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現代で最高のミュージシャンは「とたけけ」である可能性について (翻訳)

はじめに

Kotakuに寄稿されていた"K.K. Slider Is The Most Influential Musician Of Our Generation"(とたけけは私たちの世代で最も影響力を持ったミュージシャンである)という文章がとても興味深かったので、拙いながらも勝手に翻訳させていただきました。

https://kotaku.com/k-k-slider-is-the-most-influential-musician-of-our-gen-1837746755

元の文章を書いたのは、PitchforkやRollingstoneなどにも文章を寄せているNina Corcoran氏。ゲームメディアであるKotakuに寄せられているとはいえ、音楽評としてかなり気合の入った内容となっています。

「"Omae Wa Mou"がなぜバイラルヒットを起こしたのか」といった話がSNSで話題になりましたが、Lil Nas X然り、若者文化の「ナゾ」を解く鍵として、今回のようにゲーム音楽を掘り下げる文章は非常に有益だと個人的には思っています。

そんな2019年におけるポピュラー文化の有象無象を、頭の隅に寄せておきながら読み進めてもらうと、中々楽しく読めるんじゃないでしょうか。

あと、翻訳については非公式なので、誤訳や抜け落ちなど、気になる点があればお気軽にコメントかTwitterのリプライまでお願いします。

あと、レイアウトに関しては読みやすさを考慮して変更を加えています。

"K.K. Slider Is The Most Influential Musician Of Our Generation"(とたけけは私たちの世代で最も影響力を持ったミュージシャンである)

ビヨンセ、レディオヘッド、ダフト・パンク。彼らが偉大なミュージシャンであることは明らかだが、私たちの世代にとっての唯一無二の存在かと言われると、そうでもない。その栄光は、架空の存在とも言える「誰か」に取って置かれている。それがとたけけ(K.K.Slider)だ。

音楽を主軸としたゲームの出自ですらない人物を最高のミュージシャンと主張するのは、ある意味冒涜的であるようにも感じる。それはFF6のセリスではない。ケンタッキー・ルート・ゼロ(Kentucky Route Zero)のジューンバグではない。パラッパラッパーに出てくる、ビーニーを被った彼ではないのである。まして、ロックバンド(The Rock Band)に出てくるビートルズなわけがなく、なぜなら彼らは完全に世代の違う存在であり、「私たちの世代」ではないためだ。

それにしても、とたけけ—『どうぶつの森』に登場する、いつもギターを弾いている流れ者の白黒の犬—を数あるビデオゲームアイコンの中でも傑出したアーティストであると宣言するのは、自然なものであるように伺える。気取ったそぶりや風を吹かせることもなく、歳を重ねるにつれて才能とその影響を増し続けるのは、結局のところK.K(とたけけ)だったのである。

ビデオゲームとは関わりのない場でさえ、「最も影響力のあるミュージシャン」などというお題目は議論の余地を生む。評判というのは、ファンベースの規模に基づくのか、あるいは追従してきた年数に基づくのだろうか?才能というものは、ストリーミングの再生回数や、レコードの売り上げによって決まるのだろうか?演奏できる楽器の数や、広い声域を持っていることによって判断されるのだろうか?

最も理屈に則った手法として、ミュージシャンのステータスを測るためにしばしば行われてきたのは、彼らの演奏技術を考察し、ファンベースへの影響を調べるというものであった。期せずしてとたけけは、その両方において秀でていたのである。

とたけけについてよく知らない人について紹介しておくと、彼は大きな頭と垂れ耳を持った白い犬で、昨今の太眉ブームを先取りしていたかのような極太眉を特徴としている。手にしているのは六弦のアコースティックギターで、モデルはギブソンと見られる。また、犬種はジャック・ラッセル・テリアという説が濃厚だ。

どの「どうぶつの森」シリーズをプレイしていても、とたけけは常にそこへ現れ、通りがかりの人やファンに向けて、演奏する準備を整えてくれている。初代「どうぶつの森」では、毎週土曜日の午後8時以降、駅の前に現れ、スーツケースの上に座してギターを手にしている姿が見られた。

その後、『おいでよ どうぶつの森』および『街へいこうよ どうぶつの森』では、「純喫茶 ハトの巣」の木製スツールに座ってくつろいでいる姿、およびステージの上で演奏する姿を見ることができる。『とびだせ どうぶつの森』では、「クラブ シショー」でDJをする姿が目撃され、土曜日にはスポットライトの下でギターを持ち出す姿を見ることができる。

スピンオフ作品である「ポケットキャンプ」では、つましい椅子を作成するだけで、いとも簡単にその場所へ引き寄せられてくれる。何か貰えるのだろうか?彼はあなたのために一曲弾いてくれる。ただ、それだけである。

彼に近づくと、とたけけは何か聴きたい曲はあるかと尋ねてくる。彼の曲目について既に知っているなら、それはリクエストのチャンス到来というわけだ。そうでないなら、彼に任せてみることで、気分にあったものを演奏してくれる。

とたけけの歌声に最後まで耳をすませてみよう。彼はヒッピーのように語り、前向きな言い回しとメロウな言葉遣い、そして彼の引用はコミカルで、あえて言うなら深遠であると取ることもできる。聡明なるワン公は、私に「刻まれずして得るものなし(Nothing shredded, nothing gained.)」と語ってくれたことを覚えている。

とりわけ嬉しかったのは、歌を一曲聴き終えると、料金を取るでもなく、家に持って帰ることのできる彼の歌のコピーを聴くことができるという点だ。それは海賊版を支持する旨の社会的な主張などではなく、もしかしたら幾人かのプレイヤーはそれを望んでいたかもしれないが、ともかくこれは初期の三作品に向けた、とたけけが強烈に発信した反資本主義的な行為だったのである。有名バンドが無料で曲を配りだした?どうやら、それは現実世界でも聞いたことがあるような話ではないだろうか?

いつの時代のどうぶつの森を遊んでも、とたけけは常にプレイヤーの新たなジャンルを開拓してくれるミュージシャンだ。彼の守備範囲は無限大なのである。安定してウケを取ることができるロックやフォーク、ラップ、ジャズ、そしてカントリー。これにとどまらず、とたけけはメタルにボサノヴァ、フラメンコ、レゲエ、ティーン向けのバブルガム・ポップも抑えている。ラグタイムやディスコ、ソウルはお手の物で、ララバイやワルツが聴きたいときも、きっちりと抑えてくれているのだ。もっとアップビートで踊りたい?スカやカリプソに乗って踊る姿を彼に見せてやろう。

初代「どう森」から「まち森」に至るまで、とたけけは持ち歌を55曲から91曲にまで増やしている。この曲数はアルバムに換算して、約9枚分にもなる数字だ。あなたが口にしたサブジャンルは全て、とたけけが一つはそれに類する曲を作っているはずだ。彼はみんなの味方であり、あらゆる趣向の人に向けて、あらゆるジャンルの音楽から学んでいる—あるいは少なくともそう感じている。そして強調したいのは、彼の届ける声はチャーミングで、想いを伝えるべく母音を強調した歌い口と、時としてしゃっくりのような唸り声や、ハイピッチな遠吠えがそこに加わるのである。

どうぶつの森のBGMは、そのリラックス効果から自ずと有名になり、一時間にも及ぶ収録曲のまとめがGoogle Chromeの拡張機能としてリリースされる事態にも発展した。そもそもゲーム音楽とはプレイヤーの集中を促す曲目となるはずが、とたけけの場合、新たな音楽を発見し、それを楽しむための機会を提供しているのである。彼のように広いジャンルをおさえているアーティストなら、ファンになってしまうのも無理はない。

とたけけのファンが彼の作品を思い出にしまいこんでしまうのには、そういった理由があるからだろう。つまるところ、彼は流れ者であるため、自分でアーカイブ化する余裕はないのである。どうぶつの森のWikiには、彼が今まで発表した楽曲がカタログ化されている。「けけハウス」のように、ゲームには未収録だが公式サウンドトラック集には含まれているようなクラブ系の楽曲は、ファンによってYoutube上にアップロードされている。とあるユーザーは「とたけけコンサート(K.K. Slider concert)」と称し、リバーブを効かせたエフェクトを加え、約一時間の楽曲のミックスに屋外ライブのような効果を加えて公開している。

仮に、彼の語る私生活がその全てであるなら、それとともに語られる彼の処世術こそ、とたけけの魅力を引き立てる唯一の存在である。世間の注目を避けようとする有名人、例えばビヨンセやフランク・オーシャンのように、とたけけは自分の生活を人の目にさらしたり、注目を集めるよりも、自分の音楽をもって境界線を押し広げていくことが重要だということを知っているのだ。

おそらくとたけけが「どうぶつの森」の中で頻繁に姿を表さなかったり、彼についての謎が多いのは、そういった理由からである。彼は目立たないことを好むため、結果的に彼は誕生日を公の目にさらしてしまうことになるのだが、それを祝うようなことはしないのである(双子座の性である)。

それでは一旦ゲームを離れて、とたけけの作曲の裏側にいる人間、戸高一生(Kazumi Totaka)について注目してみよう。戸高は実在する作曲家で、マリオペイントからWii Sports、そしてどうぶつの森のディレクションと、これまでに数え切れないほどの任天堂作品の音楽を手がけてきた。また、とたけけという名前は、彼の本名に由来するものだ。

彼が実際にライブパフォーマンスを行っている映像を捉えたフッテージの数は少なく、かろうじて「ポケットキャンプ」を発表したときのものが残っている程度だ。彼はとたけけが自身のカリカチュアであるということを実によく受け入れているが、2003年の「マリオ&ゼルダ ビッグバンド・ライブ」においては違った様子がうかがえる。彼がステージの上でギターを構えようとすると、ファンである観客から「とたけけ!」という声が聞こえてきたのである。すると戸高は笑いつつも、椅子に腰掛けて足を組み、一瞬ながらも「例のポーズ」を見せてくれたのである。

とたけけの姿が戸高に由来している理由も自明である。とたけけが優れているのは、彼がもはやそのタイトルを背負うようなエゴを必要としない巨匠となっているところだ。そして劣っているところといえば、彼はありふれたミュージシャンで、嬉しそうにアコースティックギターで観客のために歌を届けるも、その観客が同じ人々ではないというところである。おそらくそれゆえに、プレイヤーはとたけけの前足さばきにこう思うだろう。彼が多様なジャンルを横断的にいともたやすく弾くのなら、自分にもできるはずだと。

このことは、プロのミュージシャンから、それに憧れる学生まで、実に多くの人々をとたけけの影響下へと導くことになった。それはミュージックレッスンの場でよく採用されているような、カバー曲を演奏させ、そのほかのミュージシャンから技を学んでさらなる楽器の理解へと促すようなものだ。Youtubeを開けば、多くのファンがとたけけのレパートリーをソロでカバーしている様子がよくうかがえる。いくつかの演奏は非常に心を打つもので、他にも奮闘の様子がうかがえるものもある。何れにせよ、彼らは心からそれを楽しんでいる。そして、彼らはほかの機会では披露することも頻繁にはなかったであろう、楽器の扱いをものにしようとしているのだ。

そしてフルバンドでのジャズカバーである。ギターのタブ譜を参照する代わりに、オリジナルの楽曲をアレンジし、バンドの中の各楽器が機能するように仕上げる必要に迫られる。そこへ私が出くわすたびに直面するのは、ジャズクラブにいるどれだけ多くの人々が、この曲は何なのかと尋ねるのだろうかと考えずにはいられない瞬間である。

そこから、とたけけの影響は彼らしいスタイルのカバー作品によって、トントン拍子に膨らんでいった。10年の時を経て、ファンたちはとたけけの曲目を学び、拡張させ、ポピュラー音楽の隅々までを内包するべく拡張させてきたのである。とたけけのアイコニックな楽器と、彼の個性的な歌声を利用し、今世紀における数々のヒット曲やその良し悪しを問わず話題となった、おびただしい数のミュージシャンが「とたけけ」となっていったのである。

正直言って、お気に入りの一曲を選び抜くのは難しい。あまりに多くのアーティストがカバーされているためである。ダフト・パンクアーハアウトキャストスマッシュ・マウスナイン・インチ・ネイルズドレイクマック・デマルコレディ・ガガアニマル・コレクティブレディオヘッドアイス・キューブアナマナグチゴリラズコールドプレイアバ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズドラゴンフォーストトキラーズ。そしてもちろん、リック・アストリーもだ。

とあるファンは、とたけけのカバーによってゲーム音楽を完璧に模している。『バックバンブル』のテーマや、『アンダーテール』のヒット曲である’Megalovania’、『悪魔城ドラキュラ』の名曲’Vampire Killer’、『Doki Doki Literature Club!』の忘れられないあの曲、『ポータル』の’Still Alive’、そして『スーパーマリオブラザーズ2』のテーマ曲にまで至る。これらの作品は実によくできており、とたけけの話すどうぶつ語まで再現されている。無論、彼の話す言葉を解読することは困難を伴うのではあるが(というわけで字幕表示は諦めていただきたい)。

とたけけのカバー曲が1つ現れれば、さらなるリクエストが溢れかえってくる。そこから何人かのユーザーは、取り憑かれたようにとたけけのゴーストライティングを行うようになる。アリアナ・グランデビリー・アイリッシュのカバーを手がけたクレイ・クレーマー(Clay Kramer)は、定期的にカバーを手がけるクリエイターの一人である。クレーマーはピアノとギターを幼少期から嗜みながら育ち、楽しむことを目的としつつもそのスキルには磨きをかけ、とたけけカバーの作品を手がけている。Kotakuの取材によると、彼が一から作品を作るのには、2日と8時間ほどの時間を要するという。

クレーマーが言うには、「とたけけという限られた素材を工夫することは、制作者に対してピッチ変更を用いて十分に楽しめる音楽を作ることを強いるのです。そしてそれが転じて、とたけけを愉快なキャラクターに仕上げてくれます。」とのことだ。「彼のボーカルをサンプリングするのは非常に簡単で、大昔に誰かがゲームキューブから彼の音声を切り取ってネットにアップしてくれているからなんです。」

「彼の音声サンプルは使いやすくて、」クレーマーは続ける。「サンプルの遅延を小さくして、さらに優れたものを作りたいと思っています。本物の肉声を扱うようにピッチベンドとビブラートを活用し、元となる曲のオリジナルのボーカルエフェクトを参考にしつつ、それを真似することもあります。」クレーマーは、とたけけカバーを作ることによって賛辞の声をどうぶつの森ファンから得られることが「何よりの喜び」と語ってくれた。「終わりのない前進と熱狂がそこにあるんです。」

その他のクリエイターはどうだろうか。無造作に作られた作品も、有益なものとして持ち上げられることがあるようだ。lo-fiビートメーカーのニック・シルベストリ(Nic Silvestri)は、トラヴィス・スコットの大ヒット曲、“Sicko Mode”をカバーした作品の一部を今年1月にTwitterへアップしたところ、大きな反響を呼んだ。

結果的に9万回ものリツイートを獲得した結果を受け、シルベストリはフルでカバーを作ることを決め、1日かけて全編を作り上げた。そしてその直後、レコードレーベルであるゲームチョップ(Gamechop)のDJカットマン(DJ Cutman)から声がかかり、レーベルにサインしないかという打診が送られた。シルベストリはイエスと答え、彼らのアカウントから本編をYoutubeにアップロードしたところ、瞬く間にその動画は100万回再生を超えることになったのである。

のちに、シルベストリは“Old Town Road”のとたけけカバー製作に至ったが、その動画にはLil Nas X本人からのコメントも送られることとなった。ここに至るまでのプロセスは非常に急展開でもあったため、現在は製作を休止しているようだ。「どうぶつの森のサウンドだけを使ってのカバーは全くもって楽しいもので、チャレンジングだと思っているけど、彼の声には少しだけ飽きてしまったんです。」シルベストリはKotakuにそう語ってくれた。

「とたけけの声をサンプラーに読み込ませて、一曲全てをボーカルとして組み立てていくことは非常に複雑で、時間を要する作業なんです。」と彼は言う。「そこで必要になるのは全く新しいスキルなんですが、楽曲製作ソフトやどうぶつの森の版権に詳しい人なら、カバーを作ることによって良いビジネスを展開できるんじゃないでしょうか。」

「どんな方法であれ、ポップ音楽を分解してみることは、その人の作曲スキル向上へ大いに役立つことになると信じています。」とシルベストリは語る。「小さなことに耳を傾け、時としてシンプルこそが至高だということに気づくきっかけを与えてくれるのです。」

楽器を演奏しながら育った人間が、ポップソングのカバーを「とたけけ」を用いて完璧に作ることは難しいと認めてくれることは、それがうまくできない人にとっては肩の荷が下りる思いである。それは音楽は楽しむためのものであることを思い出させてくれるが、手間暇がかかり、忍耐力が問われるものであると気づかせてくれる。それゆえにシルベストリやその他大勢のクリエイターは、チュートリアル作成することで救いの手を差し伸べてきたのである。創作意欲あふれるコミュニティを育てる手段であり、早急な手助けを必要とする人にとってのメンターとしての役割を担っているのだ。

ミュージシャンのゴールが音楽を作ることと考えれば、それが脳裏に突き刺さってしまい、とたけけに軍配が上がってしまうだろう。どうぶつの森のアイコンである彼の役割は、見落とされてきた音楽ジャンルの探索、音楽の無償提供、定期ライブ、そしてファンにさらなる音楽教育の機会を与える影響を及ぼすにまで至っているのである。

彼はすでに完成された架空の犬ではあるが、ファンの支援を受けながら、彼は音楽産業の隅々までを制覇する動きを続けているのである。

とたけけがそれを自慢をするなどあり得ず、戸高一生もそんなことはしないだろう。彼の無数のファンたちはどうぶつの森のサンプルを落とし込んだGarage BandやPro Toolsで武装しており、とたけけの才能を分解し、彼の威光をオンラインで行使するのである。とたけけは最高のサウンドトラックを作る本物のアーティストで、私たちの世代を代表してくれている。その証拠がなかったとしても、彼のミュージックアイコンとしてのステータスは、何にせよ『大乱闘 スマッシュブラザーズ DX』のフィギュアにおいて確実なものとなっている。彼のフィギュアの詳細を見てみると、歴史を遡らせるような言葉が刻まれている。「彼の人気は高く、土曜日を心待ちにする村人は多い」。これはつまり、「彼なしの生活など想像もできない」と読むことができるだろう。

伝説を前に私たちは熱狂し、また彼らもそうするのである。


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