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自分で直した☆レンズでいく仙台 (smc PENTAX-DA☆16-50mmF2.8)

 PENTAXの一眼レフって、歴史的にボディ側にAF駆動モーターを入れています。今でも。
 ニコンやミノルタも最初ボディモーターで始めて、やがてレンズモーターに移行していったんですが、PENTAXはデジタル時代になってようやくレンズモーターへの移行を始めました。
 これが「デジタル移行と同時にレンズモーターに移行」とやれていればよかったんですが、初期の*istシリーズおよびK100Dについてはボディモーター専用で作られていました。
 2007年ごろからレンズモーター移行が始まるものの、まだ非対応ボディも現役だったので、「レンズモーターが使えるなら使う、使えないならボディモーターを使う」という両対応仕様のレンズが作られます。

両対応レンズのマウント

 そういうレンズは、ボディモーターの動力を物理的に伝えるカプラーと、レンズモーターに電力を供給する接点と、両方があります。
 電子接点はAFレンズにはどれもあるので、これを目印に時計回りに60度くらいのところにAFカプラーがあります。

 で、ですね。
 PENTAXがレンズモーターに移行した初期に作られたレンズは、そのレンズ内モーターがすぐ故障しちゃう傾向がありまして。
 よくいわれるのがsmc PENTAX-DA★16-50mmF2.8、DA★50-135mmF2.8。中古屋で「AF不良」となってるこれらのレンズを、そこそこの頻度で見かける。
 これらは、レンズモーターがだめでAFできないけど、ボディモーターでAFを駆動できる機構は備えてるわけですね。

 じゃあボディモーター使わせてくれよ、と思うわけですが、あいにくボディは「レンズモーターのあるレンズ」と認識しちゃうので、動かないレンズモーターを動かそうとしちゃう。
 正当な使用法では、*istDシリーズかK100Dに取り付けたときしかAFが効かない。

 でも正当でない方法がありましてね。
 うらメニュー(PENTAXデジタル一眼のCCD使ってた頃の古い機種だと呼び出し方があります)を出すと、レンズのEEPROMに書き込まれてるデータをSDカードに落とせるんですね。
 そしてそのデータを適切に書き換えて、ボディモーター使用レンズだと変更しちゃってから、うらメニューでレンズに書き戻すと。
 そうすると、レンズモーターがないレンズだと認識され、ボディモーターでAFが駆動します。

 普通の人は古いPENTAXのデジタル一眼レフを持ってない、というハードルがあるんですけど、私は普通のPENTAXIANなので持ってるんですよね。あとはぐぐって調べりゃまあなんかわかるんで。

 そういうわけで、なんかミーミーいいながらボディモーターでAFするDA★16-50mmF2.8をK-70につけて、ちょうど用事があって仙台にいってきたのでした。

仙台

 京都から仙台までいく切符を予約しようといつものスマートEXを開いたら東京以北を選べない。JR東のえきねっとで予約しなくちゃいけない、と気付いてそっちなら予約できたけど、ICカードに紐づけてチケットレスにならない。紙で発券せにゃならんのでそのように予約したら、京都駅のみどりの券売機で発券という。事前に行けないから早起きして京都駅で30分くらい余裕持たせて京都駅の新幹線口にきたけど、「みどりの券売機」と記載がない券売機しか見えない。じゃあ、とみどりの窓口で発券しようとしたら「券売機で」といわれる。聞いたら新幹線用の券売機でいいらしい。
 やはり分割民営化は悪。時代は統一再公営化!

 ということで、5時起きで出発して昼前についた仙台。

スマホにて(このスマホは食べ物写すには青っぽくなって向いてないな)

 とりあえず昼食は、駅前の商店街で見かけた、元祖仙台ひとくち餃子あずまなる店に入って餃子を食した。ぜんぜん知らないので仙台では一口餃子が名物なのかと思ってたのだが、ぐぐったらこの店の話しか見えないぞ。確かに元祖だ。
 ともあれ、リーズナブルで味もよくてよろしいかと思います。

 とりあえず青葉城に行こう、ということで、地下鉄東西線のほうへ。

 地下鉄東西線の工事で、仙台の地下に眠る500万年前の、化石を多数含む「竜の口層」という地層を彫っちゃったので、一部取り出して保存・展示していると。ほんとにすごい量の化石。

 で、私は鉄道乗りつぶしも趣味の一部(ガチ勢とは程遠いけど)なので、八木山動物公園駅までやってきました。
 そして3月20日の仙台、大阪人感覚じゃ数年に一度みたいな吹雪でした。
 八木山動物公園は、まあ望遠レンズも持ってきてないし、この天候で楽しんでる余裕なさそうなのでさすがにパス。というか、普段水曜休みなのに祝日だからと開けたらこの天気か。職員さん大変だ。
 そしてすぐとなりは八木山ベニーランドという遊園地。滅亡したみさき公園のような昭和スタイルの遊園地で、聞こえてくるテーマソングらしいのも昭和丸出し。味わい深い。

 吹き降りの雪の日、薄暗い中でまるで人の気配もなく、昭和なテーマソングだけが聞こえてくる営業中の遊園地。エモ?
 というか仙台ともなると冬季には営業できないんじゃないか、と思ったら、やっぱり3月10日までは冬季休園だったらしい。開けて10日でこんな天気の日がくる。従業員さん大変だ。

 なんでベニーランドの横歩いてるかというと、青葉城に向かっています。吹雪(大阪人基準)の中。一応道端に「青葉城ロード」って看板かかってたんで、こっちから行ってもおかしくない。吹雪でなければ。

 こっちからいくと、仙台城の南面を守る竜ノ口渓谷を、かかってる橋の上から見れるのだ。橋の柵の隙間からレンズの先を出して、雪の中でろくにフレーミングもせず撮ったからあまり断崖感が出てないけど、これはもう急激な断崖。岩肌が見えてる。
 芥川山城西側の摂津峡も深い谷ではあるんだけど、竜ノ口渓谷と比べるとまだしもなだらかに広い感じがするなあ。

 橋にも政宗公。

 そして青葉城の裏口。まあ戦国時代に竜ノ口渓谷を超えて攻め込まれることはさすがに想定しないと思うので、ここに到達できれば勝てる。

 本丸は主に宮城縣護國神社になってるので、この橋を渡ると参集殿。
 その参集殿がフードコートになってたり、展示施設が隣にあったりしている。さすがに寒いのでホットコーヒーで一服。

 本丸会館では、「イラスト展 いま仙臺城跡に集うII 伊達政宗公と家臣と姫たち」というのをやっていた。
 入場料は能登地震への寄付を、ということで500円入れておいた。
 ちょうど仙台放送だったかの取材カメラが来ていて、「入るところ撮らせてくれ」といわれてしまい、どこかでしれっと使われちゃったかもしれない。出るときにコメント求められたのにはさすがに逃げたけれども。
 他に一般客はおらず、どうやら伊達武将隊の人らしい人が、確か伊達成実のイラストの前でだったか、職員さんと「やっぱり自分のがいいですか」とか話していたのが聞こえた。

 イラストは、戦国系ゲームとかでおなじみの大御所の作品が奥に飾られ、その脇には仙台出身の漫画家の作品、そして手前は地元制作会社や学生さんの作品。
 学生さんの作品なのに、なんか90年代アニメっぽい画風とか00年代のCGイラストっぽい画風に見えるのがあって、今となっては逆に新鮮で自ら選んで影響を受けにいったりもするのかなあ、とか想像しながら眺めていた。

 それから隣の青葉城資料館へ。
 フロアひとつの小さな展示場だけれど、けっこうみっちり収蔵されている。再現模型の他に、政宗の黒漆五枚胴具足、伊達家の婚礼調度品、伊達家の抱え刀工・藤原国包や出羽の刀工・月山の刀などがあった。
 そしてさすがの政宗公推しで、具足に鉄砲を打ち込んで貫通しないか検査した跡がある、というのに「戦国の世にJIS規格」と微妙におもしろいコピーつけて、それをちゃんとした具足で家臣の命を守る政宗公は偉大、と持って行く。

 さらにはCGに古くから力を入れていて、今も大スクリーンで映像を流してるのが観られるし、HMDをかぶって本丸跡にVRで再現した仙台城を歩き回れるとかやっている。
 それこそ90年代後半からCGで仙台城の再現映像とか作ってたそうな。その頃だとまだPCじゃ難しくて、Silicon Graphicsあたりのワークステーションでやってたんじゃないの。私は今の映像よりそっち見たいな。

 雪も穏やかになってきたところで外に出る。
 仙台城には懸造という、清水の舞台みたいに断崖に張り出すように作られた建物があって、明治初頭まで残ってたそうな。
 眺めがいいから客を迎えるのに使ってたそうで、伊達氏時代の米沢城にも作ってあったとか。
 そこからの眺めは真東向きで、広瀬川の蛇行の向こうにずっと宮城野が広がっている景色。

 伊達政宗公像。像作られるタイプの城主と、そうでない人がある気がするが、有無を集計すれば傾向が見えるだろうか?

 残念ながら、今となってはあまり当時の建物なども残っていない。明治時代に陸軍が壊してしまって、残っていた大手門と脇櫓も戦争で焼けた。
 天守はもともと存在しない。1601年の城だから、流石に幕府に遠慮しておかなきゃいけなかったらしい。

 石垣はある程度残っている。本丸の北側の石垣は、こんなきちっとした切込接ぎ。多分時期的に新しいはず。
 もともと野面積みの石垣があって、1616年に地震で崩れ、解体して盛り土に埋め込んで、重ねるように新たな石垣を積んだ。そしてそれも1648年・68年の地震で崩れたから、さらにこんなふうに積み替えて、今なお健在。
 しかし地震の被害が多いのは最近も変わらないそうで、東日本大震災はもちろん2022年の福島県沖地震でも石垣の崩落などの被害があって、今でも車両通行止めのところがある。

 忍者も足がかりがなくて困るようなクオリティ。
 政宗の感覚では、この仙台城は太平の世に向いた城ではなく、死んだら修築しろと言い残していたそうなのだけど、この石垣がこんな最先端の切込接ぎに修築されたのは政宗の死後だな。
 とはいえ城自体は、政宗死後すぐの1638年に北側(東北大学の敷地になるあたり)に二の丸が作られて、そちらが城の中心になった。今の大手口も二の丸ができてからのもので、もとは本丸を北に出て東に出るのが大手だった。

 石垣のとこからもう少し降りると、大手門方面か、旧大手の巽門方面の分かれ道。今回は巽門方面へ。

 こっちにはいかにも昔からありそうな野面積みがあるなあ。

 もう少し降りると、清水門跡というところがある。
 このあたりは三の丸にあたるので、そこから本丸への通路に設けられた形。
 1964年・78年・2003年の地震で崩落していて、東日本大震災でもこの角の部分がくの字にひん曲がった。それを機に、過去の修復でコンクリで固めたりしちゃってたのを、できるだけ元の姿に近く修復したとのこと。

 清水門というのが、この近くに湧水があって、その水で仙台藩の御用酒蔵が作られてたからだそう。「御用酒発祥の地」と碑が建っていた。

 仙台市博物館は休業中だったので、そのまま出てくると、長沼というところに出てくる。これが三の丸東を守る堀だった。
 堀の向こうは今でも川内追廻という地名で、厩や馬場、馬担当の役人などの屋敷があったそう。その向こうは広瀬川が流れているので、まだ城内みたいなものか。

 北東角のところで、北側の五色沼から長沼へ水を引いてるのがわかる。広瀬川→五色沼→長沼と流れ込むように作ってたそうな。

 そして五色沼ですね。
 明治23年頃から外国人が凍った五色沼でスケートを始め、30年頃にはフィギュアスケート教室が開かれ、40年代には仙台二高の生徒が習って教える側に周り、各地へと広めていったそうな。

 桜が咲いてたので陰陽二枚で。

 足元にはのどかなマンホール。

 大手門にくると、脇櫓だけ再建されている。帝国陸軍と空襲で何もかも失われている仙台城で、復旧されているのもこれくらい。

 こっちにも桜が植えられていた。

 その向かいには、支倉常長像が建っていた。右手の巻物は世界地図だろうか。はるばるローマまで渡ったけど、戻る頃には禁教になっていた……というのも悲劇の人ではある。

 本来は瑞鳳殿も行くべきなんだけど、翌日からフルで仕事、帰路にもあっちこっち寄りながら仕事みたいな旅程なので、時間と体力的に厳しくてまたの機会に。勤め先の営業所が仙台にあるから、また来る機会もあろう。

荒井

 地下鉄東西線、この機会に乗りつぶしておかないとなかなか次がないな、と思ってそのまま乗っていく。
 仙台市地下鉄は意外と新しく、南北線の開業が1987年、東西線は2015年にようやく開業したばかり。
 この東端の荒井駅は、東日本大震災の津波が到達したところにできたそうで、駅前には若林区の浪分神社ちなんだ波分桜というのが祈念に植樹されている。

 駅舎はそのまま地上3階のビルにされていて、そこにはせんだい3.11メモリアル交流館という施設がある。
 津波被害で解体された仙台市立東六郷小学校の体育館の床板を、交流館の床板やテーブルなどに再生したとのこと。置いてある椅子も、震災遺構の荒浜小学校から持ってきたもの。
 荒井ってなにもないかなあと思って来たけれど、思いがけずじっくり見ていく施設があった。

その他

 泊まったホテルの窓からの眺めが非常にソリッドだった。

 帰路、なんやかやで小田原から新幹線に乗ったのだけど、少し時間があったからウロウロしてたら、二宮金次郎がいた。出身地らしい。

 電話ボックスって好きで撮っちゃうな。

smc PENTAX-DA☆16-50mmF2.8について

 なにせ悪天候で画質の評価が難しかったけれど、開放だと少しだけふわっとするかな。
 片ボケが気になる個体が多いレンズらしいけど、今回撮った写真で「これ右端が甘いな、これがそうか」と思ったら別のカットで左端が甘かったりして、どうやらもともと周辺がちょっと甘いレンズらしい。
 私の個体は片ボケは特に気にならないかな。

 少し上の二宮金次郎など見ると、テレ端だと開放で隅の方までレモンにならない、いいボケしてるなあ、と思う。
 しかし別のカットだとちょっと、なんか妙なボケ方してることもあった。距離とか絞りでクセが出てくることもあるのかな。まだわからない。

 木の枝と空の間にパープルフリンジが出ることがあったけど、まあPENTAXはよく出るしな。現像で消せるレベル。
 周辺の甘さとパープルフリンジ、スターレンズとはいえ粗もあるなー、って感じはするけど、まあズームだし、かなり古いレンズだしな。
 別に粗のなさだけが画質でもないし、ちょっと使っただけでもやはり廉価なレンズとは違う写りなのはわかるな。ピクセル等倍で見るよりは、画面全体で見るとよく見える感じ。

 サイズ・重量も、K-70と合わせると思ったより軽快で、やっぱりAPS-Cだと楽だなあ、とJ limited 01の重さと比べて思っちゃう。
 ワイド16mmで広く使えるのも嬉しい。
 テレ50mmは、まあ換算75mmあるんだし、75mmと85mmや105mmがそれほど違うかというと別に。もうちょっと寄れると嬉しかったかな。

 10年前の現役時代に使ってた人からすると、とにかくSDMのトラブルに難儀するレンズだったらしいのだけど、ボディAF駆動にしちゃうと一切関係なくなる。AF速度はボディの次第で、K-70だと快適でK-01だと遅いでしょう。

ボディモーター/レンズモーター両対応レンズについて

 今回の、レンズ内モーターが故障した場合に、うらメニュー経由であれしてボディ内モーターで使えるようにする手口、両対応レンズなら他のやつでも使えそう。

 どれがそうかというと、まあPENTAXのサイトで、レンズ型番にSDMとかDCとかレンズモーターの表記がありつつ、「ボディAF」という記載もあるやつが両対応……といいたいんだけど、なんかこのへんちょこちょこ間違えてるんよね……。
 例えばDA20-40mm Limited、ボディAFって書いてるけど、マウント部の写真見る限りボディAF用カプラーはついてない。間違えるの仕方ないねんけど、発売して何年気付いてないんやろ、って。
 DA★55mmF1.4もボディAFって書いてるけど、多分カプラーついてないと思うのだが。まさかロットによって違うのかな。
 このへん、ネット通販で中古品出てたら、マウント部も撮影して掲載してることが多いから、それ見て判別したほうが確実そう。

 で、私が分かる範囲で調べてみて、両対応らしいのは以下の5本。

  • smc PENTAX-DA★200mmF2.8 SDM

  • smc PENTAX-DA★300mmF4 ED [IF] SDM

  • smc PENTAX-DA★16-50mmF2.8ED AL[IF] SDM

  • smc PENTAX-DA★50-135mmF2.8ED[IF] SDM

  • smc PENTAX-DA★60-250mmF4ED[IF] SDM

 と、全部スターレンズだった。高級レンズとなると過去機種を見捨てられない、って判断もあったのかな。


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