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からむ手/からませる手

高校時代、先輩に恋をしていた自分は叶わないことがわかっていた。
だからそれを恋だと思わないようにしていたんだろう。
熱く重い恋でしかなかったのに。

大学に入ってローンを組んで買ったパソコンがゲイの道を大きく切り開いてくれたといっても過言ではない。とはいえ意気地のない自分は、ネット上でやり取りはするものの実際に会うのに躊躇していた。当時の自分に言ってやりたい。何ビビってんだ。その真面目な仮面をかぶった臆病さが自分を滅ぼすことになるぞ、と。

「初めての相手は好きな人としたい。」
今思えば笑えもしないようなことを思っていた。今までまともな恋愛ができてなかったからそんなことを思ったんだろう。ゲイの恋愛なんて、HotDogにマニュアルは載ってなかった。
ゲイの世界をネットで覗いている反面、実際の世界では普通の人を装っているから、ごちゃごちゃになっていた。女性と付き合いつつ、女性とのセックスもするなら好きな人がいいと選んでいた。実際、女性との初めての経験は好きな人とすることができた。人間的に好きな人。物理的に気持ちよかったから最後までいったけど、なんか違うってやっぱり思った。

男性相手の初めては、好きな人とではなかった。
もう顔は忘れてしまった。社会人の27歳(今思えばあやしい)。中京地方に住んでいる人で、仕事で東京に来るからご飯でもしないかと誘われた。早い時間に食事をして、野球でもどうかと東京ドームに行った。巨人がどこと試合していたかも覚えていない。7回が終わる頃、そろそろ行こうかと言われて席を立つ。終電あるんだろうなと思っていたら「地下に車を止めてある」と言われて驚いた。すごいな、車で来たんだと地下に行ったらそこで軽くしない?みたいな話になった。さすがにそれは断った。でも、結局その人のとっているホテルまでついていった。どんなことしたかも覚えてない。

その日からしばらくつきまとったのは、罪悪感だった。男性とセックスしたかったのに。気持ちよかったのに。
何に対しての罪悪感だったんだろう。多分それは、世間様への罪悪感。イレギュラーなことをしてしまったと言う思い。そして、親への罪悪感。ごめんなさい、僕はとうとうどっぷりホモの道を生き始めてしまいました。そういう思い。

その罪悪感もしばらくすると性欲の影に隠れてしまう。罪悪感は別に小さくはなっていない。性欲がそれより大きくなっているだけ。だから、お酒でそこそこ酔っ払って罪悪感をないものとしてセックスする。罪悪感なんて感じなくていいんだよ。少しくらいはいいけれど、それで自分の価値を落としていかなくていいんだよ。

大学の終わりに彼氏ができる。この彼氏は自分自身としっかり向き合う人で、年下なのに尊敬できた。中途半端だった自分はそのしっかりした彼が眩しすぎた。重かった。結局数ヶ月で別れてしまうんだけれど、その彼と付き合ったことは素晴らしい経験だった。しばらく経って風のうわさで彼の話を聞くたびに誇らしさとその頃の自分の未熟さを思い出す。その彼のように生きたい、と今は思う。
その彼ときちんと向き合わずに別れた自分は、軽く自暴自棄になり(その理由はもちろんそれだけではないが)、大学卒業の頃からちゃんと生きなくなった。ゆきずりばっかりしてた。彼氏もできるけれど、好きなのか、愛しているかなんかわからない。ただ単に顔がいいだけだったのか、お金持ちだったのか、社会的ステイタスがあったのか、自分のことを好きでいてくれるだけとか、バブルの頃に遊びまくっていた人のクソみたいな話のようだ。時代は相当な不景気なのに。

自分は顔がいいとか身体がいいとかそういう感じではないので、一般的なやりまくりだったというわけでもない。だけど、自分の中では相当なあばずれだった。笑えるけれど、その時は自分は不良になってしまったと思った。そして、それがだんだん心地よくなる。よく考えることをしないで、反射的に行動するようになってしまう。

大学時代にその彼と別れてから、20代後半までは恋愛は駆け引きのゲームだった。スリルを楽しんでいた。恥ずかしながら、その9割以上が若さという魅力なのに気づかず。いいと声をかけてくれる人(特に年上の人)には負けないゲームを仕掛けた。まるで向こうから声をかけてきたように仕向ける。それで自分がモテている気になっていた。からまれているように見えるように自分からからんでいく。太陽の方には決して伸びていかない、たちの悪いツタのように。

振り返れば、だけど。

ちゃんと友達を作っておくんだった。いや、友達はいた。友達とちゃんと付き合うべきだったと言ったほうがいい。全部自分の自尊心というか小さな小さなプライドの問題。自分が十分に心をひらいてなかっただけ。恥ずかしくて、相談なんてできなかった。相談するということがなんか負けた感じがした。いい子でいなくてはいけない病が出てしまっていた。友達にすらマウンティングしないといけなかったなんて本当に馬鹿らしい。
そういう話も含めて、腹を割って話していれば自己肯定感も削らずに済んだし、やった男の本数で自分を評価しなくて済んだ。

20代の恋愛観がこんな破茶滅茶だったなんて、その当時は思ってなかった。というより、自分の気持ちにちゃんと向き合ってなかったんだろうな。

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