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私を通り過ぎた26本の石棒たち

石棒は日本では主に縄文時代の遺物で、その形状から男性器(男根)をモチーフにしているとされているモノだ。と、一口に言っても、その形状はさまざまで、どのように使われたのかもよくわかっていない不思議なモノだ。
男根と決めつけてはいけないという意見もあるが、写実的な造形で男根としか言いようのないモノも多く、すべてとは言わないが「男根をモチーフにしている」という説明は間違いではないのだと思う。

前段で触れたように、石棒は色々だ。形状も違えばサイズも違う、地域性もあれば地域を飛び越えて同じようなモノもあり、「使われ方」や、その「目的」や「役割」だって一様ではないのかもしれない。そう、石棒はなかなか一口では言えないのだ。
ここからは全国のいろんな石棒を26本紹介したいと思う。

※2024年1月27日の石棒フォーラムで使用したスライドを再編集して紹介します。


1.北沢大石棒

1本目はもちろん長野県の北沢大石棒。アンドレ・ザ・ジャイアントと同じ223センチの巨大石棒は圧巻の存在感。田んぼの畦道に仁王立ちしていたその姿は今でも目に焼きついています(2024年現在は保存のため取り出され、佐久穂町生涯学習館 花の郷・茂来館に展示中)。
北沢大石棒は日本で一番大きなサイズの石棒で、太さも圧巻。重さも日本一です。
この石棒は大正時代に見つかり、その後、100年間田んぼの畦道で、日本と世界の趨勢を見守っていました。戦争に敗戦、復興、高度経済成長の全て見守っていました。これはほんと凄いことだと思います。
移動が決まっていた2022年の10月に最後の勇姿を見に行ったのですが、この日はこの石棒にとまった糸トンボが交尾していて、ハートの形を描いていました。


2.栃木県下久保遺跡の石棒

長さでいえば二番目に長いのはこの栃木下久保遺跡の石棒
202センチと琴欧洲と同じ身長ですが、堂々とした北沢の大石棒を見た後では、ひょろひょろというか、まだまだだなと思ってしまうけど、これは北沢がすごいだけで、2メートル超えの石棒はすごい。2メートル超えの石棒は日本に今の所、2本だけです。この石棒は千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で見れます。

3.東京都町田市の忠生遺跡のバキバキの石棒

後ろの土器はこの石棒の出た住居からの出土。石棒だけじゃなく土器もすごい。

3本目は東京町田市の忠生遺跡。サイズは184センチで、第3位の大きさ。
小栗旬、斎藤工、沢村一樹、と、イケメン俳優たちと同じ身長。もうひとつ言えばオール阪神巨人の巨人師匠も同じ身長です。
だけど、サイズではなく何がすごいかといえば、この石棒は縄文人によって執拗に焼かれ、バキバキに破壊され破棄されていたのだ。熱をウケた石棒は少なくはないですが、ここまで執拗に焼かれてこんなにもボロボロに破壊されているものはほとんどない。そしてこのサイズでというのも凄い。組み立てるのも大変なのではないかとも思う。
石棒祭祀の一つの形かなんなのかとにかく見ているだけで背筋に熱い戦慄が走る。かなりヤバい石棒です。

4.緑川東遺跡の4本の大型石棒

敷石の竪穴住居(住居かどうかはわからない)にこのような配置で置かれていた。石棒の下には敷石はなく、最初からここに置かれることを想定されていたのではという推測もある。

4本目は4本目なので東京、国立市の緑川東遺跡の4本の大型石棒を紹介したい。サイズは大体110センチくらいで揃っているけど微妙に違って、重さは各30キロほど。サイズのランキングでは20位から30位くらいに位置付けられている大型石棒です。ほぼ完形の石棒が竪穴住居の中から4本も並んだ状態で出土。その異例な出土状況は縄文の訳のわからなさの一端を担っている。安山岩と言われているのですが、国立市内には、安山岩の柱状の大きな石がないので、別の場所で作られてこの地まで運んでこられたのではと言われています。遺跡は今は病院になっています。展示はくにたち郷土文化館。

5.籠峰遺跡のリアルな石棒

ここからリアルな石棒を紹介したいと思います。リアルとは明らかに男根を模している石棒ということです。ちょっと下品になるかも知れませんがすいません。

真ん中でポッキリ折れて出土した。

まずリアル一本目は新潟県籠峰遺跡の石棒を紹介したい。ひかないで欲しい。縄文長しと言えど、ここまでリアルな石棒は他にない。大きさもリアルで、よく観察してみると、皮を途中まで被っているのがわかる。展示は新潟県上越市の片貝縄文資料館。籠峰遺跡は、片貝縄文資料館の近くにある後期と晩期の遺跡です。

籠峰遺跡の土偶と石冠(右)。石冠もかなり男根している。底部に刻まれた丸い文様はまさか睾丸か?


6.和泉A遺跡包茎石棒

同じく片貝縄文資料館の展示から。和泉A遺跡からはこの太形石棒が出てる。縄文中期初頭。デカくて太い。そして男根と言ってもかなり包茎っぽい。


7.八木A遺跡男根石

尿道も刻まれている。

包茎石棒の次はしっかり剥けたリアルな7本目。北海道の函館市、八木A遺跡の前期後半の石棒、サイズは5センチと小さいけれど、そのまんま男根石と呼ばれているほど精巧に作られている。八木A遺跡は国宝である中空土偶(カックウ)の出た著保内野遺跡の割と近い場所にあります。
こちらはこのリアルさも含めほとんど類例がなく、中部高地の石棒とは違う系譜なのではないかとも考えられている。

8.野首遺跡のだるま石棒

包茎といえば、この新潟県十日町野首遺跡の土偶も忘れてはいけない。だるまのような仮性石棒。もしかしたらカントン包茎状態になっているかも知れません。ちょっと窮屈で苦しそうにも見えます。
野首遺跡、十日町市で、笹山遺跡とも近くて、この両遺跡は同じ集団が移動して作ったかもとの話もあるので、国宝の火焔型を作る人たちの石棒かも知れません。このだるま石棒。


9.上ノ原遺跡の前期石棒

手のひらに収まるくらいのサイズ

もう一つ包茎石棒。埼玉宮内上ノ原遺跡の包茎石棒、縄文時代前期後半の石棒で縄文時代前期の石棒の出土例は少なく、埼玉県内ではほとんどみられない大変珍しい資料です。展示は本庄早稲田の杜ミュージアム


10.ポンペイの石棒

写真は堤博士

おまけですが、海外の石棒も。ポンペイという町は快楽主義的な社会だったと考えられている。しっかり睾丸も表現されている。


11.香坂山遺跡の石棒(左)、12.岩戸遺跡のこけし形石製品(右)

右のこけしは光の方向と陰影で顔のような窪みが見えてくる。制作意図しているかどうかはわからない。

古いといえば、これが最古の石棒(左)。縄文時代でもなく、旧石器時代の香坂山遺跡(佐久市)で見つかったものです。約37,000~37,500年前。
右は岩戸遺跡(大分県)のおよそ28,000年前のもの。こけしのような石製品。
左の石棒は整った形で出土し、長さ33.3ミリ、幅13.8ミリ、厚さ11.9ミリ、重さ8グラム。国内で発見された石棒の中では最小でもある。結晶片岩製で、きらきらと光る雲母も含まれている。


12.金生遺跡の石棒

つい立ててしまうのもなんとなくわかる。
大きな石棒のモニュメント。2メートルくらいある。

12本目は山梨北杜市の金生遺跡の石棒。この遺跡は多くの配石とそれに伴ういくつもの石棒の見つかった祭祀性遺跡。資料は北杜市考古資料館に置かれるが、遺跡は復元され公園となっている。そして入り口にはいいのかなと思うくらいとんでもない大きさの石棒の門柱が鎮座し来るものを試している。
最初の写真の背景に発掘時の写真があり、左下に石棒が立てられているが、実は出土時は倒れて出土したようだ。これを立てて写真を撮ったのは正しかったのかどうなのか、そこに石棒は立っているものとの観念がなかったのか議論になっている。

13.塩屋金清神社遺跡の1,074本の石棒

ここを舞台に石棒クラブというファンクラブが結成され、様々な活動が行われている。

13本目は1,074本(大矛盾)の石棒。飛騨の塩屋金清神社遺跡に残されていた作りかけの1,074本の石棒たち。ほとんどが未製品でこの異常な数は、ここが石棒制作のムラだったことを示唆している。時期は後期。同時に作る工程そのものが祈りだった可能性もとの説明を受けたけど、本当のところはどうなのでしょう。
ここでは、柱状節理の原石をどうやって石棒に加工していくのかの工程がほとんど出ていて、そこがすごく面白い。工程って普通なかなか出ないと思うので。展示は飛騨みやがわ考古民俗資料館。

14.堂ノ前遺跡の彫刻石棒

飛騨みやがわ考古民俗資料館では、完成品としてこの堂ノ前遺跡の彫刻石棒も必見です。写実的な上に彫刻部分はデザインされている石棒で、彫刻石棒はリアルさに加えてちゃんとデザインされているという感じで良いなと思う。堂ノ前遺跡のこちらは中期中葉です。


15.芋川原遺跡の彫刻石棒

先端部を拡大するとこんな模様。

彫刻石棒といえば新潟の芋川原遺跡のこの石棒を忘れてはいけない。中期中葉。均整の取れたフォルムと柔らかでいてはっきりとした膨らみ。96に見える象徴的な彫刻部分がカッコいい。うーん惚れ惚れといい石棒だ。サイズは72センチ。この石棒は石棒界のマスターピースとも言える資料だ。長野も多いけど新潟も多い。新潟は火炎型土器だけではない。これは津南町のなじょもんで見れる。


16.二枚橋2遺跡の美しい彫刻の頭を持つ石棒(または石刀)

撮影:小川忠博

こちらは青森。二枚橋2遺跡の美しい彫刻の頭を持つ石棒(または石刀)。この遺跡からは200本の縄文晩期の石棒(石刀)が出土している。シャープに彫られた彫刻は美しく、時折顔に見えるものもある。石棒と石刀の境目というかどこで区別するべきなのでしょうか、これもやはりグラデーションなのかもしれない。


17.宮平遺跡の彫刻石棒

長野県宮平遺跡、浅間縄文ミュージアム。これは彫刻されていることに加えてリアルでもある。


18.陸前高田市の顔付き石棒

名前はせき坊

岩手県陸前高田市板橋山遺跡出土。縄文時代晩期。顔付きの石棒は本当に珍しい。石棒自体の形状やデザインは実は17本目の長野県宮平遺跡のものと近い。頭部の形状や刻み目の入れ方とか首の装飾もかなり近いものがある。長野と岩手、距離は遠いが共通の石棒感があったのかもしれない。
この石棒は陸前高田市立博物館のキャラクターにもなっているので、石棒界随一の愛され石棒と行ってもいいだろう。


19.キウス周堤墓の石棒

頭部には彫刻が施される。

石棒には両頭石棒という種類もあって、例えばこれ世界遺産でもあるキウス周堤墓の石棒。石をこんなにきれいに仕上げられるものだろうか。すごい。長さ57センチ重さ710g、粘板岩製。一部に赤色の顔料が残っていたので、赤く塗られていたかも知れない石棒です。


20.京野原遺跡出土石棒

撮影:小川忠博

こちらは文様のない完形の両頭形石棒。縄文時代後期前葉から晩期中葉のものと考えられます。 こちらもとびきり古い資料があって安政3(1856)年にこの石棒が出土した時の様子を記す文書2通が残されていて、考古学的な発掘資料ではありませんが出土状況を知ることができる。
長さ58.0cm、幅3.8cm、厚さ3.3cm、重さ1.14kgあり、石材は、キウスと一緒で黒色の粘板岩(ねんばんがん)です。両端の頭の部分の形が違うのも両頭形の中でも結構珍しいもの。

21.北区西ヶ原貝塚の石棒

こちらが本物の石棒
こちらは子宝祈願の石棒の模造品

こちらは北区西ヶ原貝塚の石棒、両頭の石棒でサイズも小さめで綺麗な石棒だけどそれほど特筆するようなものではなかったりするのですが、実はこの石棒、近くの北区西ヶ原にある七社神社で子授け石棒として模造品が売られているのです。22cm(台座 30cm×8cm)初穂料 3,000円(箱入です)

*子宝祈願で祈願料を1万円以上お納め頂いた方には「子授け石棒」を記念品にお付けしております。とのこと。


22.谷地遺跡の鼓形石棒

谷地遺跡報告書から

ちょっと特殊な形の石棒も紹介します。こちらは宮城県の蔵王町、谷地遺跡というところの石棒で、頭部が鼓形(つづみがた)の石棒です。この形は蔵王山麓にほぼ限定されている形で、かなりのローカルな石棒です。


23.御所野遺跡のミニミニ石棒

小指よりも小さくて細い石棒

大きな石棒ばかりじゃなくてすごく小さなものもあります。御所野遺跡のミニミニ石棒です。めちゃめちゃ可愛い。

24.家の下遺跡の老ねずみ形石棒

老ねずみ形石棒、全然一般的な名称じゃないかもしれない

老ねずみ形という石棒もあります。こちらは飛騨あたりで見かける石棒のタイプです。家の下遺跡。「家の下」って家の下が遺跡だったのかしら。飛騨みやがわ考古民俗資料館


最後に、出土状況がマジカルなものを紹介したいと思います。

25.海道前C遺跡土坑出土品

真ん中の土器は人面装飾が付けられた出産を表す土器。津金御所前遺跡出土の出産土器は胴部から赤ちゃんの顔が出ているが、この土器は出産直前の様子を示すものと考えられる。石棒とともに埋納された状態で出土し、県指定文化財となっている。


26.穴場遺跡の出土状況

石棒に噛み付くような香炉形土器、石棒の先には立てかけた石皿。
ガブリ

最後は長野県諏訪市の穴場遺跡の住居跡から、写真のように立てられた石皿の窪みに石棒が向かい、その石棒を動物装飾付の釣手土器が噛み付いている。石棒とは一体なんなのかそんなヒントがここにある(かもしれない)。


まとめ

26本の石棒を見てきたけれど、石棒と言っても、一口では表せないことはわかっていただけただろう。大きなもの、小さなもの、中くらいのもの。リアルなもの、リアルでないもの。彫刻されたもの。デザインされたもの。顔のついたもの。石棒も色々だ。
また、さまざまな石棒を見ていて気がついたのは、しょんぼりした石棒がないことだ。男根をイメージしているとしたら大小の差はあれ、すべての石棒は勃起していると言えるだろう。
睾丸が作られないのも特徴だ。縄文時代はたくさんの石棒が作られるが、実は睾丸が表現される石棒は一つも無い。縄文後期以降によく作られる注口土器の注口部分には睾丸が表現されることがよくあるのに比べ、同じ男根をモチーフにしているであろう石棒には睾丸の表現がない。製作上の都合かもしれないが、一つも無いということには何か意味を感じてしまっても仕方がないだろう。

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