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2000年~2006年頃における中国史に関する私の体験について

こちらの続きになります。

当時読んでいた書籍について

 さて、大学も卒業して就職をして、21世紀を迎えたわけですが、その間は通勤時間などを利用して、中国史の小説を読んでいました。
「中国古典文学大系」も挑戦したのですが、どうも歴史講談小説か、好漢小説、神怪小説以外は私にはあわず、それ以外では『鏡花縁』ぐらいしか興味がわきませんでした。『金瓶梅』や『紅楼夢』はあらすじしか把握していません。
 また、『水滸伝』や『三侠五義』は好きだったのに、金庸の武侠小説はそれなりに読みましたが、価値観があわず、好きになれなかったです。柴田錬三郎作品や山田風太郎作品の方が面白く感じました。
 この当時、読んでいたのは、はじめは「難しそう」とか「春秋時代って余り知らないし」と思って敬遠していた宮城谷昌光作品です。戦国時代以降を扱うようになって、宮城谷作品は評価が分かれるようになりましたが、この頃の作品群は文句なく面白く、次々と文庫本を買ってきて、通勤電車で読んでいました。ただ、途中で、現代でも評価が分かれる作品を宮城谷先生が書くようになって、主人公を宮城谷先生が好きな人物に当てはめていると思い、面白く読めなくなって、読むのをやめました。
 その他で、読んでいたのは、「唐代伝奇」関係の志怪小説で、短編として面白い作品が多く、ネットで探してきて集めて読んでいました。また、井上靖『天平の甍』や『楊貴妃』を読み、このために、唐代の方に興味を持つようになりました。

 当時の三国志界隈の状況について

 なお、三国志関連本や小説はたくさん出ていたのですが、同じような書籍が多く、小説は正史を想像だけで膨らませただけのものであることが分かっていたので、それほど新しい知識が入るわけでもないので関心が薄れました。
 三国志に関する歴史解説本も多く発行されましたが、三国志演義をベースにして解説したものや三国志演義と正史との違いを繰り返して、魏や呉をほめたたえ、蜀漢を否定するばかりで、そのくせ、その前後の中国史を無視しているものも多く、重複した知識や偏った知識が余りにも目立ち、知的好奇心を満たせないために、かなり敬遠するようになりました。
 特に1994年に連載開始していた『蒼天航路』もはじめは面白かったのですが、赤壁の戦いあたりから、三国志演義や呉・蜀の人物(特に劉備と諸葛亮)をバカにしているとしか思えない部分も多く、曹操を持ち上げたくて仕方がないとしか思えない作風や歴史評論家気取りしか思えない作者の後書きもあり、まるで蒼天航路が描く曹操を称えるための布教活動書に思えて、赤壁終了以降を読まずに、コミックスを処分しました。(改めて全て読んだのは2010年代)
 また、この頃にパソコンでネットを見始めたのですが、当時の三国志サイトや「2ちゃんねる」の「三国戦国板」に代表される当時のネット上の三国志界隈は三国志演義への非難や蜀漢の人物が高評価すぎると何度も繰り返す人、三国志演義にだまされている人間が多いから正史三国志を教えて目を覚まさせ、曹操や魏の人物の方がいかに優れているかと教えねばならないという人が余りにも目立ち、後に「正史十字軍」、「曹操信者」と呼ばれる存在となる人々が横行していました。
 はじめは彼らに一部賛同していたのですが、三国志演義に関して、蜀漢の人物に都合の悪い部分、魏の人物や曹操に都合のいい部分は分かっているはずなのに、そのまま信じて評価につなげようとしたり、布教の結果により生まれた『蒼天航路』を全て正史そのものと信じる追随者には何も言わないどころか、彼らが、蜀漢を擁護する人や三国志演義やそれをベースにした小説・ゲームを楽しんでいる人を攻撃している時に、あおっていたりしているようにしか見えないことが余りにも目立ちました。
 私はそこで、蜀漢が好きなのもあって、三国志への関心をほとんど失って離れるようにしました。

当時の中国史のネット状況について

 中国史の小説で好きな作品はほとんど読み、三国志関係は読まないこともあって、しばらくは新書で中国の文化や人物、文学に関する書籍を買って読むだけになりました。
 ネットで三国志以外の中国史サイトも見たのですが、どうも全体的に人気もないらしく、メーリングリストも機能しておらず、サイトの掲示板も李世民の評価などがきっかけになったのか崩壊していました。
 また、関心のある時代のサイトは内容もそこまで充実していません。そこで、中国文学を翻訳したサイトばかり見ていました。
 少し先の事になりますが、2006年に、2ちゃんねるで「中国英雄板」というものができて、はじめは会話が成立したのですが、書き込みが少なすぎた上に、途中から運営のやり方が悪かったのか、人数が少ないなかで自治をしたがる人間の声が大きすぎたのか、中国名将を100人選ぶ企画のスレの初期以外はほとんど機能しませんでした。
 スレが順調に動くと、知識がないが主導権を握りたがる数人(自演していた可能性もありえる)人間があらわれて、大体、機能しなくなります。
 荒らしは放置といわれても、数レスに一度が荒らしなら機能するはずがないです。
 彼らは大体が曹操か光武帝を「神格化」といってもいいぐらい称揚していて、それを正しい歴史だと思っているので始末に負えません。彼らの項羽・劉邦(この二人はまだましですが)・劉備・関羽・趙雲・諸葛亮・李世民に対する非難は本当に歴史的見解としても、会話としてもひどかったです。荒れると言われる「三国戦国板」の方がずっとましだったぐらいです。

 「中国英雄板」が数人の人の要望により、できたとは聞いていて、その要望したと思われる方も中国史のサイト・ブログを見ている関係で推測できたのですが、なぜ、彼らがこの状況をなんとかしようとは思わないのか不思議に思っていました。
 おそらくは、彼らによってブログまで荒らされるのを恐れているのと、曹操や光武帝のファンサイトは、当時は大手であり、彼らと相互リンクしていることも多かったので、サイト主が彼らと一緒に書き込んでいる可能性も考えて手を出さなかったのではないかと思い当たりました。
 これは邪推かもしれませんとは思いましたが、疑念は晴れません。彼らがそういう人たちがいることよりも、三国志演義を信じている人たちがいて問題だと会話しており、私にはネットのテキストベースではもうそんな人はいないのに、彼らが問題から逃避しているのではないかと考えたこともあり、中国史サイト・ブログに対しても距離をとりたく感じました。
 この時の曹操・光武帝に関する完璧超人であるというネットの評価と、この時の中国史大手サイト・ブログへの思いはずっと後まで(今でも)引きずることになります(笑)

 創作活動を決意する

 そこで私は自分が楽しめる空間を自分でつくろうと考えました。
 中国史のサイトやブログは、もはや新規ではそれほどビュー数は高くなりません。2ちゃんねるでは世界史板で有名だった固定ハンドルネームのサイトも余り高くなかったです。また、当時はたくさんの人が利用するSNSもなかったので、コメントも期待できず、モチベーションがあがるはずもありません。
 そこで、私は創作活動を行うことを決意しました。同人誌では二次創作以外は余り売れませんし、反応が期待できないので、小説の投稿をやってみようと決意しました。
 これは、2003年ぐらいのことと思います。(平行してネットも見ていたので、時期はかぶっています)

 次回はこちらです

よろしければご覧ください。

 

 
 

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