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22歳、30歳、私と韓国

初めて韓国に行ってから早いものでもう8年。
韓国語勉強を始めてからは6年が経った。

では、 韓国語を話せる 
ようになってからはどれくらいになるのだろう。

定期的にそんな疑問が頭の中を過ぎることがあるのだけれど
自分の中での実感としてはコロナ禍以降である。

面白いことに、韓国には1度行けていなかったあの2年間が
韓国語の実力が一番伸びた時期なのだ。

時期を戻して2017年。

仕事を辞めて延世大学の語学堂の短期留学プログラムに参加してからというもの
すっかり韓国にハマっていた私は、ソウルでの中・長期滞在を繰り返し
年間の3、4ヶ月を韓国で過ごすような生活を送っていた。
(ロングステイでない日帰りなどの弾丸日程を含めればもっとかもしれない)
その頃はTWICEがまだ新人で、BTSの人気爆発の兆しが出てきたか位の絶妙な時期だったこともあって、日本では今よりも韓国ブームが落ち着いていた頃だったと思う。好きな人は好きだけど、今みたいに若い子みんなが韓国風の何かをやっている感じではなかった。

今でこそ韓国語を喋れる日本人なんてSNSを見ればたくさんいるし、現地に
住んでいるような若い世代の子たちもたくさんいるけれど
その当時は、韓国語が喋れるだとか向こうに長く滞在するような人は私の周りにはいなく
それに加えて、元々日本人にしてはキリッとした顔つきである私は
韓国に行く度に現地の方から貰う

「韓国人かと思いました」

の声に謎の自信をつけ、日本人とブスとデブは入店拒否されるともっぱらの噂だったクラブでチヤホヤされることに勘違いをし(あぁ…もう痛すぎる…)

それだけで私は何か特別感というか変なステータスを得たような
言ってしまえば、韓国を通じて

”他人とは違う自分”
”毎月海外にいる私”
”外国人の知り合いがいる私”
”他の日本人とは違う私”(以下省略)

に酔いしれていたのだ。

高卒で、低所得で、特に秀でたものがなかった私が
手っ取り早く優越感に浸れる唯一の手段だった。

そんな感じだったから韓国語の勉強もほとんどしていなかったし
喋れるようになることよりも、いかに
”他の人よりも多く韓国に行っている自分”
を維持するほうが大事だったのだ。当時は無自覚だったけど。

だから短期留学した際の韓国語レベルから長いこと抜け出すことができなかった。

留学の際のレベル分けテストでは6段階中3番目という
一応中級というところには分類されていたけれど
このテストも筆記だけ、コミュニケーション的な要素は問われないのだ。

そんなこともあって、授業などは問題なく受けることができても
当時宿泊していた、シェアハウス兼ゲストハウスで出会った韓国人の友人たちとは
結局、最後に渡韓した2019年の11月まで深い話はできていないままだった気がする。
私にとって今も解消されていない一番の大きな心残りだ。


こうして、己のつまらないプライドと薄っぺらい優越感のせいで
渡韓回数と知り合う韓国人の人数だけが増え、お金と時間を浪費を続けた私は、約5年間、20代前半の殆ど(!)を韓国語の中級の壁に苦しめられる日々が始まっていったわけであるが

おかげさまで、今は韓国人の友人と電話をすることもできるようになったし
毎日韓国語のドラマも字幕なしで楽しんでいる。

そして今年からはフリーランスの韓日翻訳家としての活動をスタートさせることもできた。

中級の壁は越えられたという自負はある。



……と、ここまで長々と自分語りをしてきたけれど

紆余曲折はあったにしても
韓国語をある程度コミュニケーションツールとして使えるようになったのは
自分にとっての大きな財産。

私ほどの大馬鹿者はなかなかいないだろうけど
韓国語の勉強をしている方、初めてはみたけれど過去の私のように中級で伸び悩んでいる方がいらっしゃるとしたら

そんな人の力に少しでもなれればいいな、と思いnoteでの発信を始めました。

でも、そんないいことを言って見たけれど
1番は自分のためというのが本心。

アウトプットは一番の勉強にもなるし、過去を晒すことは
自分への一番の戒めになるからだ。笑

不定期になる気がしているけれど
これから韓国語の学習法、中級の壁を超えた方法や
韓国のニュース記事、情報など多方面で気になったことについて記事を書いていけたらなと思う。

ご縁があれば、是非次回の記事もご覧ください。

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