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ハイブリッドカー売りの老人

 仕事帰りの私が迷い込んだのは、いかにも怪しい商店街だった。
 しかもここ、どうやらただの商店街ではないらしい。

「安いよ安いよ!ベスパが安いよ!」
「さァーシーマにレパードにスカイライン、なんとヴァイオレットまで揃ってるよー!買わなきゃソンソン、見るだけでも寄っといで!」
「らっしゃーせ〜タコマにセコイアにハイラックス、舶来モノならお任せくだせえ」
 ……食品や雑貨のノリでクルマやバイクが売られている。どう考えても異常事態だ。しかし店の軒先には、中古車らしきクルマたちがお行儀良く鼻面を揃えている。フロントガラスには値段のプレートが……型落ちのワゴンRが450万?なんの冗談だ?
「もし、そこなお若いの」
 あまりの展開に頭痛を発症していると、背後から私に声をかける者があった。振り向くと、無精髭をたくわえた、腰の曲がったご老人。
「プリウスはいらんかね?今なら安くしておくよ」
「は、はあ……」
 急いでるんで、と無碍に立ち去ることもできず、私は老人のプリウスを見ることになった。こういうとき、自分のお人好しが恨めしい。

 一歩店内へ入ると、サイケデリックなアフリカ調の内装の中に、トヨタのハイブリッド・カーが所狭しと並んでいた。プリウスやアクアはもちろん、クラウンにカローラにエスティマにアルファード、クルーガーまで……どれも売れている様子はなく、ホコリを被っている。
「客が来なくてね」
 老人はそう言うと、伸ばした腰を叩きながら手近なアクアのボンネットを開いた。そこにどこから取り出したのか、ベーコンと液卵を注いでいく。
 えっ!?
「ちょっ…!?大丈夫なんですかそれ!!?」
「ああ、こりゃアクアじゃないよ。アクア型のコンロさ」
 そんなバカな。そうは思ったものの、間もなく香ばしい匂いが店中に漂い始めた。老人は紙皿にスクランブルエッグとベーコンを乗せ、私に手渡した。
 ………いや普通こんなん食わへんやろ………故郷の訛りを押し殺しつつ、私は老人にフォークとドリンクを要求する。
「ほれ」
 フォークはカトラリーから取り出された。良かったマトモだ。次が良くなかった。老人は何かのスイッチを手に持ち、それをアルファードに向けた。アルファードのスライドドアが開き、中からティーセットが出現する。
「えぇーー………?」
 困惑する私の心情も知らずに、老人はアルファードから出てきたティーセットで二人分のハーブティーをカップに淹れ、片方はソーサーに載せて私にあてがわれた。
「美味いぞ。飲みなされ」
「……」
 おそるおそる口をつける。味は普通だ。ものすごくマズいとか逆にめっちゃウマいとかそういうことはなく、評価に困るレベルで「普通」。せめてどちらかに振り切っていてくれたらリアクションの取りようもあったのだが。
「それも食いなされ」
「……」
 紙皿によそわれたベーコンエッグ……ベーコンエッグ?玉子とベーコンが分離しているタイプのコレはベーコンエッグと呼べるの?は、アクアのルーフに乗っかっている。今にも落ちそうである。仕方なく、ルーフにティーカップを置いて皿を手に取る。
「いただきます……」
 ベーコンエッグのほうは普通にウマかった。それでも格別美味しいとかそういうのではなく、強いて言うなら少し脂っぽい。それでも特に文句をつけたくなるような味ではなかったから、私は咀嚼し、嚥下した。
「どうじゃな」
「おいしい、です……」
 そう答えるしかなかった。
 とにかく早く帰してほしいのだが、老人はハーブティーを美味そうに飲んでおり、また店内はクルマ(の形をしたナニか)ばかりで逃げ帰ろうにもうまくいきそうにない。アクアのクールソーダメタリックのルーフを見つめながら、私はもそもそとベーコンエッグを食らい、ハーブティーで流し込んだ。
「ごちそうさまでした!」
 さすがにこれ以上はいいだろ、個人的にももう用はない。鞄を引っ掴み店外へ出ようとする私を、老人ももう止めなかった。
 晴れて自由の身だ!
「忘れるところじゃった!!!」
 そんな私の背中に今日一番の老人の大声がかかった。私はつんのめり、というか無様に床に顔から突っ込んだ。
「なんすか!?もういいでしょ!?」
 思わず本音が口をつく。
「プリウスを買ってもらおうと思っていたのに……年をとると耄碌していかんな」
諦めてなかったのか……私はもう忘れてたぞ。
「い…いえ、買う気はありませんから」
 老人は私の言葉を無視し、食べ終えた食器類を軽快なフォームで投げていく。クルーガーに。クルーガーは食器が近づくとひとりでにドアを開き、食器類を吸い込んでいった。中はちらりとしか見えなかったが、ブラックホールじみた暗黒が広がっていた、ような気がする。
「危なくないですかこれ?」
「中はいわば小さいブラックホールになっておる」
「ダメでしょ」
「たまに客が吸い込まれることもあってな。救出は難航したよ。クルマそのものを壊すと臨界門(ゲート)が閉ざされて此方に帰ってこれなくなるからな」
「こっわ……」
「今は祈祷師に鎮めてもらって一応安定している。4日間、まだ誰も吸い込んでおらん」
「4日か……」
 4日前、あの暗黒空間に吸い込まれていった人に思いを馳せる。どうしようもなく憐憫をおぼえた。


「……元は皆、普通のクルマだった」
 でも売れんでな。老人は寂しそうにそう付け足した。走行距離が短い、修復歴がない、レア色、車種的にカスタムされてないのが珍しい純正仕様……いわゆる「好条件」とされるクルマでも、運命の歯車が狂えば誰の手にも渡らず、ホコリを被ることになる。
「ここにあるのはそういうクルマたちでな。あまりに不憫だったもんで、儂が独自に改造を施した」
 それはそれで不憫ではなかろうか。
「時折あるじゃろう。どこでこんなお宝が眠っていたんだ、というヤツが。掘り出し物、とでもいえばいいのか。そして……中には日の目を見ることもなく、スクラップ送りにされるものもある。儂は若い頃、そういうクルマを何台も見てきた。まだ走れる、まだ人を乗せられる、モノも載せられる……そんなクルマたちをな、取り決めだからと圧し潰してきた」
 老人はそこまで話し終えると、ふぅー、と長いため息をついた。押し殺してきた感情を発露させたような空気があった。
「……もう、クルマがそうなるのは見たくない、と?」
「わがままかも知れないがな」
「そんなことは……」
 ……まだ走れるクルマたちを、この狂人にしか見えない老人は……彼なりの手段で、救おうとしていたのかもしれない。


「………わかりました」
 熟考の末、私は立ち上がった。答えを出すまでに、アルファードのハーブティーを2杯もごちそうになってしまった。
「買います。プリウス」
「ほぅ……!」
 初めて、老人が笑顔になった。一種の罪悪感というかわだかまりというか……そういうものが溶けたような印象を受けた。もしそうならこのお人好し体質も悪くないな、と思った。




 契約書にサインを記し、各種証明書を用意し、任意保険にも入り……概ね1週間ほどで、私の元に2004年式のトヨタ・プリウスがやってきた。銀色のボディは15年前のクルマとは思えないほど眩しく輝いていた。
 私はこのプリウスで全国を津々浦々に旅した。恋人もできた。今は同じ苗字になっている。ひとつ屋根の下、子どもにも恵まれた。

 ビバ・プリウス。ありがとうプリウス。あの日、老人が思いを込めたプリウスを私に託さなければ、今の私はなかっただろう。
 実はこの間、私がプリウスを買った商店街へと久々に赴いたのだが、残念なことにあの露店群とクルマたちは跡形もなくなっていた。見るからにスラム街っぽかったし、行政のアレコレに引っかかったのだろう。しかし跡地に設えられたコインパーキングには、幾数台ものプリウスが停まり、アクアの銅像が建てられ、エスティマの花が咲いており、私は確かにこの地には老人とトヨタのハイブリッドカーたちの息吹が宿っているのを感じたのであった。






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