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認知症【にんちしょう】

先週の週末から昨日にかけてで、
名古屋ー大阪ー神戸と巡って、
仕事で知り合っただけだったのに、
どっかでそれを超えて通じ合える人たちと酒を酌み交わしてきたんですけどね、
それぞれの方達とのバカだったりアホばっかりの話たちを
白いご飯でパツパツの弁当箱に例えるとするなら、
ど真ん中の真っ赤で小さな梅干しくらいのサイズの話が、
美しかったり、
輝いてたりで、
その梅干しの種くらいのサイズの話には
愛【あい】
っていうか、なんつうか、、
あったかくて。

その愛をおかずにしてバカ話をモリモリ食うっていう、
そんた今回の旅も梅干し一個の愛で白いご飯のバカ話で存分に酔っ払えるって可笑しな例えですけど^^;
肝臓と胃袋とココロをいっぱいにして帰ってきました。

で、今日の臨床医学各論では、
認知症【にんちしょう】に入りました。
ワタシの親父も確実に認知症と思える症状がアリアリなので、
より興味深く聴いてたんですけど、
アルツハイマー型ってのは耳にしたことはあるかと思うんですが、
他にも、
脳血管型、前頭側頭型、レビー小体型に分類されます。
どの型でも認知症というくらいですから、
いろいろ忘れちゃうわけです。
ご飯を食べたことや子供の名前なんかも忘れたり子供であることも忘れてしまったり、
なんとも家族や本人にとっても悲しいことなわけですけど、
今日改めて学ばせてもらってで、
なかなかに衝撃的にズドンと響いたやつが、
人格変化【じんかくへんか】
という症状なんです。
この字面の通りに人格が変わっちゃうんです。
「人が変わったかのように、」
なんて比喩がありますが認知症の場合は、
人が、、変わるんです。。
変わってしまうんです。。

先程あげた4つに分類される型のうちの
前頭側頭型認知症の場合、
この人格変化が顕著なのだそうです。

攻撃的になって暴力をふるったり、
礼儀みたいなやつがなくなり万引きしちゃったり、
騒々しく人に迷惑をかけたり、
不潔な生活をなんとも思わなくなったり、、

そんなことするはずのない人が、
そんなことをする人に
変わっちゃう。

これ、、

(キッツイわ。。)
(なんで、そんなんさせんだろ。。)
(キツすぎるわ。。)

ってズドンっていうかムギュっていうか、、
重いっていうか刺さるっていうか、、
本人も家族も痛い。
痛すぎるよー!
って、誰かに頼んでその型はもうやめてください。
この世から無くしてください。
って手土産でもなんでも持ってお願いにあがりたいくらいですけど、
その誰かってのが誰なのかわかんないし、
多分その誰かんところに駆け付けてもお願いなんかきっと聴いちゃくれない。

なんてことを思ってるとですね、
人の人生なんてものは、
博打【ばくち】みたいなもんだわな。
って思えちゃったんです。
ま、博打なんかじゃないんだろうし博打だなんて言うこともないんでしょうけど、
でも、
自分のカラダにどんな病がやってくるかなんて、
わかんないし、
(やめて)ってどんなにお願いしたって聞いてはくれない。
競馬みたいにこの馬が強いとか血統が良いとか、
体重が増えてるとか減ってるとか、
艶が良いとか悪いとか、
前走はイイ走りをしてたとか距離が合ってるだとか、
いろいろな情報をインプットして当てに行くわけですよね。
でも、
わかんない。
で、
だいたい当たらない^^;

人のカラダもどんな食い物が良いとか悪いとか、
運動が良いとか運動し過ぎは良くないとか、
酒は?たばこは?
なんた?どうだ?こうか?そうか?
みたいな情報や過去のデータはいっぱいある。

それをインプットして、
いつもそれに忠実に生活してるあなたには、
認知症はやってこない?
人格変化はやってこない?
絶対?
絶対の絶対?

って問われたら、
それは、
わからない。
わかるわけない。

博打みたいなもんですよね。
来年の自分が健康でいられる保証なんかない。
カラダは元気でも認知症になれば、
ワタシは誰かに暴力を振るったり万引きしたり、
お世話になった人たちへの礼儀を忘れるどころか、
お世話なった人たちを忘れたり。
ワタシはワタシではなくなってる可能性が、
ほぼないけど、
なくはない。

(博打みたいなもんだな。)

って。

そう思えたら、

(のんびりしてらんねぇな。)

なんてことを思ったんですね。
それは、
間違いなく、
名古屋ー大阪ー神戸で交わしたバカ話のせいで、
またそのど真ん中の真っ赤な梅干しのせいでもあって、
ワタシの弁当箱の真っ赤な梅干しんところってなんなんだろう?
それで誰をお腹いっぱいにしてあげたいんだろう?
や、
オレは梅干しじゃなく、
赤ウインナー?タコさんにする?
鳥の唐揚げ?
しょうが焼き?
マルシンハンバーグ??
バカ話のおかずとなるワタシはなんなんだろう?
ワタシの梅干し?その種?
ワタシの愛ってなんなんだろう?

とかって愛なんて言葉使ってこんなん書いてるのが自分自身で気持ち悪すぎるので、
もう1人の自分が出てきてくれて、

(人生なんて博打なんだよ。)
(博打なんだから買わなきゃ当たらねーだろ!)
(なに買うんだよ?)
(買えよ。買うんだよ。)
(なに外れるのビビってんだよ!)
(オマエ、愛とかって宣っちゃってるけど、、)
(オマエがオマエでいられる時間はオマエが決められるわけじゃねーからな。)

って、なかなか手厳しい。
でも、そんな自分よりも、
認知症はなかなか手厳しいし、
ワタシの緑内障だってなかなか手厳しい。
どんな病もそれはそれで手厳しいものですよね。

でも、
人は優しいっすよね。
ワタシの手を取って誘導してくれる人がいる。
目が見えなくても音で聴けるようにと本を朗読してくれる人がいる。
その病に打ち勝つべく研究に没頭してる人がいる。
人は優しいっす。

まず真っ先に買う馬券があるとするなら、
自分が誰かに
優しくできるうちに、
優しくする。
ってそんな博打。
ちょっとためらうんだけど、
優しくする。
誰かを
認知【にんち】する。
その人を知り、
その人を認める。
そんな優しさ。

この馬券はやり方間違えると外れるんでしょうけど、
ほぼほぼ当たりそうですもんね。


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