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「人」を好きになるということ

人たらし。ぼくは、仲良くなった人によくそう言われる。

「恋愛観」というテーマでつづり始めるにあたり、まずは自分の人とのかかわりについて振り返ることから始めようと思う。

もともと人とかかわることが、特別得意ではなかった子ども時代。三兄弟の長男として生まれた自分は、いつも親戚を前に「長男として」「立派でなければ」というものを求められてた、というかそう勝手に感じるような子どもだった。そうでなければ、自分じゃない、という思いをもつようになっていたとも思う。

そこからだと思う。相手にとって「楽しい人」であることが大事だと考えるようになったのは。いつしか、相手の「楽しい」が自分の「楽しい」に感じられて、相手の「好き」が自分の「好き」に感じられることが日常となっていたと思う。自然と。


人たらし。ぼくは、仲良くなった人によくそう言われる。

そんなかかわりをする中で、その感情を伝えられることもあった。とてもうれしかった。自分の感覚が認められたような気がしたから。そして、付き合うこともあった。いわゆる、恋愛関係になっていった。

恋愛、は「恋」に「愛」と書く。それぞれのことばの意味は知っている。だからこそ、”そういう関係になった相手”のことを一番に考えた。でも、ぼくはどこかで人の「楽しい」を自分の「楽しい」に感じることで自分らしくいられたと思っていた。だから、ほかの友だち、飲み屋であった初めましての人とも、「楽しい」時間をつくろうとした、し、してしまった。それは”ぼくを好いてくれた人”が望む”ぼく”ではなかったのかもしれない。それで、別れたこともあった。

ぼくは「人」が好きなのである。ただ、「特別なあなた」を好きになる感覚は、人と違うようにも感じる。これを機に、「恋愛観」について整理してみようか。


人たらし。

それは、ぼくのことを好いてくれる人がぼくの人とのかかわりに対する注意喚起のことばなのかもしれない。

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