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本当のお金持ちについて

一部の層に富が集まって、庶民のお財布事情は寒波と共に冷え込んでいる昨今、円安と物価高、増税に伴い、寒波は更に大きくなる予報です。

この荒天の中でも、本当のお金持ちは笑顔で微笑んでいます。
彼らは聖書の預言を通して、これからの世界で何が起きるのかを理解し、イエス様に身を委ねています。

本当のお金持ちとはクリスチャンのことです。
クリスチャン以上に恵まれている人は、この世にいないのです。

私はイエス様がおられなければ間違いなく生きる意味を見失うので、聖書を知らないで生きている人達は、健気に生きてて凄いと思います。
彼らはどうしてクリスチャンにならないのかなと不思議でなりません。

イエス様がいらっしゃらない世界では、花は咲かずに、果実は実ることがなく、子供を授かることもできませんし、善の動機も生まれずに人は生きることができません。
良い動機、清い食物、あらゆる命、吸う空気であっても、すべてはイエス様の恵みであるからです。

したがって、神様がおられない世界で命は存在することができないのですが、もしも進化論が正しいのであればクリスチャンの私はどうするのだろうかなと、先日思案にふけりました。

私の唯一の誇りとしていたものは、イエス様が私を何よりも強い愛で愛してくださることでした。
私の唯一の希望は、神様の国に対する望みでした。

私は自分に誇りと希望の光がなくなり、生きる意味を無くして自暴自棄な無敵の人に1日でなると思います。

イエス様に従っていた頃は、周りの兄弟姉妹に止められて行くことが出来なかったメイドカフェにとりあえず行って、これから何をしようかなーと、途方に暮れることでしょう。

私はイエス様がおられなければ何もできなくて、何をしたら良いのかもわからないのです。

新約聖書のコリント人への手紙には、
もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。
とあり、私はそのとおり短絡的に生きます。

道を歩けば通りがかる目障りだった神社やお寺、地蔵をピーーーーーかもしれませんし、理系学生の悪知恵を使って、ピーーーーー女湯をピーーーーーしたりする自信もあります。

私でしたら好き勝手に生きますが、善も悪もない進化論の世界観で真面目に生きている日本人は本当に凄いと思います。

そして彼らの多くは、お金があれば何かが変わるのではないかと拝金主義者ばかりですよね。

テレビでは、お金がなくて困窮している人、お金が有り余ってウハウハに暮らしている人が対比のように出てきて、まるでお金に幸せと命があるようです。

私はキリスト教会という特異な環境で、普通の学生であれば出会う機会がないような、富裕層を多く相手にしている人や実際に裕福な人に出会ってきましたが、

「お金があるからといって幸せになれるわけじゃないんだな。」

と、聖書の言っている通りでした。

この富裕層というのは、そこの1000万円持って行っていいよみたいな、めちゃくちゃ稼いでいる人達であって、彼らは一般人よりも明らかに病んでいます。
日本人の2人に1人は病んでいて、10人に1人や2人は本当に病んでいることでしょうが、富裕層は明らかに病んでいる割合が高いというか、むしろ普通の人の方がまだ楽しく暮らしている印象を持ちました。

そして富裕層は人にギブする方が多く、見境なく与えているので困ったときに人が助けてくれるのかもしれません。

後は、お金持ちの方々に行儀が悪い人を見つけられないのはなぜでしょうか。

旅館などでも料金設定を少し上げるだけで騒ぐお客さんはいなくなります。
安い賃貸では住居者同士のトラブルが度々起きてしまいますが、高級賃貸に近づくにつれ起きにくくなります。

これは私生活でも感じることがあって、少し高い菜食屋さんに行ったときのことでした。
私の大学の近くには定食屋さんが沢山あるのですが、大体は店内が汚くて、料理が粗雑でお客さんのほとんどが学生という、ありきたりな感じです。

その中で1店舗、価格設定が高い菜食屋さんは、料理に花が飾られており、味も上品でした。
そして綺麗な店内で、近隣の定食屋さんでは出てこないような食器のナイフとフォークも出てきます。

値段設定が高くても便利で満足感があったので、何度かお邪魔したのですが、なんというか…..周りのお客さんのステージが他と明らかに違うことに気が付きました。

店内にいる全員の身なりに清潔感があったり、この人お金持っているなと思わせる話の内容が聞こえてきたりしました。
おかしな事を言う人や店員へクレームも入れる人の気配が一切感じられず、学生に見える人も中々いません。

もちろん私はクリスチャンであるのでイエス様に習い、分け隔ても見下すこともしませんが、事実貧しい方々がいない環境では、行儀が良い人しかいないのは不思議ですね。


お金があると色々なことができるようになりますが、幸せは買うことができません。
お金を儲けても幸せでなければ、お金に意味はあるのでしょうか。


そして、私の教会員はお金を持ってない人ばかりですが、一般の人よりも遥かに幸せに生きてますよ。

楽しく生きているというよりも幸せに生きていて、私もこの幸せを知ってしまったのでノンクリスチャンには戻れません。

聖書の記者にソロモンという歴代最高の資産と知恵を持った方がいますが、お金を使って豪遊しても空虚しか得られず、この世は空の空、空の空、いっさいは空である、という結論を出しました。
彼は旧約聖書の伝道の書に、世俗の虚しさを綴っています。

聖書の預言を見ても、お金に価値がなくなる時代は間近に迫っていて、今からお金持ちになろうと努力するのは本当にしょうもないことだと個人的に思います。

いつになるかは知りませんが、お金は翼をつけて飛んで行ってしまうでしょう。


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