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『透明人間』

東京事変の『透明人間』という曲が好きだ。
軽快なリズムとクセのある椎名林檎の歌声、そして透明感のある歌詞

歌詞の最後は、ポジティブに「明日も逢える」と締められている。この部分も、とてもステキだ。

ただ、『透明人間』の物語世界の「僕=透明人間」は、明日になったら「あなた」にもう逢えない気がするのだ。
いや、歌詞全体を通して、「僕」はすごく前向きなのだ。「あなた」のことをとても大切に思っていることが伝わってくる。この淡い想いは、きっと「あなた」にも伝わっているはずだ。
だが、そんな「僕」の想いに対して、「僕」と「あなた」はもう逢えない。私はそう感じてしまうのだ。

何故、そのように感じてしまうのか。
長らく疑問であったが、最近ふとその理由が分かった気がする。

曲を初めて聴いた時期」というものが、おそらく大きく起因している。

私はこの歌を2~3年前、大学生になってから初めて聴いた。


大学生の人間関係というものは、とかく薄っぺらい。お酒とテスト問題の貸し借りで人間関係が構築されている。大学を卒業してからも残る人脈は少ないのだろうと思う。

だから、大学で出会った人とは、一度離れてしまうと二度と会えないような気がするのだ。
会うことは出来ても、連絡をお互いに取り合うことはないのではないかと思うのだ。

その気持ちが、歌を聴いた時の自分の感じ取り方とリンクしているのではないかと思う。

青春時代に聴いた曲は、いつまでも甘酸っぱく色褪せない。きっとその原理と同じだ。

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