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投票率と自己決定権の感覚について

昨日の参院選の投票率は5割を切っている。なぜ投票率は上がらないのか?何がどうなったら投票率が上がるのだろう?とか考えていたのですが。

多分政治に興味を持つっていうか、生活を主体的に変えることに興味を持つってことなのかもな、と思いました。

自分たちはみな快適に、幸せに暮らせる権利を持っている。そして、自分自身の生活はもちろん、環境や社会をよくする力も持っていると感じられること。

生活に余裕と希望がなければ、政治に興味を持つ余裕もまず持てないのはもちろん、自分に関することを自分の意志で選べた経験がないと、社会のあり方を選ぶ、社会の在り方を変えるために行動するという発想も生まれないのでは。

自分のやりたいことや環境を「自分で選んだ」と感じられる経験がなかったら、「自分たちが力を合わせたら社会を変えられるかも」とか、思いつけもしないはず。

自分に関することを自分で決めることのできた経験の不足自己決定権の感覚の薄さにつながり、それが生活への希望を全般的に減退させ、ひいては政治への関心の薄さにつながってるのかもしれない…などと思いました(個人的には、義務教育期間の学校、家庭における生活の自由度のなさが大いに影響しているのではと思ってしまいますが…)。

人はみな本来、自分のことを自分で決めることができるという自己決定権を持っている。でも、ちいさいころに家庭や学校で自分の決定や意見に干渉されすぎると「とりあえず言われたことにしたがっておけば間違いない」と思うようになり、そのうち「自分には自分のことを決める権利がない」と無意識に感じるようになるはず。選択権や決定権に関する学習性無力感ですな。

そんな人間が、自分より大きい単位の社会、そして政治に対する選択権、決定権を行使しようと思えるでしょうか、いや思えない。思えるはずがない。

政治に興味を持つ前段階として、小さいころから自分には幸せに暮らす権利や、自分なりの幸せを追求する権利があると思えること、あと、社会から影響を及ぼされるだけでなく、社会に影響を及ぼす力があると思えることが大事なのかもですね。

学校で「国民の権利」とか「民主主義」とか習っても、学校や家庭でちょっとでもそういう権利を行使できる環境がなかったら、結局遠い世界のできごとになっちゃう。

自分で自分の好きを選ぶ話し合って自分たちがより過ごしやすいように環境を変える。この辺りを成長過程で体験できないと、政治は遠い世界の話のままなのかもなあ。

大人は、小さい人、若い人にここはそういうことができる世界ですって口だけでなく行動でも示して行く必要があるのだろうな、と思いました。

また、もう大人になって政治に興味が持てない、選挙に行く気がしない、という人は、自分の人生や生活に関わることを自分で選べている感覚があるだろうか?と自問してみてもいいかもしれない。

もし「いや、そういえばあんましないわ…」という場合は、自分の人生や生活に関わる選択権、決定権をまずは日常の中でどんどん行使していくと良いのではないかと思います。

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