期待とは、しない方が良いのだとまた最近学んだって話。

今日は、誕生日でした。
関係なく仕事でした。それは別にいいんです。
優しい上司は、もんじゃ食べに行こう!って言ってくれたのですが、在宅の仕事はあるし、家に夕飯があるので断ってしまいました。ごめんよ。

そんなこんなであまり、祝われない私です。ツイッターで『名前@明日誕生日』とか書いている人が苦手なタイプです。

誕生日って特別になると思いませんか?毎年、未だにもしかしたら特別な1日になるんじゃないかって思うんです。
サプライズがあるかも。友達が誕生日おめでとう!って連絡くれるかもって。
でも、実際は何もないんですよね。
特別だと思っていた分落胆が大きくなってしまう。期待って言葉の裏には、大きな溝があるんですね。毎年その溝に落ちます。笑
自分から告知してお祝いされるのは少し苦手です。ひねくれているので、嬉しいけど悲しくなってしまうのです。

そして、わたしの誕生日は、誰の心にも残らない日なんだ。って思ってしまいます。

だってそうでしょう?誰も覚えようともしない生まれた日。生まれた意味はあったんだろうか。中学の時虐められて枕を濡らした夜。毎晩。そう思っていたのを誕生日に思い出します。
生まれてきて、人と出会った意味はあったのだろうか。って。
誕生日じゃない日はそうは思わないのです。

「私に出会ったから笑って過ごせた人は少なからず一人はいるから生まれなきゃよかったとは思わない。」
って思うんです。

誕生日は違います。私が生まれた日です。その日に誰からも存在を知られていない私がここにいるんです。ツイッターで400人以上の人が私という存在を知っているのに、そして現実でも100を超える人が私を知っているのに、私が生まれた今日を知らないんです。
複雑にひねくれた私は、悲しくて仕方ないんです。生まれた意味はあったのでしょうか?誰からも覚えられない今日という生誕日は必要だったのでしょうか。

私には私がここにいる意味が23になった今日。またわからなくなりました。

今日は静かに家族にケーキで祝ってもらおうと思います。無い物ねだりをしてしまいましたね。ごめんなさい。

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