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隣同士に眠る時だけは必ず口を閉じてもらう


 彼の耳が上に開きっぱなしにならないように気をつける。もし動いた拍子に彼の耳がそうなったら、それに気がついた瞬間、他の何よりも優先して私は彼の耳を閉じる。耳が上にぱかっと開いて驚きの表情をする時、きっと彼自身も驚いてしまっているから、私は彼がいつまでもその体の形状でパニックに陥り続けないように、パニックから救うために、あわててベッドに走り、彼の耳をぱたんと閉じる。この習慣は何年経っても変わらない。そうすると彼は落ち着いた呼吸を取り戻して、また目を見開いたまま静かに笑っている。


 少しでも布団の外に出ると鼻先が冷えて眠れなくなるので、布団を三枚かぶって横になる。シロクマのぬいぐるみとタオルは、煙草くさい私の髪の匂いがつかないようにベッドのしたに雑魚寝していて、その代わりにあまり特別視していないやつがベッドの中に入ってきて今晩私と一緒に眠る。私は動物園や水族館のぬいぐるみが大好きだけど、キャラクターのぬいぐるみは上手く抱きしめられない。動物は動物の形をしているだけで誰でも充分に可愛いんだから、刺繍糸の口で無理に微笑まなくていいし、眼の反射を表す白い糸で愛嬌を繕わないでほしい。
 IKEAの犬の糸でできた目を見る。どうしてこんなに大切なんだろうと思う。そして、いつからこんなに縮んでしまったのだろうと思う。かつては私の体よりも大きい気さえしていたIKEAの犬は、かえって仔犬のようで、私の上半身におさまる。


 マジックテープで収納可能な舌は、赤く、口の奥の直線的な喉から突然生えている。イヌの口がゴムパッキンみたいに黒光りしているのと同じで、彼の口も黒々しているが、本当のイヌと違ってするどいきばはなく、ただ黒々としているなかに赤い舌がきれいに垂れ下がっている。そしてきばのかわりに小さなマジックテープがある。これは、上下に一本ずつの歯が生えている、と捉えることもできるし、無数に生えた細かな繊維の歯が生えていると言うこともできる。私は彼の耳を積極的に閉じるが、この口のマジックテープは滅多に閉じない。彼は舌をびろびろ出している時の方が朗らかな表情をしているように見えるから。朗らかな表情をしているように見えるということは、彼の体は少なくとも朗らかであるということで、彼は磁場的な霊以外ほとんど体でできているから、彼はほとんど朗らかだ、ということになる。ただし例外があって、彼と私のタオルとが隣同士に眠る時だけは必ず口を閉じてもらうことになっている。なぜなら彼の無数の小さな歯は、そこに触れたあらゆる布を絡め取ってしまう性質を持つから、私のタオルが少し彼の顔に触れただけでタオルの糸が歯に掠めとられてしまうからだ。そうなると、ただでさえ経年劣化で擦り切れかけているこのタオルを、私は世界中のほとんど何よりも、と言っていいほどすごく大切に大切だと大切というふうに思っていてそうしているから、その大きさが少しでも減ってしまうことが悲しくてやりきれなくなる。


 何度か考えたことがある。このタオルを私が抱きしめすぎてどんどん擦り切れていって、洗濯するたびどんどん糸がほつれてどこかへ散ってしまって、やがて一本の糸屑みたいなものしか残らなくなったとしても上手く愛せるだろうか。どうしたら上手く愛せるだろうか。プラスチックの透明な保護ケースに入れて眺めるだけにとどめていれば、糸屑ももはや散って見失うことはないだろう。でも今のように抱きしめて眠ろうとするものなら、一晩でとは言わずとも、いずれすぐに、朝起きたら布団の海のどこかへ消えてしまっていた、みたいな別れの日が来ることは避けられない。そのような、ないようでいて微妙にありそうでいて多分ない未来を想定して胸が痛んだ。
 その命の次に大切なお花のタオルは名前の通りお花柄で、白い綿の地に、ピンクと黄色と青色の花が緑色の蔦状になって絡まっている。拡げると横長い長方形の形に似た体の真ん中には白いサテン糸で刺繍がしてあって、それは心臓だと昔から解釈している刺繍なんだけど、どこかわからないけど元のブランドのロゴが筆記体で書かれている。私は生まれた時からそのお花のタオル“オハ”と一緒に眠っているが、一度だけプロダクトとして全く同じタオルが公園に落ちているのを見たことがあった。その時私は小学生で、小学校の近所の公園で、知らない年下っぽい男の子と女の子がブランコの柵の中で遊んでいてその埃っぽい砂土の上に落ちていた。私はそれを見てすぐに、オハと同じタオルだ!と直感した。全く同じ柄の、同じぐらいの大きさのタオルだった、少し違うのは、私のお花のタオルは毎日抱きしめているせいですり減って薄くどこまでも柔らかいのに対して、同じ柄のそのタオルはやや肉厚でハリがあり硬そうだった。あまりにも普通のタオルに見えた。それで、直感的に同じだも思ってからもう一度確かめるように遠目で観察するとやはり同じにしか見えなかった。そのタオルは土に落ちている。でも私は何もしなかった。私は私の友達といたし、年下っぽい男の子と女の子は落ちたタオルに何かアクションをしたかもしれないししなかったかもしれない。そもそも彼らの持ち物だったのかもよく分からない。そのころ私はあまり仲良い子が少なかった。小学校は小さかったけれど、そのころから既に、この世にはなんて意地悪な子が多いのかと心底うんざりしていた、木登りが好きだった。少しして、タオルがどうなったか覚えていない。普通に遊び飽きて家に帰ったと思う。家には同じプロダクトの私の友達がびろんと横になっていたに違いないと思う。


このワンピース

来月のフリマで売る。
買ってから一回も着てない、これはそういう布、そういう布もあるね

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