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進めッ…止まるんじゃねぇぞ…。

 時はきた。2021年京都大学熊野寮祭一日目の夜。はやる気持ちを抑え、私は40kmの旅に出る。

 こんにちは、こんばんは。古鞘こと酔鯨ほえ~るです。熊野寮にいがちなので寮生と思われがちなのですが、寮生でもないただの大学生です。拙い文章&誤字脱字ありますがどうか生暖かい目で。


そもそも熊野寮祭って????

   そもそも熊野寮祭とは、11月後半から9日間行われる熊野寮の祭りである。自由度が高く、普段できないようなことができる夢のような祭典である。
大階段グリコ。
京都駅の大階段で近くにいた一般人とグリコをする。

    22時、熊野寮ロビーには参加者が集結し心なしか気温が高くなっているようだ。歩きやすいように軽装で参加する者、長丁場になると慎重になり登山をするような恰好で挑む者、トウカイテイオーな者それぞれであった。

My new gear...


   自身は運動靴&ズボン&もこもこスウェットで参戦。長年使い慣れている靴を使用しましょう(My new gearとは)。受付を済ませ、パン(ラ・ムー)を受け取りドライバーとマッチングするまで待つ。

 1時間20分の遅れで出発。出発からどこへ向かっているか把握しても面白くないため、スウェットを頭から被り、ちょっと悪いことをした気分になる。私と40kmを歩いてくれるのは他大の友人2人とドライバー(友人)含め4人が乗った車は感覚的に下ったり登ったりを繰り返す。たまにガタガタ喚くマニュアル車。

…お分かりであろうか。私たちは山に向かっているのだ。

 出発から約20分。ここでドライバーが衝撃の一言を打ち落とす。

「ここ最後のコンビニやからトイレ行くわ」
「「「ファッ?!?!?!?!?!?!?!?」」」
 まだ出発から20分ぞ。何言うとるだかこの人は。しかし喚く暇も与えず車は再度走り出す。

ここでテンションを上げるために車中で聴いた曲をピックアップしておく。来年の参考になると嬉しい。
・残酷な天使のテーゼ
・魂のルフラン
・SOUL’d OUT全般
・よっしゃあ漢唄
・ココロオドル
・タクラマカン砂漠
・アゲハ蝶


 外からは不穏な音が聞こえる。…雨。ただでさえ深夜に近づき気温が下がりつつあるのに、雨が降り始めると体温がさらに下がる…私たちを待ち受けるものは…。

 出発から約1時間、行き止まりだから、と車から降ろされる。周辺には茅葺屋根の家が一軒のみ。雨脚は更に強くなる。バッドコンディションの中エクストリーム帰寮はスタートした。

こ、ここは…?

 しばらく写真のような道が続く。雨は止み、京都市内では見られないような満点の星空が現れた。かの夏目漱石が作中で「星の破片(かけ)」という表現をすることが分かるくらいに幻想的で、今自分がどんな状況に置かれているのか忘れるほどしばらく星を堪能していた。

 多分滋賀だと思ったらしい。

 しばらく下った先に建設会社の看板を発見。滋賀であることが確定する。ただどこかというのはまだ不明。

 そして勝利。ただ滋賀とは言えど、葛川地区とは言えど寮に帰らないと話にならず、3人で今までの経験をフル活用し短時間且つ体力を使わない勝利ルートを作り出す。
(1)川は北から南に流れている(鴨川仮説
   私たちの背後から川は流れている
   =私たちは南側を向いている

(2)オリオン座が私たちの左上にある(オリオン座貸仮説
   この時間のオリオン座はいつも鴨川より東側にある
   =私たちは南側を向いている

(3)月が私たちの左上にある(月仮説
   この時間の月はいつも鴨川の東川にある
   =私たちは南側を向いている

 つまり私たちは南側を向いていることが分かる。

 ということで一行は西と南にひたすら進むことに決めた。鴨川がなかったら、私たちはどうなっていたのだろうか。鴨川ありがとう。


 気温は3℃になり帰れるかよりも、「生きて」帰れるかという懸念にシフトチェンジしていた。その恐怖をかき消すかのように、3人は合唱曲を歌いだす。

  電灯のない山道が延々と続きトンネルが見えた時はなぜか安心していた。しかし、トンネルは私たちを恐怖に引き入れる。時々来る車のエンジン音がトンネルの中のため音が籠り、何とも言えぬ轟音が近づいてくるのだ。そもそも自身が大きい音が苦手で、今回も例外にもならずかなり恐怖だった。また前後から吹く風も範囲が狭いため普段より強く、休む場所にすらならなかった。

道中アヒルチャンに励まされる
鯖街道

 田舎、タイムスリップしがち

 これよりもっと暗い。時々鹿の鳴き声が聞こえる。

 道が開けてきたが、走り屋が好きな道なのか少し速度の上げた車がちらほら。人工物への恐怖にも怯えながら山道を下ってゆく。下り坂は楽だと言う人もいるかもしれない。しかし膝への負担が大きく、中学時代にバレーボールですり減らした残り少ない膝の軟骨が悲鳴を上げている。

 「途中」。私の記憶が確実になったきっかけであった。

 「私のすべてが始まった場所」、おおげさな言葉のように聞こえるが今年の2月、あるきっかけで高島市旅行に拉致られ誘ってもらい、熊野寮に遊びに行くようになり、今の私があるといってもいい。そのことについては別の記事でnoteで綴ろうと思う。
 つまりここは私の始まりの土地であり、人生が大きく変わった場所である。なんて感動も自分しか実感できない悲しさに苛まれつつ、京都の標識に従い足を進めるのであった。

   この時点で3時30分、出発から約3時間半が経過していた。

 上の工場にゾクゾクする変人とは俺のことよ

 トンネルを抜けて約10分、とうとう滋賀を脱出。(Twitter疲れすぎて誤字ってます)ただこの歩道を歩くのが大変だった。絶対誰も使ってないだろう枝が方々から生えまくっている道で、最初本当にここが通れるのか…?と行くのを躊躇ったくらいだ。髪や服に枝が刺さり痛いのを耐え、ボロボロの状態で歩く。ここが一番地獄だったかもしれない。

「俺は止まんねぇからよ、お前らが止まんねぇかぎり、その先に"寮"はあるぞ!だからよ…


止まるんじゃねぇぞ…!!!!」         
                                    -オルガ・イツカ 熊野寮祭ver.
「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」 より
The 獣道


   ずっと人気のない国道沿いを歩くと、「私は何で今ここにいるのだろう」「何で歩いてるんだろう」「てか私が生きてる意味とは?!」と生きる意味すら問うてしまうくらいに精神が疲弊しだした。先が見えない、何が待ち受けているのか分からない、人生のよう…。

   やっと初めてのコンビニを発見。お腹が空きすぎていたので好物のデニッシュパンと焼き鳥の皮たれ(朝に食べるものではない)を頬張る。し、染みる…

第一コンビニ。

   寛げるイス&喫煙所を見つける。友人大喜び。ただ座れるイスがあることだけで歓喜したことに、境地に立たされていたんだなと実感する。

   午前6時、日が昇り出した頃民家がある道へ出る。流石に睡魔が襲ってくる。白んで明るくなってきた歩道、散歩をする保育園の子供のようにウトウトしながら友人の後を必死についていく。友人も限界だったようで、3人で念仏を唱え出す。

   鞍馬寺付近になると紅葉シーズンだからか山が一面オレンジに染まり、ほぼ眠りながらも紅葉観光ができた。

おっ?
烏丸まであと13km…!

   標識があるだけでも安心。「何でこの人たちはこんな道を歩いてるんだろう…?」と車で通る人たちに怪訝な表情をされながらも歩き続ける。

   そして午前8時、見たことのある景色が現れ始める。条坊制の街、ホーム…!!!そして空には虹が…!!!祝福するかのように空一面にかかっていた。一晩中歩いた疲労がピークをこえ、覚醒状態になった私は虹が一望できる所まで走り、一通り大騒ぎした後皆の元へとぼとぼ戻った。(意味がわからん)

   元彼(元第一志望)とツーショを撮る

   これは京大前。

   白川通を南下すること1時間、やっと…!!!!

                            到着…!!!

   
   最後に

   10ヶ月前から楽しみにしていた「エクストリーム帰寮」、雨や風、轟音や寒さや腹痛や空腹に耐えながら歩き続けた約9時間。「何か得られたものはあるか?」と聞かれても「何もねぇ、ただただ辛い」と答えるだろう。ただ1つ、「来年もしたい、なんなら趣味でエクストリームしようかしら」と思う程なのだから、知らず知らずのうちに何か得られたのかもしれない。

   来年は2倍の80km歩いてみようかしら、なんて。

      得たものあったわ。

   

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