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三国志後伝の挿絵と人物紹介3

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の3枚目です。

【注意事項】
 1回目を参照 

口絵3

王弥(おうび)字:飛豹(ひひょう)

年齢:30歳ぐらい
血縁:王平の子
所属勢力:蜀漢→北漢
智:4
武:10

幼少の頃から、怪力を有し、騎射にもすぐれていました。刀や飛鎚の使い手です。父の王平からは高く評価されていましたが、劉禅には用いられませんでした。関防らとともに、成都を脱出します。劉淵に仕えて、開国冠軍大将軍・右先鋒に任命され、北漢建国から洛陽陥落まで大活躍します。血気盛んなところや傲慢なところもありましたが、劉淵からは信頼されていました。劉淵の死後、北漢からの自立を図る石勒と対立し、石勒との宴席で石勒の意を受けた孔萇と桃豹に殺されました。

斉万年(せいばんねん)字:永齡(えいれい)

年齢:30歳ぐらい
血縁:田単(でんたん)の子孫(田単は戦国時代・斉の名将です)
所属勢力:蜀漢→北漢
智:4
武:10

秦州狄道の出身。成都では『撃飛(げきひ)将軍』と綽名(あだな)されていました。八十二斤(約49kg)の大刀を使い、乗馬・弓術に優れ、素手で斑斕猛虎(はんらんもうこ)という巨大な虎を殴り殺すほどの力を持っています。劉淵に従って羌に身を投じ、関中侵攻戦では、打虎慕義(だこぼぎ)将軍を名乗って、晋軍を何度も破り、夏侯騄(かこうろく)・許史ら多くの敵将を討ち取ります。最後は、晋軍を率いた孟観に誘い出されて、戦死します。死後、劉淵に隴西公(ろうせいこう)を追贈されます。

劉霊(りゅうれい)字:子通(しつう)

年齢:25歳ぐらい
血縁:劉封の次子
所属勢力:蜀漢→北漢
智:5 → 4(左国城以降)
武:9 →10(左国城以降)

斉万年と並び称されるほどの武勇を誇りました。主に長矛を使います。当初から劉淵に従いました。王弥と義兄弟の間柄で、王弥に成都脱出のことを知らせます。関中侵攻戦では斉万年の後詰となり活躍します。当初は沈着な性格でしたが、次第に荒々しい性格に変わりました。劉淵即位時には、開国冠軍大将軍、左先鋒に任じられています。晋との戦いでは一貫として先鋒として大活躍します。晋の祁弘(きこう)と一騎打ちを行いますが、劉霊を恐れた王浚(祁弘の上官)に祁弘もろとも射殺されました。

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