史学の意義は伝わりにくいとも思っています。 

 大学生になった時は、文学部にはいきませんでしたが、中国史好きは変わらず、陳舜臣『中国の歴史』の読破をし、中国史に関する小説・論説を読んでいました。
 この頃、三国志の終わった後の続きを知りたいと思い、宮崎市定『大唐帝国』を読んで学術書の面白さも知りました。ネットはなかったので、一人で読んでいましたね。中国史に関しては気になる小説はほとんど読みました。

 田中芳樹先生もよかったですが、私としては原百代『武則天』と陳舜臣『阿片戦争』が双璧ですね。
 原百代『武則天』は高かったけど、購入までしました。

 大学と地元の図書館では、中国史の『人物叢書』(隋の煬帝、永楽帝、馮道、安禄山、劉裕、奴児哈赤)、『侯景の乱始末記 : 南朝貴族社会の命運』、『通俗二十一史』を見つけて読み、続国訳漢文大系の『資治通鑑』を読みふけりました。
 ちょっと、前漢と後漢の途中、南北朝と唐王朝の後半、五代がいい加減でしたが、とりあえず読み終わりまして、やがて、大学は卒業しました。ここでも、『通俗二十一史』と『資治通鑑』は大きかったです。 

 ただ、相変わらず、私は自分自身がそこまで理解力がある人間だと思わず、よくある三国志や中国史好きの一人に過ぎないと思っていたままでした(笑)。
 今、思えば、歴史仲間がいないため、そういった交流がなく、ひたすら書籍ばかり読んでいたゆえに、地力がついており、史学を学んでない人の中では相当に理解が深まっていたことが要因だったと思います。そう考えるとSNSは危険ですね(笑)

 その頃は、三国志好きの人にたまに会うと、「そんなに知っていて凄いな。中国史だって、自分と比べものにならないぐらい詳しいのだろうな」と思うだけでした(笑)。
 今、考えれば、私の話が理解できないが、三国志とは関連性があるため、「興味がない」と言い切れず、はぐらかされていただけだったと感じます。

 とはいえ、専門的な知識はなかった

 ただ、やはり、専門書や論文には手を出さなかったため、本格的に歴史学をされた方の前では、赤子も同然なのも事実です。私の自己認識も間違っていないという側面もあったことも間違いないです。
 また、匿名掲示板でネット上の知識自慢される方々や雑誌のライター系の多くがいってしまえば、その時の私からしても、「半可通」や「知ったかぶり」に近い存在であり、彼らの中には知識をみせびらかせて大きく見せようとした人たちが多かったこともあって、自身満々に語る彼らの方が正しく見えたということは間違いありません。
 私に半端な知識しかなかったせいもありますが、なかなかこれは怖いことだと思います。


 彼らのために自己認識がかなり遅れた私だからこそ、かなり強い批判になりますが、警鐘をこめて、ここに記しておきます。
 自信満々に世の中で言われていることと違う説を断言する人には注意しましょう。

 以上が私の大学までの中国史に関する接点でした。

 今回語ったのが、私の年齢が2020年において45歳ですから、1980年代後半から1990年代の話になります。

 続きは、こちらです。



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