最近のニュースを当事者目線で考えてみる
こんにちは!今日のnoteはこんなテーマで書いていきます。
今週は私にとってはとても疲れた1週間でした。仕事でバタバタしたこともありますが、私自身、色々と考えさせられることの多いショッキングなニュースが、立て続けに起こったからなんですよね。具体的にはこの2つ。
以前noteでも少し触れたことがありますが、私、ギャンブル(具体的には競馬)にはまっていた時期があったんですよね。また、製品の安全性の分野においては、自分が今まさにその中枢(関連部門)にいて、仕事に従事している存在です。つまり、過去・現在の自分は、いつでも向こう側の当事者になり得た存在だということです。
正直、これら事件の真相は私にはわかりませんし、専門家が明らかにしてくれるものだと思います。一方で、世間から聞こえてくるような「こいつら許せない」といった気持ちにはどうしてもなれないんです。今日はこのことを少し深堀りし、書いてみたいと思います。
ギャンブルする人の頭の中
ギャンブルに昔はまったことのある立場として、ギャンブル依存症の恐ろしさはひしひしと感じます。ベットした(賭けた)時のドキドキ感、勝った時のやってやった感、これほどアドレナリンの出るものはありません。
特に変に知識のある人にとっては厄介です。自分なりの勝利の方程式のようなものが存在するからです。
競馬で言えば、血統(誰の血筋を引いているか)、特性(長距離向き・短距離向き・綺麗な馬場向き・荒れた馬場向きなど)、その日の体調(落ち着いている・テンションが上がりすぎているなど)、ジョッキー(誰が馬を操作するか)などで、初心者よりも深く分析ができるため、あたかも勝てる確率が周囲よりも自分は高いと思えるからなんです。
以前パチンコ好きの先輩からもこんな話を聞いたことがあります。
単純に考えればわかることなのですが、実際にはそんなことはありません。結局店側が釘のみならず全ての仕組みを操作していて、最終的に店として売り上げが確保できるように調整しているからです。
競馬や野球賭博だって根本の仕組みは同じです。結局のところ、八百長でもない限り、必ず"勝ち"が約束されているものなんてない。そしてすべてはゼロサムゲーム。つまり、勝てるのは一握りの"たまたま運が良かった人"だけであって、大半の人は負けるように予め決められているものなんです。
このように、大局的に考えれば"馬鹿げた行為"とわかるのですが、却ってヘタに経験や知識があるからこそ他人よりも勝てる気がしてしまう。これが依存症になる原因だと思います。
そして、その(架空の)勝ちを取りにいくために、大金をベットしてしまう。ということが容易に起こるんです。
つまりギャンブル依存症の人たちにとっての”勝ちたい”は、"お金を増やしたい"ではありません。一言で言えば、勝つことで周囲に"ドヤ顔がしたい"だけなのです。
情報開示が遅れる背景
以前のnoteの自己紹介で書いたかもしれませんが、私はとある外資系製薬会社の"安全管理部門"で働いています。まさに製品の健康被害等の情報を司どる立場です。そんな私が、今回の事件を見ていて率直に思うことを書いてみたいと思います。
世間では対応の遅れを指摘する報道が多数相次いでいますが、もしこれがもっと小さな食品企業で発生していたのなら、恐らく情報が明るみに出るまでに、少なくとも半年や1年はかかっていたのではないだろうか?と感じるのです。なぜなら、健康食品には医薬品や化粧品に比べると、厳格な行政への報告ルールが存在しないからです。
医薬品・化粧品の場合には、具体的なルールが存在します。死に至るもの、死や後遺症に直結する可能性のあるもの(例えば副作用発生に伴う「入院」など)は、企業が最初に情報を知った日から15日以内に副作用報告をすること、とされています。
製薬会社としての業態を持ち、認可を取得している企業はこのことにとても敏感です。たとえゴールデンウィークを挟もうが、年末年始を挟もうが、報告遅延だけは起こさないように仕組みや体制を維持する。そんなことをやっています。
一方で、これがこと"健康食品"になったらどうなるか?そもそも健康食品は薬機法(以前は薬事法)の規制対象区分ではないため、このルールが適用されません。したがって、全ては企業による判断のもと行政に報告(あるいは相談)ということになります。
ここに大きなポイントがあります。企業の裁量に任せられるとなると、やはりみんなで集まってすり合わせて、、、ということに、ほとんどの会社ではなると思うんですね。ひとたび製品回収ともなればなおのこと。行政対応、消費者対応、マスコミ対応、提携企業対応、、、考えることは山のようにあります。また情報を一旦開示すれば、大抵相手は怒る。「はぁ?そんなこと許されると思ってるのか?」と。皆、何かしらの不利益を被るからです。そうなるとそういった関係機関との冷静な話し合いも難しくなる。ひいてはそれが、新たなリスクや二次災害を生み出すことにつながっていくのだと思うのです。
だから当事者側は、より情報開示に慎重になる。「今、どこまでを出すべきか?」「どこは「現在調査中です」「現時点ではお答えできません」とすべきか?」このご時世、情報は一瞬にして拡散しますからね。社会が許さないからこそ、必然的に慎重にならざるを得ないのかもしれません。
問われるのは、いつも人として
全く関係のなさそうな2つのニュースですが、いずれについても思うことは、「もっとこうなる前に・・・」ということです。
「もっと早くわかっていれば」、「もっと早く行動できていれば。」
2つの事件とも当事者の方は、もしタイムマシーンがあって過去に戻ることができたなら、甚大な被害をもたらすであろう"そのこと"に対し、「今すぐ◯◯やろう(やりましょう)」とその場で決断していたはず。
もちろん根本原因であるそもそもギャンブルをしない、原料を使わない、といったところまで巻き戻れればいいのですが、ギャンブルにしても、健康食品を作る原料にしても、目の前にあるものはあるわけですからね。それを回避するという判断には相当な自分自身を納得させられる根拠がないと難しいと思うのです。
ですので、根本原因を断ち切る以外にできることとして、自分が思わぬ事件を作ってしまった場合、瞬時に今どうすべきか?を考えられる準備をしておくことが大切なんだと思います。
「もし、自分がタイムマシーンに乗って過去に戻れたとするならば、この正念場で取れた最善の行動とは何だろうか?」と。
そんなことを普段から常に考え、日々鍛錬を積むことが大切だと思うんですね。
じゃあどういった基準から、そういった芽を養っていけばいいのか?そんなことを考えてみました。
1つのソリューションとしてはこんな行動です。
今、この場で起きているその"よくない出来事"を、
世界の人たちが知ったらどう思うだろうか?
自分が今行っている判断は、社会や世間にとって、消費者にとって、患者さんにとって、本当に胸を張れるものだろうか?
つまり、ビジネスマンである前に、人として自分自身がどう率直に感じるかが大切だと思うんです。
自分としての判断基軸をもつ。その上で損得勘定抜きに行動する。進言する、周囲を巻き込む、声を上げる、決断する。
人のふりみて我がふり直せじゃないですが、改めてそんなことを感じたこの1週間でした。最後は周りじゃなくって自分自身の瞬発力がものを決めるなと。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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