視覚障害者(53歳)のバランス感覚

職場から駅までの帰り道、
ちょっと不思議な体験をしました。

「どちらまで行きますか?」
と声をかけてくれたのは、声の感じからしてワタシより年上の男性。
「あ、神田駅までなんですけど、この道は慣れてるんで、大丈夫す。ありがとうございます。」
と答えたのは、ここんとこ陽が短くなってスマホ歩きなどされてる方を自分で避ける能力が乏しいのを実感して
歩きながら白杖で軽く地面を叩いて、
ここに視覚障害者歩いてますよと音のサインを発するワタシ。

「あ、そう。あ、はいはい。」
とサポートの厚意をかわされても感じ良く返事をしてくれて大人な会釈を交わした後に
前を歩かれるその人の後ろ姿は肩にかけたトートバックがキマっている大手町のビジネスマンそのものという感じ。
その大手町おじさんの背中が醸し出してる優しさを目印にして
何となくな安心感で何気に歩調があったままに
一定の距離を保ちながらなのに何となく繋がっていた10メートルほどで、
ムンずとおじさんは振り返り、
「信号いくつかあるから、そこの辺までは案内するよ。」
とのこと。
「や、ほんと大丈夫なんで、、慣れてますんで。」
とは口からは発さずに心のところで押し殺して、
「あ、しゃ、すいません。お願いします。」
2回目のアプローチに折れるというか、
ありがたいお気持ちに応えるというか、
推しに押される形で、その知らないおじさんの肩に手をかけて
今度はリアルに繋がったのでした。

「いつも、どうやって神田駅まで?」
という質問に、ワタシのいつもの帰り道をサクッと答えると、
「あ、あの松屋んとこ右に曲がって商店街をまっすぐね。」
その方もいつもそう帰ってるというようにサクッと共有できて仮名だった大手町おじさんは、
正式に大手町おじさんになる。

その人もいつも神田駅を利用していること、
神田駅から京浜東北線に乗ること、
職場がワタシと近いこと、
ワタシは三郷に帰ることなんかをサクサクと会話しながらで、
その人がどこに住んでるとかの事実なんかよりも大切な
相手の雰囲気を共有し始めたところで、
「ここをさ、ちょっと右に入って良いかな。」
と肩に手で繋がってるだけにNOはほぼない質問を受け、
松屋のずいぶんと手前で、いつもとは違うけと神田駅方面には間違いがないのでYESとして、
着いていきます。

すると、またすぐに、
「ここをさ、左に行くのね。」
として曲がった道は用でもなければ入らないし、
用があってもワタシ1人では入りずらい細い道で暗い道。
「暗いっすね。」
と言葉で発したか発さなかったか覚えてはないんですけど、
暗かったです。
だけど、この道も方面ってことなら神田駅には向かってるのは間違いないし、
誘導してくれる人がいるので不安があったわけでもありませんでした。

この辺から、大手町おじさんの不思議ぶりは完全に匂ってるのですが、
次の言葉でワタシの脳の中の目でで不思議ぶりを直視することになります。
「ちょっとここでさ、タバコ吸わせてもらって良いかな?」
と申される。

「ぅえっ?」
って発したか発さなかったか、
でも、とってもで、
「ぅえっ?」
って思いましたから、発したと思います。
そう思ってる0.5秒くらいの会話の隙間に選んだワタシの答えは
「あ、や、ど、どうぞ。ここまっすぐ行けば商店街っすよね。こっからあとは1人で行けるんで、」
と伝えました。
細いのと暗いのと初めての道とで1人で歩くのは不安の三重苦なんですけど、
「てかなんで、あなたのタバコに付き合わなきゃいけないの?」
としたワタシにとって真っ当なフレーズは
このおじさんには通用しないのかしら?という真正面からの勝負のような検証は避けて、
この不思議な空気に付き合う不安から逃げて三重苦を行く選択したわけです。

すると大手町おじさん、
「あー、大丈夫大丈夫。タバコなんて吸わなくても死にやしないから。」
として一度肩から下げたトートバッグを今一度チャっとかけ直して、
「そうそう、これまっすぐ行けば商店街だから、じゃ行こ。」
とワタシの心の声が聴こえたかのように言うので、
再びワタシは繋がることにしました。
その途端です。
繋がった途端です。
その舌の根が潤いまくってるうちに
「あ、ここを右ってのもあんだよね。」
として大手町おじさんはYESNOも聴く気なんかゼロって感じで、
右に曲がるのでした。
その道がまた暗いんです。
店なんかないんです。
でまた細い。
人は歩いてなんかない。
不思議が終わらない。

不思議から脳の目線を逸らしたいからだったと思います。
「あんなところにタバコ吸えるところがあるんですね?」
なんて質問をしてYESの答えが返ってくるだろうと予想したワタシの問いに大手町おじさんは
「や、あそこ駐車場でね。ダメなんだけど、ま、人いないからさ。」
と堂々とNOの答えをぶち返してきます。
あまりに堂々とした答えに愛煙家の悲哀みたいなものを感じちゃったフリをして、
「タバコ吸う人たちも大変ですよねぇ。吸うところってほんと無くなっちゃいましたもんねぇ」
とベタな会話に持ち込んで不思議を無視しました。

勝手に右に曲がってからは、
露骨に歩くスピードがスローにギアチェンジしてる大手町おじさんは、
「ねぇ、本当にさぁ、ふ〜〜、
なんかねぇ〜〜、肩身狭いっていうかねぇ、ふ〜〜」
って、

おタバコをお吸いになられてるのです。
「てか、タバコ吸ってますよね?」
とは言いませんでした。
「死にやしないって、、」
言わなかったですけど、大手町おじさんは1分前に言ってました。
「肩身広げてんじゃん」
「何なら、肩身ではばたいてんじゃん」
「タバコのためにこの道が選ばれてんのね」
「てか、歩くのスゲーおっせーんだけど」
「何なの?この時間」
「で、だれ?あなた」
「オレ、なに?」
心ん中で大騒ぎです。
なかなかに不思議なおじさんでした。

その翌日。
たまに世話になってるラフィネでボディケアを受けながら、
「昨日、不思議なおじさんに遭遇してね、」
として不思議の一部始終を話したんです。
いつも指名をしている長い付き合いのセラピストは、
「えーー!」
「何か取られたりしてませんか??」
という反応だったんです。

「ん。何も取られてないよ。」
と平然と答えたのですが、
「何か取られたか?なんて考えもしなかった。」
と思ったのに、それは発さずに、
60分揉まれてでカラダは軽くなったのに、
もしやで財布が取られたりして。なんて想像がもたげてココロは重く。

会計の時にバックのいつもの場所に、いつもの財布の感触を確認してホッとしたり、
彼女が心配してくれたことを自分は一切感じることがなかったことの恐怖にホッとしなかったり。

厚意は、
ありがたいと言えば、ありがたくて、
あの人の行為は、
怖いと言えば、怖くて。
案内されることで帰りが遅くなるのは、
嫌と言えば、嫌で、
暗いところを案内してもらえるのは、
ありがたいと言えば。ありがたくて。

「発する」ことと「発さない」ことのバランス感覚。
50歳を過ぎてもまだまだフワフワしたり、
ユラユラしたり。


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