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三国志後伝の挿絵と人物紹介7

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の7枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

口絵7

司馬亮(しばりょう)字:子翼(しよく)

年齢:55歳ぐらい
血縁:司馬懿の子、司馬昭の弟
所属勢力:晋
智:5
武:2

晋の八王の一人です。汝南王に封じられ、許昌を守っていました。世人からの人望があり、老成した見識を有しているという評判がありました。武帝(司馬炎)から楊駿や衛瓘、張華とともに彼に後事を託すことを望まれましたが、楊駿に阻まれて、洛陽から出されました。楊駿の死後、太宰(たいさい)に就任しますが、権力を独占し、諫言を拒否するようになります。兵権を任せた楚王(司馬瑋)を外に出そうとしましたが、楚王が賈皇后(賈南風)に讒言したため、捕らえられます。無実を訴えましたが、公孫宏に殺されます。

司馬衷(しばちゅう)、字:正度(せいど)

年齢:22歳
血縁:司馬炎の長子
所属勢力:晋
智:2
武:1

西晋の二代皇帝である恵帝(けいてい)です。武帝の長子であるため、太子に任じられます。この時、すでに皇帝の責務に耐えきれないという評判があり、武帝は太子を廃そうとしますが、決断はできませんでした。気が弱く、頭の回転がにぶかったため、皇后の賈南風に操られ、有力な家臣に対する処刑の勅命を次々と発し、一族の争いは絶えることはありませんでした。趙王(司馬倫)に帝位を降ろされましたが、また復位しました。その後も北漢の侵攻や八王の乱は止むことはなく、最後は東海王(司馬越)に毒殺されました。

賈南風(かなんふう)

年齢:24歳
血縁:賈充の娘
所属勢力:晋
智:6
武:2

恵帝(司馬衷)の皇后です。後の恵帝が太子となったため、太子妃となりました。男子が生まれないことに怒りを覚え、恵帝の子を宿した側室を戟(げき)で刺し殺したこともありました。恵帝の即位後に、美少年を後宮(こうきゅう)に引き入れて姦淫(かんいん)にふけります。晋王朝の権力を握る楊駿を、孟観と謀って殺害します。続いて汝南王(司馬亮)と衛瓘を殺し、実行にあたった楚王(司馬瑋)も殺し、晋王朝の実権を奪います。太子であった司馬遹(しばいつ)も殺害しましたが、趙王(司馬倫)の決起によって捕らえられ、毒殺されました。

司馬瑋(しばい)字:彦度(げんど)

年齢:10歳
血縁:司馬炎の子
所属勢力:晋
智:3
武:4

晋の八王の一人です。楚王に封じられ、樊城を守っていました。若くして王となったこともあり、軽率な性格でした。楊駿討伐のため、賈皇后(賈南風)の誘いに応じ、軍を率いて洛陽に赴きます。孟観・東安王(司馬繇・しばよう)とともに、宮廷の軍を率い、楊駿を捕らえました。その後、宮廷の兵権を握ると、ほしいままに振る舞いました。汝南王(司馬亮)と衛瓘が自分を外に出そうと図ったのを知ると、賈皇后に讒言を行い、二人を処刑させます。やがて、賈皇后に讒言を気づかれ、張華の策略により捕らえられ、処刑されました。

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