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「ある閉ざされた雪の山荘で」感想・ネタバレ



「ある閉ざされた雪の山荘で」


まずは、重岡くん単独初主演おめでとう!

思ってた以上に「サスペンス・エンターテイメント」の沼は深かった……………………

合計7〜8回観に行かせていただいて、合間に舞台挨拶を挟んだり、舞台挨拶ライブビューイングを挟んだり、パンフを隅から隅まで読んだり、原作をもう1周したり…………何回観ても飽きない、また観に行きたい、そんな作品に出会えて本当に本当に幸せです。


せっかくなので、感想を、考察的なことも含め綴っていきます~!あくまでも私の解釈です!




⚠️ネタバレがっつりあります!








原作は公開日の2ヶ月ほど前に読みました。
ミステリーもサスペンスもあまり自分から選んだことはないけれど、そんな私でも知っている東野圭吾さんの原作。既に発表されていたキャストを頭の中で想像しながら読みました。その後に改めて見た予告、めちゃくちゃわくわくした………!!!



そして迎えた2024.1.12、公開初日。


1回目はどうしても原作を思い浮かべながら観てしまいましたが、ところどころ令和版にアレンジされてる新鮮さも感じつつ、大枠としてはしっかり原作通りに進んでいて、本当に興味深かった!

終盤、雅美の発声の仕方が変わった…?と思ったところで舞台シーンに切り替わり、ここからは映画オリジナル

え!何これ!と驚きつつ、綺麗な終わり方で素敵だな~と純粋に受け取って見終えました。



そして、3日間限定特典を開封。招待状の中身は、最後のオリジナルシーンに出てきた、舞台「ある閉ざされた雪の山荘で」のポスター写真でした。

キャストが8人揃ってる、そんな特典をもらえたことにまずは喜んだのですが、よく考えるとこれ「ネタバレを含むので、鑑賞後にご覧ください」と書いてあったな……………と。

もちろん作中に出てくるポスターなので、まあそれだけで一応“ネタバレ”にはなると思うのですが、しっくりこないというか、本当にそれだけが理由なのか????


色んな方のふせったーや口コミサイトを読み漁る中で、ハッと気付いたんです。


このポスター、雅美が車椅子に乗ってない……!

車椅子を日常的に使っている方がわざわざ写真撮影で椅子に座り直したりする???お体の負担を考えたらそのまま撮影できるようにセッティングしない???雅美、もしかして、怪我して…ない???????

もしかしてもしかして、最初から最後まで舞台だった…???私たちは劇中劇を見せられていたの…???

映画「ある閉ざされた雪の山荘で」を見ていたつもりが、実は舞台「ある閉ざされた雪の山荘で」招待状をもらって見てたってこと??????『全部が伏線、驚愕のラスト』って、そういうこと???????何だそれ面白過ぎない???????

ただ、まだ私の妄想かもしれない、と思ってました。
だってキャッチコピーで推されていたのは『二重、三重のトリック』だもん…………最初から舞台説が本当なら四重になってしまう。それは言われてない。でも待てよ、と。そもそも『二重、三重のトリック』って言っちゃってるのってどうなの???????ある種ネタバレだよね??????実はそれ以上あって、大どんでん返し~!ってこと???????全部、計算されてたってこと??????





気になり過ぎて、2回目を観に行ったのは2日後。この時点では、実話をのちに舞台化、の線も消えてなかったんですよね。

真相を暴けた者(久我)が“探偵役”として主演、という設定を考えると、“のちに舞台化”したときにちゃんとその設定に沿っているよな~とも思うし。

舞台袖での会話、本多→久我への「ありがとう。言ってなかったから。」とか、雅美→温子への「ゆっくりでいい?」とか、これって単純に受け取ると、「(雅美が役者の世界に戻れる脚本を書いてくれて)ありがとう。言ってなかったから。」だし、「(役者を一緒にやっていこうって言ってくれたの)ゆっくりでいい?」だし。

それを踏まえて観た2回目。

どこからどこまでFICTION?
これ。
1回目は実話からの舞台化としてしか見ていませんでしたが、最初から最後まで舞台だった説、めちゃくちゃある。全然ある。だからこそ、混乱。



3回目は実話なのかフィクションなのかをはっきりさせるために、どこに着目して観るか考えてから行きました。

何を確認すれば判断できるのか考えたときに、一番確実なものがありました。

人の血です。

2日目の夜に由梨江の撲殺に使われた花瓶、そこに付いている血。実際は本多の血だと明かされていますが、もし“実話をのちに舞台化”だとしたら、その血の状態を長期間保っておくのは難しいですよね。

しかし、舞台シーンで舞台袖に並んでいる小道具の中にある花瓶、血痕の色も形も全く同じ状態だったんです。ここで鳥肌。“劇中劇”説が濃厚だと確信しました。全てフィクション。本多の血ではなく、血糊。


って、“確信しました”と書きましたが、もちろんこれは白黒つけたかった私が自分のために結論づけたものです。考察ができる余白が残されたラストになっていました。


でも、全てフィクションなのが一番理想的でもあるんですよね。あんな事故、あんな怪我、フィクションであってほしい。もし実話だったら、3人が生きてることを知った雅美、「また騙された」って絶望しない?

現実では雅美がオーディションを制していて、雅美の主演舞台だったと思いたい。久我は何か別のきっかけで認められて、脚本を担当したんだと思いたい。田所は由梨江にあんなキモいことする人間じゃないと思いたい。←



4回目以降はもうフィクションだと思って、舞台だと思って、これを板の上で演じるには…を想像しながら見ました。どんどん楽しみが出てくる。

ハンガー無いとか、上着を掛け替えるとか、ホコリを除去~するとか、その辺りの伏線になっていないようなシーンも実は何かを意味してるのか気になっています。もしかして、舞台裏の部分なのかな?とか、答えがハッキリしていないからこそ色々想像できる。白黒つけたいはずなのに、矛盾。楽しい。



「役者は嘘をつく仕事」
この台詞を頭に思い浮かべると、どこまでも演技な気がしてきて面白い。そもそもキャストの皆さん自身も他人を演じてるんだもんな~とか、これまで考えもしなかった視点で映画を観てる新鮮さ。



5~6回見たところで、原作2回目読破。文字で全て伝える小説、情景や心の機微が本当に繊細かつ丁寧に表現してあって、すごく面白かった。映画を観る前とはまた全然違う印象。

これを2時間の映像にするとなると、どうしてもカットされる部分が多くて、連続ドラマで観たい~~~~!!!!!!!と強く思った。もちろんあのキャストで。それくらい、もっと推理してる時間があるし、人間性もふか~いところまで出てる。

映画は朝と夜がメインだけど昼間は何しているのかとか、雅美が何でオーディションに落ちたのかとか、久我が盗聴器に気づくまでの過程とか、本多の雅美への恋心とか、ここ映画だとちょっと説明不足かなってところも詳しく書いてあって、映画﹢小説の満たされ度がエグい。

ラストシーンは映画オリジナルと言ったけれど、久我が泣くところや、そこで貴子がハンカチを差し出すとこが入れ込まれてる。そう、2時間で全部を映像化するのは難しいけど、ところどころ原作に似たシーンが散りばめられてる。

原作は遊戯室でのシーンで終わるけど、映画版ではその先を描いて、さらにそこの解釈を観客に委ねるスタイルにしたの、本当に本当にあっぱれ。

原作を読んだ人にもある意味サプライズというか、実写化クオリティを観に来た人が演者の“嘘”に騙されて2回目見たくなる、そう思わせるエネルギーが感じられました。

こんなに全力で一つの映画を浴びたのは間違いなく初めてでした。それでもまだ観たいと思っています。

10年来の推しの初主演映画、その理由だけで何度も観に行っていた訳ではなく、しっかり作品に虜にさせられて、大満足!素敵な思い出です。

閉ざ雪、最高!

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