見出し画像

三国志後伝の挿絵と人物紹介4

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の4枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照 

口絵4

楊芷(ようし)字:季蘭(きらん)

年齢:33歳
血縁:楊修の遠縁の一族、楊駿の娘
所属勢力:晋
智:4
武:1

晋の武帝(司馬炎)の二代皇后(初代は、楊芷の従姉(いとこ)・楊艶(ようえん))です。武帝が後の恵帝(司馬衷)・賈皇后(賈南風)を太子・太子妃から廃しようとした時には、制止しました。武帝の死に際し、遺書である詔(みことのり)の内容を偽ったため、彼女の父である楊駿が西晋王朝の全権を握ることとなります。賈皇后の楊駿を討つ計画を知り、楊駿に伝えようとしましたが果たせませんでした。楊駿が処刑された後、無実を訴えて賈皇后を罵りますが、賈皇后によって洛陽にある金墉城(きんようじょう)に閉じ込められます。史実ではその後に餓死させられました。

司馬炎(しばえん)字:安世(あんせい)

年齢:45歳
血縁:司馬懿の孫、司馬昭の長子
所属勢力:魏→晋
智:6
武:5

西晋の初代皇帝である武帝です。父の司馬昭の死後、魏の相国(しょうこく)、晋王となり、魏の皇帝に帝位を譲ることを強要して、西晋の皇帝となります。張華の進言を受けて、呉を討伐して滅ぼします。王族となった司馬一族に大きな権力を与え、各地を守る軍の軍縮を断行します。その後の太平の世で政治を忘れ、贅沢な遊びにふけりましたが、諫言を聞き入れる度量は大きなものでした。司馬炎の存命の間は、大きな反乱は起きませんでしたが、彼の政策は後に乱世となる原因をつくりました。

楊駿(ようしゅん)字:文長(ぶんちょう)

年齢:50歳ぐらい
血縁:楊修(ようしゅう)の遠縁の一族、楊芷の父
所属勢力:晋
智:3
武:3

晋の武帝(司馬炎)の皇后である楊芷の父であたり、武帝に恵帝(司馬衷)のことを託されますが、凡庸で器量の小さい人物でした。武帝の遺言となる詔を偽り、武帝の死後に司馬一族を洛陽の外に赴任させ、西晋王朝の実権を握りました。人気取りのために、百官を昇進させ、恩赦を行います。多くの人物から諫言を受けますが、耳を傾けず、自らの党派の人間で政権を固め、太傅・臨晋侯(りんしんこう)に就任します。権力を握ろうとする賈皇后(賈南風)を抑えようとしましたが、賈皇后の意を受けた孟観と楚王(司馬瑋(しばい))の軍の討伐を受け、謀反の罪を着せられて処刑されました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?