ヒロヲカ

20世紀前半の中国服を集めています。

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【参加者募集】「旗袍を中心に―中国服雑話」の続きを時間が許す限り際限なく語ります ZOOMバージョンその2

(キャンセル待ち受付中です) 2017年の関西学院大学で行われた「装いの上海モダン」と2019年に横浜ユーラシア記念館で行われた「装いの横浜チャイナタウン」の講演の評判が割と良かったので、横浜の抽選にはずれた人を対象に「旗袍を中心に―中国服雑話」の続きを時間が許す限り際限なく語ります(長い) というタイトルで小規模な講演を2回行い、コロナ流行中の2021年にはZOOMバージョンとして、たくさんの方に参加していただきました。 それから早くも2年が過ぎ、SNSで食べ物の話ばっか

    • 土布の倒大袖

      和服が日常着だった戦前の日本では、絹は労働をしない人が着るもので、労働をする人たちは綿やセル(ウール)のような丈夫な布を使い、絹にしても普段着から礼装まで、シーンに合わせて着分けることをしたようだが、同時期の中国服も和服同様、いやそれ以上に身分の違いで着るものも使う布地の量も、もちろん素材も違っていた。   おうちがいい人や美を売りにする商売の人々―例えば妓女―は絹を着たし、働く人は木綿や麻を着た。そりゃあ働く人たちだってお出かけの時には一張羅を着たが、それは例えば阿媽(メイ

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      • 藍染のエプロンスカート

        形から「エプロンスカート」などと呼んでいるが、もともとは中国の農村で作業をする時に着用するスカート型のエプロンだ。私が持っているのは全て江蘇省北部の南通近郊から出たもので、綿花加工場で使われていたらしく綿毛があちこちについていて、取るのにとても苦労した。 素材は手織りの分厚い綿布の藍染。形状は巻きスカートで、エプロンのような前垂れがついている。両サイドにはたっぷりとタックが入り、持つとずしりとした重みを感じる。ウエストベルトの両端にはループがついていて、そこにヒモを通してし

        • 香雲紗

          私のTwitterをフォローし、かつ中国服関係のツイートを読まれている人は、私が「香雲紗」という布について何度かツイートしているのを見たことがあると思う。 香雲紗の染料は、広東省仏山市の珠江デルタあたりの湖沼の泥と薯莨という芋。薯莨の汁に浸けた布地(主に絹)を夏の強い太陽にさらして茶色く発色させ、さらに表に鉄分の強い珠江デルタの湖や川の泥を塗りつけて黒く変色させるという、実に手間がかかる布で、今は中国の無形文化遺産にも登録されている。 泥で染めた表面は皮のような艶がある漆

        【参加者募集】「旗袍を中心に―中国服雑話」の続きを時間が許す限り際限なく語ります ZOOMバージョンその2

          1920年代の旗袍

          最近、旗袍の歴史を語る本やらブログやらSNSの投稿やらがだいぶん増えていて、そこには大体「今の旗袍(チャイナドレス)は満州族の旗袍(と男性の長袍)をルーツとしていて、1920年代の進歩的な女学生などによって生み出された」みたいなことが書いてある。 それはおおむね間違ってはいないし、私もそうだと思っている。だけど、「日常着だった時代の旗袍と今の旗袍はどこが違うのか」という視点がすっぽり抜け落ちているので、今のぴっちぴちで日常にはとても着られないようなやつと日常着だった頃のもの

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          1920年代の旗袍

          黒シルク南米柄プリント旗袍(1940年代)

           はっと気づけばかれこれ30年以上、中国服をほそぼそと集めている。  中国が多少豊かになって懐古ブームが始まり、いわゆる「解放前」(中華人民共和国成立前の、主に1912年から49年の民国期を指す)のものがコレクターズアイテムになったのは、私が北京に住んでいた1990年代前半だった。上海留学中の80年代後半は、中国自体がまだ割と等しく貧しくて、中国人は自分たちの国に昔からある古臭いものよりも、西側諸国から来るピカピカの先進的なものにばかり目がいく時代だったから、その中でも一番

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          黒シルク南米柄プリント旗袍(1940年代)

          砂州から生まれた奇跡の布

          手紡ぎの綿糸を手織りした布のことを中国では「土布」と呼ぶ。1950年代以降は、大量生産が盛んになったコットンプリントのことも「土布」と呼んだが、主流はあくまでもチェックや縞模様を手織りした、いわゆる「先染め」の素朴な風合いの生地だ。 唯一、シルクスクリーンと同じ技法で後染め(いわゆるプリント)された手織りの土布が、江蘇省南通市東部の啓東、海門、崇明の3地区でつくられていた。過去形なのは、他の土布同様作り手がいなくなって今はつくられていない*からで、今残っているのはおおむね1

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          砂州から生まれた奇跡の布

          黒サテン手描きアール・デコ模様旗袍(1930年代)

          コレクションについて人前で語ると、ほとんど毎回「どこで買うんですか?」と聞かれる。私のコレクションの大半はネット通販ができる前に集めたものなので、骨董市場とか骨董屋とか、観光客も普通に行くような場所で買いましたよと答えると、どうやら特別なルートでもあると思われてるのか、あてが外れたような顔をされる。 しかも、カネにあかせて手当り次第買いまくるほどふところが豊かじゃないので、財力にまかせてむやみやたらと買い漁る昨今の中国の金持ちコレクターと比べると、私のコレクションは数的にも決

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          黒サテン手描きアール・デコ模様旗袍(1930年代)

          アンダードレス付きレース織り旗袍(1930年代)

          しょっぱなから私のものじゃなくて恐縮だが、レース織りが優雅なアンダードレス付きの旗袍を紹介したい。6月に東京に遊びに来たコレクターの友人が、私に見せるためにわざわざ北京から持ってきてくれた。来日直前に上海出張に行くというから、旗袍を商う骨董商を教えてあげたら、どうやら一目惚れしたらしい。嬉しさと思わぬ散財で半泣きの彼女から値段を聞いて目ん玉が飛び出たけど、アンダードレスと一緒に残ってる旗袍は確かにかなり珍しいから、衝動買いの気持ちもわからなくはない。骨董商によると、上海の「い

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          アンダードレス付きレース織り旗袍(1930年代)