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【第30回】何もしなかった今日にさよならを。

エッセイを書き始めて1ヶ月経った。飽きっぽい、そして文章を書いたり発信するのが苦手な僕がほぼ毎日投稿できてて自分でも驚いている。純粋に書いてて楽しい。

あんまり制約が強いと続かないので週に1回は投稿しようという意気込みで今後もがんばっていこうと思う。

これは勝手に自分で自分に課しているルールなのだけれども10回や20回などの10の倍数の回に関してはこのエッセイに関することを書くことにしている。

なので今回はエッセイを1ヶ月書いた感想を記そうと思う。「1ヶ月エッセイを書き続けて感じたメリット・デメリット」的な記事はもう少し筆を進めてから書くつもりだ。のんびり行こう。

ちなみに今日もお題企画に参加している。お題は「 #noteでよかったこと 」だ。

さて、エッセイを書き始めて一番良かったことがある。

それは日々の罪悪感が減ったことだと個人的に感じているのだ。

この前のエッセイでも書いたかもしれないのだけれども僕は何もしなかった日にとても罪悪感を感じてしまう。ああ、貴重な時間を無駄に過ごしてしまった…と。

就活も終えてバイトもしていない今、僕は週休4日で暮らしている。大学4回生にもなって文系なのに単位を取り終わっていない現状はご愛嬌ということで。許してちょ。

そうなると就活が終わった直後は週に4回、残りの大学生活の貴重な時間を無駄に過ごしているのではないか?という罪悪感にかられてしまっていたわけで。

これ、非常に精神上よくない。

確かに「休日は“休む日”なんだから休むことに罪悪感を感じる必要はないんだよ」と世間一般では言われている。けれどもそれは平日毎日ちゃんと働いている社会人に対してかけられる言葉であって、バイトもしていないような怠惰な学生が許されるのだろうかという思いがあった。

今、僕は国民の三大義務のほとんど満たしていない。義務教育を受けさせなければいけない子供がいるわけでもない、まあ“いたら”義務教育を受けさせねければいけないというわけなのでこれはいい。ただまだ働いてもない、納税も国民年金は学生ということで延期させてもらっている。そうなると少し罪悪感を感じてしまうフシがあるのだ。

世の中には僕と同じ年齢で働いている人はごまんといる。昔の同級生だってそうだ。学費を自分で稼いでいる人だっている。物理的にも親元を離れていているけれども、何かと理由をつけて経済的に親のスネを齧っていているのは本当に申し訳ないと思う。弟だっているのに。

とはいっても学生の本分は勉強だ。

だからこの空いた時間でテストに向けてちゃんと勉強していればいいのだけれども、就活を終えたあとでは試験本番まで1ヶ月以上先だったのでやる気が起きなかった。流石に今は卒業するためにも勉強はしているのだけれどもギリギリにならないと取り掛かれないのは僕の悪い性分だと思う。なんとも情けない。

さすがに「バイトしてないのはまずい」と思い、実は今日単発バイト行ってきた。シフトという存在に1ヶ月以上先の予定を縛られたくないという思いはあるので今後もこれでお金を稼ごうと思う。毎日を衝動的に生きているのでその日にしたいことを僕はしたいと思う。

話を戻そう。

そんな毎日、罪悪感にかられていた僕。けれども、エッセイを書き始めたおかげで“何もしていない日”というのが無くなった。たとえYouTubeを見て惰眠を貪っていた1日だとしても「今日、僕はエッセイを書き世界に発信した」という一見するとクリエイティブな事実な僕を救ってくれるのだ。

毎回1000文字〜3000文字くらいの分量のエッセイを執筆している。これは大学のレポート1枚分くらいに相当するので“なにかタスクを設定し俺はそれをこなしてやったぞ”という達成感を毎日のように味わえるわけで。

他にもよかったこととしては日々の生活が楽しくなったということもある。
エッセイとは“何気ない日常をおもしろおかしく”切り取る作業であると思っている。普段生きている、単調であっという間に流れていくこの世界にどんな面白さを見出し文章としてしたためるかというワクワクが生まれたのだ。

「あ、この事象をこういった捉え方をしたら面白いんじゃないか」と考えるのは非常に楽しい。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)が上がった気さえする。  

何もない、つまらない日々がエッセイというフィルターを通して一変するのだ。今日したバイトだってそうだと思っている。バイトしているとだいたい「こんなことして何になるんだろうか。一分一秒が長い。早く家に帰りたい。」という感情に支配されるのだけれども、エッセイさえあれば何でもネタに昇華してしまえる。

ただ僕はエッセイを書くことを無理に他の人に勧めるつもりはない。一度書き始めると執筆を終えるのに1時間以上かかったりしてしまう。それに面白さを見いだせなくてもしょうがない部分があると思う。

けれどもエッセイを書き始めたことで、僕は抱えていた日々の罪悪感に別れを告げられる歩みを始められたのは紛れもない事実なのだ。

「バイバイ、罪悪感」

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