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変わらないけど変わった

まさかだった。
まさか20回目の8月9日を泣きっ面で迎えるとは夢にも思ってなかった。

8月8日の夜は風が吹いていて心地よかった。
23時頃、ベランダに出るとセミだけは穏やかではなかったが風に揺られる木々の音はよく聞こえて落ち着く。
ベランダでそのままお気に入りの首かけBluetoothイヤホンを耳にはめる。(ちなみに完全独立型のBluetoothイヤホンは半年で2回失くして、壊したから首掛けに限る。)
大好きなSUPER BEAVERのプレイリスト。

1曲目:「アイラヴユー」
2曲目:「あなた」

と聴いて

3曲目:「361°」

この曲が耳に流れてきた辺りから涙が溢れてきた。そして、曲が終わる頃には涙が止まらなくなっていた。途中過呼吸気味になり、涙は止まるどころか勢い増して溢れてきた。プレイリストを止めた。

必死に涙の理由を探ったがわからない。
少なくとも感情はぐちゃぐちゃだった。


10代もいよいよ終わりが見えた先月、7月。
去年の8月に起業してから今まで「代表取締役」という責任を理解せず、実感できずにいたのだが、初めてその重みを感じた。
仲間を、ここまで一緒に活動してきたパートナーを1人、
アソリアの活動から外れてもらう決断をした。

色々な理由が複雑に絡みあっていて全てを説明できないけど、簡単にいうと「アソリアとして目指す地点を共に見ることができなくなった」から。

設立してからの約1年で自分の想いは、ワークショップ開催や大学での学び、新たな出会い等を通して、より強固になり、深みも増した。自分の中で「対話」という言葉が深く浸透したのだ。自分自身「アソリア」を愛せるようになってきた。それに伴って届けていきたいものも明瞭化した。

個人の能力に依存しない対話の場を創る
つまり、「聴いてくれた/聴き切ったという成功体験」を届けよう

ここに彼の気持ちはついてこれなかった。
正直、彼とは長い付き合いだし、活動始めた当初から
「関係性にあぐらをかかずにしっかり対話をしていこう」
と言っていたし、実践できているとも思っていたから慢心があったのだと振り返る。対話は心理的安全な環境でないと成り立たないと思っていた。しかし、対話することが必ずしも双方にとって心理的安全を感じることだとは限らないのだと気付かされた。

このまま無理に進めてもお互い幸せじゃないよね

最後はしっかり時間をかけて話をして確実にお互いが納得して別れた。
納得したとはいえ、重かった。辛かった。初めて肩書きの重みと対峙した気持ちになった。

ただ、この決断に至るまでには1人で考えるだけでなく、心底信頼している大人や大学の教授にも相談をさせてもらった。感謝は尽きない。

一方で、1人になることはなかった。
新しく仲間になってくれた人がいるから。
本当に嬉しかった。

同時に不安も大きかった。実のところ不安や恐怖の方が大きかった。

また2人になるという不安
また繰り返してしまうんじゃないかという恐怖

喜びと安堵、不安と恐怖で複雑な心境だった。
そんな中、イベントのお誘いをもらった。

このイベントで個人としてではあるけどアソリアのワークショップでも行っている、ブレストと推理要素を足したチーム対抗のゲームを「アイスブレイク企画」という形で提供させてもらった。

この企画に「新たな2人」で臨んだ。

結果。これまで抱えてきた不安や恐怖が消えていき、本当にこれから一緒に「対話の場」を作っていきたいと思えた。一気に肩の力が抜けた。
このイベントにメンターとして参加した友人は彼女の存在は「宝」だと思うと言ってくれた。本当にそう思う。まさに「宝」。

アソリアが自分にとって非常に大事で大切なものになった
だからアソリアを大切に思ってくれる人は大切にしたい
アソリアで活動してくれたり
一緒に仕事をしてくれる仲間はもっと大事だし守りたい


新しくパートナーになってくれた人だけじゃない。
この1年だけで見ても「大切」が爆増した。
人も、想いも、場所も。

自分をものすごく大切にしてくれる人がいる(1人でもありがたいのに1人だけじゃない)
「対話」へのこだわりが増した
落ち着く場所もある(はぐくむ湖畔、ここも今のパートナーが連れてってくれた)

自分は大切にされてる。愛されてる。
本当に人に恵まれてる。
最近やっと実感できるようになってきた。

だけど、なぜか、、なぜか、、、気持ちが追いつかない。

自分の中で愛してほしい、わかってほしいが上回ってる気がする。
それを素直に表現できないくせして、人に頼れない自分に嫌気がさす。

寂しくない、独りじゃない
けど、どこか寂しくて
楽しい
けど、心から笑えている自信がなくて
安心した
けど、すぐに不安になって
大切が増えて嬉しい
けど、同時に怖くて、どうしたらいいかわからなくて辛いし苦しい
アソリアは大好き
けど、自分自身には一向に自信が持てなくて
本音が言えるほどに信頼している
けど、うまく言えないしこれが本音かなって懐疑的になる

人を信じたいと思ったことは何度もある。
今、信じている人、仲間もいる。

でも、自分を信じたいと思ったことあるかな?信じているかな?って。

こんな感情が今、来るべくして一気に押し寄せた。
20年前の今日、顔をぐちゃぐちゃにして生まれてきたように
20年目の今日も顔をぐちゃぐちゃにした。


ベランダで泣きながら、どうしていいかわからなくなってパートナーに電話しようとした。でも、やっとのことで発信ボタンを押せたのは多分電話しようと思ってから10分は確実に経ってた。

「もしもし、もしもーし?」
声が聞こえて、手の震えが増した。
怖かった。
パートナーに限らず、信頼する友人にも連絡することが119番通報するかの如く緊張するし重いと感じてきたから。

文章になってない言葉を途切れ途切れ話した。
ずっと静かに聴いてくれた。

「連絡してくれてありがとう」

ありがとうはこっちのセリフ…なのに、ありがとうと言ってくれた。
やっと手の震えがスッと止まった。
スマホを見たら8日から9日になっていた。

20年前と違ったのは、自分には「大切」がたくさんあって
そこには単純じゃない複雑な感情が存在したこと。そして、その感情達にかき乱されていたこと。

変わってないけど変わった。
目を腫らして泣き疲れて迎えた朝。
落ち着いて椅子に座る。油断したらまた涙がこぼれる。

泣き疲れてもなお涙が出てくることに動揺する。
普段全く泣くことがないから尚更。

ハタチ。
これから、自分を大切に思ってくれる人がいることを実感して
心から笑っていきたい。

生きている。
生かされている。
ここまで生きてこれてよかった。
これからもまだ生きていきたい。


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