「アンチ」の構造

誰でも誰かに嫌われたり、いじめられたりなど、そういった経験はあると思う。
その嫌われる人の規模が有名人になったときにそれらがアンチと呼ばれるのだろう。
わたしは今まで彼らのことがよくわからずにいたので
いっそアンチになってみようと思い、アンチを始めてみた。
普段あまり公にしたいことではないし、するものでもないと思うが
どうしてもモヤッとする有名人が
わたしのなかにいるので、その人を対象にしてみた。

わたしの嫌いな有名人がSNSを更新する。
その度に揚げ足を取ったり、ケチをつけたりするような文章をひたすら思い付くままに形にしていく。
ダメだと思ったところのダメ出しも容赦なくしていく……。

やってみた感想をはっきり言ってしまえば
それは、びっくりするほど自分にとって簡単なことだった。
こればっかりやっていたら本当に人としてダメになるのがよくわかった。
文句だけ思い付くまま言ってりゃいいだけなんだもの。
人のこと褒める方がよっぽどエネルギーを使うことがわかった。
良いこととはまた違うのかも知れないけど、褒めるとか良いことするってのはエネルギーを使うものなんだなと、改めて思い知った。

こき下ろす、ってまさにこれという感覚。
アンチやってる人の嫌がらせって、そのままつまるところが、こき下ろし。
自分で言うのもなんだけど言い得て妙というか、これ以上にぴったりな感覚が見当たらない。

そして、こき下ろすのが手法って人は
良いことに対して使える語彙がとても少ない気がする。
はっきり言って褒め下手な人が多い気がしている。
(ちなみに、これはあくまで自分の経験談である)
たとえ普段から読書を嗜んでいたり、文章を書くという行為をしていても
プラスの意識が無意識に働かないから
マイナスの言葉遣いを認識して吸収、そのテーマから自分の世界に近い言葉を抽出してるから
いざっていうときにプラスの言葉の使い方が出来ないんだな、って個人的にすごく納得させられた。
あくまで経験談であり、仮定のような話ではあるが
人がこうやって考えたように生きることしか出来ないのだとしたら、何も隠せないのだろうなと思った。
それは悲しくもあり、喜ばしいことでもある。

自分の本質としては他人のダメなところの方が目につきやすいタイプではあるが
とある出来事から自分の悪意を隠すために褒めることを上手くなろうと、かなり訓練してきた時期があるので
その逆をあえてやるというのは、素直に言ってしまえばかなり新鮮な体験であった。
(…相手のあることなので素直な感想があっていいかどうか、この体験が褒められたものかどうかはまた別の話にして頂きたい)

ただ、わたし個人としてはアンチよりは人を褒める側にいることをおすすめしたい。
それはいい人ぶるとかそういったことではなく
もっとドライな損得勘定の部分で。
たとえば他人のダメなところ、短所を長所とするには発想の転換が出来ればいい。
つまり考え方を変えなくても、考えのベクトルを少し変えてやるだけの
置き換え、言い換えが出来れば
視点を変えずに人を褒めることが可能になるわけである。
そしてその言い換えや発想転換の技術は、そのまま自己アピールをする際にも活きるので
出来て損は無い、と思う。
まわりまわって最後は自分のためになるなら、おいしい話、考え方なのではないだろうか。

あくまで「よねやま論」ではありますが
アンチって多分こういう人たちだということと、
誰かを嫌うエネルギーよりも誰かを好きでいるエネルギーの方が自分にとってお得だというお話でした。

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