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ラジオ「伊集院光とらじおと」

昨日、眼科の診察で病院に向かう電車の中で、
いくつかある好きなラジオ番組のうちのひとつ、
「伊集院光とらじおと」
の中の、
「伊集院光とらじおとゲストと」
ってコーナー。

とってもわかりやすく言うなら、
「徹子の部屋」
のラジオバージョンで、
「伊集院の土俵」
にゲストを呼んでトークっていう相撲を取る。
みたいな感じのコーナー。

で、その伊集院ってベテラン力士がいい取組をするんです。
勝ち負けなんてのは置いといて、
相手の得意の組手を取らせて、
相手力士の良いところを引っ張り出すために、
押したり引いたり。
魅せるんです。

そもそもワタシは伊集院って力士が好きなんですけど、
伊集院との取組を観て、や、聴いてると、

そもそも良く知ってる有名力士でも、
(あー、この力士って押すことしかできないかと思ったら引きも出来るんだな)
とか、
(あー、小結までくるにはこの力士もこんなに苦労してんだな)
とか、
(あー、この力士ってこんなにも相撲を愛してんだな)
とかってのが耳からココロに入るんですよね。

で、昨日は全然知らない力士。
って、相撲に例えるのもうやめますね(^^)

ゲストはワタシは聞いたこともなかった
松木いっかさん。
という漫画家さん。
26歳。

(知らねーな)

って思っちゃうと
好きなコーナーなんですけど、

(変えようかな)
って思う。

でも、お笑いのネタ番組なんかで、
(知らねーな)
ってピン芸人が出てきて同じように思った時に、
(変えようかな)
って思っちゃったもんだから変えちゃって
適当な番組に適当に付き合ってる間に、
ツービートのネタが終っちゃってた。。

みたいな苦い経験はしたことあるから、
(ま、そのままにしとこ)
って、そのままにしといたら、
全然聞いたことないし、期待薄そうな
ミルクボーイってのが、
(あれ?オモロイじゃん!)
(あれ?オモロイじゃん!)
って2回繰り返しちゃうようなことの経験もあるから、

(松木いっか。。まーいっか)
って小梅太夫ばりにオモロくない整理をつけて
そのまま聴きました。


結果なんですけどね。
オモロイ!ってわけじゃないんですけど、
この回に出会って良かったなって思わせてくれる
ステキな会話が土俵で行われてて、
完全に見入った。や、聴き入ったんです。

この漫画家さんですが、
ヤングマガジンで、
「ブクロキックス」ってのを連載してるんだそう。
その漫画の舞台は、
ブラインドサッカー。
いわゆる人体の中でスポーツに最も重要そうな、
視覚という道具を用いずに
サッカーをやるという競技。
視覚障害者の人はもちろんなんですけど、
眼が見えるという方であっても参加できるスポーツ。
ただ、目を塞ぐという道具でもって、
視覚を用いないという状態を作って、
人体が有するそれ以外の感覚を使ってサッカーするんですよね。
ワタシはテレビで、
「こんなスポーツが」的な紹介で鈴が入ったボールを使って、
やってるのをチラッと見たことがある。
多分、それくらいの認識の人が多いと思います。

で、
ビックリしたのは、
伊集院ってベテラン力士!!
ブラインドサッカーという組手も出来るんです。
いっか富士から、どんどん引き出すんです。
で、いっか富士も伊集院関ってこんな相撲まで取れんの?
ってちょっとビックリしつつ、
慣れてないラジオって土俵なんだけど、
伊集院関に
「おいお前!ここのマワシ取れ!」
って、マイクでは拾われない小声で、
こそっと言われてギュッと掴んでだら、
ちょっと自分の型でそのマワシを絞ってみたりして、
ちょっとづつ嬉しそうに相撲取るんです。

すいません。
また相撲なっちゃいましたm(__)m
いっか富士か、いっか海か、琴いっかか、
悩んだりもしました(^^)

で、
そもそもブラインドサッカーをスポーツとして単純に面白いと理解している。
大好きだとも言われてた
伊集院さんは松木いっかさんとのトークの締めくくりで、
こんなことを言いました。

漫画というある意味では目の見える人が楽しむ媒体で、
いっかさんはどんどんブラインドサッカーを広めてほしいし、
なんならブクロキックス100万部とか売れてくれ。

オレは、ブラインドサッカーという目の見えない人でも楽しめる競技だからこそ、
ラジオって媒体を使って、
ブクロキックス応援してくし、ブラインドサッカーの面白さ伝えてく。
それがラジオって場所で仕事させてもらってる役目だとも思ってる。


なんてことだったと思います。


(カッケーな)

って思ってですね。

(嬉しいな)

とも思ったんですよね。


それってのは、
伊集院さんて52歳だったかな?
この年頃で2歳くらいは記憶違いの範疇みたいなもんですから、
同い年みたいなもんです。
その同い年の伊集院光という男は
きっとラジオって場所で、
80なっても90なっても、
喋ってんだろうな。
喋ってて欲しいな。
で、
きっとオレの横にはラジオがあるな。
テレビの面白さは、もしかしたら視覚の問題で
半減してるかもしれないけど、
ラジオの楽しみ方はオレは知ってるぜ。
伊集院関がどんな相撲取ってきたんだか。
オレは聴いてんだぜ。そん時に。

松木いっか?大御所らしいけど、
ブクロキックスの1巻から読んでだからな。オレは。

って言ってんじゃないかな。

そんな光景が未来にあるとしたら、
(嬉しいな)
って思えたんです。


生理学や解剖学って教科書で、
人体ってのはこういうことだ。
って人体の神秘と、病の厄介を学んでいますが、
教科書にあるようにカラダの仕組みは同じようであっても、
人間が人として輝く場所とか、
誰がどんな風にして誰の役に立つのかとか、

それは、同じじゃなーな。
同じじゃないってのは、
それぞれにいっぱいの可能性があんだよな。
それはそれで、
神秘だな。
なんてことを思ったり、

ワタシは何が出来るかな?
改めて「そんなこと」を考える機会であり、
「そんなこと」の可能性を後押ししてもらった気さえ、
勝手にしたりしました。

この機会も
よくよく考えてみれば、
小梅太夫ばりの
(まーいっか。)
って整理のおかげ。

感謝のしどころが多すぎる体験でした(^^)


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