ジャニオタのシャーデンフロイデ〜他人を引きずり下ろす快感

「不謹慎なヒト」を検出して攻撃することを、「シャーデンフロイデ」という感情と考えることができるそうです。中野信子著『シャーデンフロイデ〜他人を引きずり下ろす快感』(幻冬社)は、不倫報道などへの人々の反応に対して分析した書籍ですが、読んだらジャニオタの世界に通づるものを感じ、最終的に反省したくなったので、記録しておこうと思い、珍しく書いています。


他人を引きずり下ろす快感

例えば、「最前センターの席にいたロングヘアの水色のワンピ着た●●担、盗撮してた」と書き込んだ場合、そのつぶやきなどに対して同調の意見が集まり、炎上することでしょう。しかし、その行為が見える席にいた人が書き込んだことが分かりやすかった場合、逆に特定されてリベンジされる可能性があります。法律や規則を逸脱する行為は許されませんが、こういったことを書き込む行為はリスクがあります。なぜ、人はリスクをおかしてでもこうした行動をとるのか。その理由がこの書籍に詳しく書かれています。

「『目立つあいつ』『ムカつく誰か』『一人だけズルをしているかもしれないあの人』が傷ついたことによって得られる、ドーパミンによる快感です」「ヒトの脳はだれかを裁きたくなるようにできている」

正直、わかる気がします。話をもっと身近にすると、「取れない公演のチケットをたくさん持っている」「いつも良い席にいる」「いつも手を振ってもらっている」…こういうことがあると「ズルしてるんじゃない?」と思うでしょう。ズルしてイキってる人が地に落ちる。水戸黄門を見たときのスカッとする感じにも似たところかもしれません。

“本当に”ズルしている人がいると、規律が乱れていくことは明白で、その組織の先行きが危ぶまれますから、背中を押された気持ちになって何か行動に出てくる人が出てくることも感覚として分かります。

この書籍で解説されていく間、特に怖いと感じた記述として、以下のものがありました

愛を抱えている時の私たちは、(略)懐疑的に人を見ることは少なくなり、情緒的にひとを信頼したり、攻撃したりするようになります。

ジャニオタは担当への愛がすべての発端です。愛にまみれているなかですから、情緒的になり攻撃性が増すのかもしれません。

ズルしていないのに引きずり下される人

ところで、“本当に”ズルしているならばと書きました。叩かれる人の多くは何かしらしでかしてることがほとんどでしょうが、違うときもあるように見えます。「目立つ」「異質」という場合にも、シャーデンフロイデのアンテナは反応するそうです。

『正しい側(大勢の側)に回ってルール違反者を処罰すること』で、オキシトシンやドーパミンが脳に分泌され、快感が得られるようになったのです。(略)その快感は非常に大きいものです。あまりにも大きいから、その快感得たさに獲物を探し出すということまでしてしまいます。本当はルールを破っていなくても、『あなたは破りましたね』と指摘し、生け贄にしてしまうのです。生け贄が差し出されれば、そこにみんなが群がります。もはや『本当にルールを破ったかどうか』はどうでもよく、大勢の側に立って処罰する快感にどっぷりと浸かってしまうのです

これ、脳の仕組み上、起きてしまうことがある現象だとは。おそろしすぎる。でも、既視感ある話ですよね。

社会排除の標的となる人に共通するのは、『一人だけいい思いをしていそうだ』『得していそうだ』『一人だけみんなと違う』『一人だけ異質だ』という条件を持つという点です。よく考えてみてほしいのですが、基準が任意に設定できるのなら、誰であってもこの条件に合致します。ようするに、誰もがいじめの標的になり得るということです。

こわい。でも、この本質を見失っている現象、あるある。

なんか正しそうなことを言っている人が怖く見える理由

ときどき、正しそうなことを言っているけど、なんか怖いと感じる人を見かけます。私はこの感情に説明がつかずモヤモヤしていました。

集団において『不謹慎なヒト』を攻撃するのは、その必要が高いためです。『不謹慎は誰なのか』を排除しなければ、集団全体が『不謹慎』つまり「ルールを逸脱した状態」に変容し、ひいては集団そのものが崩壊してしまう恐れが出てくる。その前に、崩壊の引き金になりかねない『不謹慎なヒト』をつぶしておく必要があるのです。これは(略)すべての集団に起こり得る現象です。結論を言えば、誰かを叩くというのは、本質的にはその集団を守ろうとする行為なのです。向社会性が高まった末の帰結と言えるかもしれません。

「向社会性」とは、反社会性の反対語で、「自分よりも相手を優先させようとする心情」や、「相手に対する共感性」「誰かの役に立ちたいと思う気持ち」を指す心理学用語のようです。

そしてこの「向社会性」は、この世に生きる者として必要な要素ですが、行き過ぎがもたらす弊害があるようです。

「向社会性が高まると、合理的な判断は次第にしにくくなっていきます」「いわゆる『人間性』を重視すると、それをないがしろにしたり、切り捨てたりするような反社会的に見える選択をとりづらくなっていくのでしょう」「ちょっと第三者的に観察することができれば、それはおかしい、とわかることでも、無意識に『自分の所属する集団のやっていることのほうが正しい』と思い込んでしまう。そして、自分が思い込むだけでなく、人にもそれを要求してしまうのです。

極端な話、ルール逸脱した人に対して、人権をないがしろにする罵声を浴びせてダメージを与えることは、客観的に見ればアウトの行為ですが、あるコミュニティの中(一つの社会)では正義として見え、許されない行為であることに気がつかない、といったことでしょうか。これはいろいろな例に当てはまる気がします。

向社会性が強い人たちにとって、愛と正義は最も重要なものです。しかし、それによって極めて不寛容な社会をつくり出してもいます。もっとも、誰しも自分が不寛容であるとは思っていませんし、ましてや自分が不寛容な社会を促進しているとも思っていません

「不寛容」とは、大辞泉によると「心がせまく、人の言動を受け入れないこと。他の罪や欠点などをきびしくとがめだてすること」です。この書籍の中で、私が最も印象に残ったのは、「相手の不正を許さないのは、強調性の高い人」というフレーズでした。私自身も、こういった面があるかもしれないとハッとしたのです。正しいことは必要な基準ですが、どこと照らし合わせて正しいのか、客観性を失い「不寛容」になっていないか、とときどき省みないと、ヤバい人間になっていくかもしれない…気をつけなければ。

ズルしている人に対してどうあるべきなのか

そもそもですが、何か事件が起きて「これはよくない」と考えることはおかしくないし、何も考えないのも逆に問題がありそうですが、事件に対して処罰を下すのは裁判官です。もっと下位の規律に対してはそれを設けた機関であり、例えば、ファンクラブのルールを逸脱する人に対して処罰を下すのは、ファンクラブです。思った処罰が下されてなければ、裁判であれば、選挙のときに同時に行われる国民審査で投票すれば良いのですが、ファンクラブはそういうの無いから難しいですね…。話はそれましたが、「考える(思う)こと」と「行動に出ること」に対して整理がついてないと、自らの手で不寛容な「嫌な社会」を促進してしまうかもしれません。不寛容なコミュニティの行き着く先…それは“破たん”や“崩壊”かもしれません。

平和な生活を守るための決めごとであったのに、それが互いへの攻撃心を掻き立てる源泉として機能してしまう。そういうことが起きてしまわないように、留意する必要があるだろうと思います。

ジャニーさんが作ってくれた幸せと平和がずっと続いてほしい。ここまで現実に問題を抱えた大きなコミュニティに対してとなると、綺麗事にしか聞こえないかもしれませんが、不寛容な考えに偏っていないか「気をつける」という、案外シンプルなことで上手くいくかもしれなくないですか。

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コメント2件

最近別の場所でも強すぎる向社会性が抱えるリスクについて触れました。少しずつこういう考え方が世間に広まればいいですね。

私の場合は職場でこの概念に当てはまる事例を思い浮かべることができます。派遣社員の方と、長く在籍している直接雇用の正・契約社員では、「会社の常識」が食い違う場面が散見されます。この違いを、どちらが良い・悪いの話にするのは非常に危険で、複数の会社を渡り歩いている派遣社員の"常識"と、1つの会社に長年勤務している正・契約社員の"常識"には乖離があって、それを各々が認識し、すり合わせる必要があると私は考えています。しかし現実には、お互いがお互いのことを愚痴っている不毛な関係性に留まってしまっています。お互いに自分の"常識"を正義だと信じているので対立する一方…。どちらも会社のために良かれと思っているのがまた悩ましい…。

ところでジャニーズ、私は好きです。ファンではなく一般人?の立ち位置ですが。たしかにアーティストやパフォーマーの方々が表現する善良な想いが、そのまま社会に広がる世界であって欲しいですよね。考えさせられるステキな文章でした。ありがとうございます。
小野様

コメント、ありがとうございます。とても嬉しいです。

このような見方があることを知っていると、生きるのがちょっと楽になる気がしています。それこそ、相手のことを「不寛容だ」と決めつけるのではなく、可能性に想像をめぐらせて温かく接してなるべく理解をしようとする姿勢があるといいですよね。愚痴は言われるほうもしんどいですし、言うほうもエネルギーを使いますし…。

ジャニーズの世界を好意的な目線で見ていただけていることに、いちファンとして嬉しく思いました。ありがとうございました!
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