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【ゲーム】ギャラガ(FC1985)とその時代

まずは、ゲーミング画面を収録したのでその勇姿を。

当方調べによると、1985年FCソフトとして発売。
TVCMで面白そうと購入決意し玩具店に行くもあえなく売り切れ…
我慢のきかない幼少の私は類似品「エクセリオン(ジャレコ)」
を購入するという暴挙に出たのでありました。
ジャレコといえばクソゲーとの誉れ高き「燃えプロ」が思い出されます。
尚、同社は現在では名実ともに消滅してしまっているようです…

ナムコ(当時)は「ファミリー」シリーズに代表される、
親しみやすいグラフィックが良いですね。
(野球ゲームは断然ファミスタ派です。パワプロ等なじめず…)

命名由来は薄々感じていたが、
「ギャラクシー」+「蛾」でギャラガとのこと。
とりあずボスみたいなのに生け捕り→解放からの
ツインビー(意味が変わる…コナミ…)じゃなく、
デュアルファイターをやってみたかった。
敵からの攻撃をよけきれずすぐシングルになったけどね…

さて話は変わって、
先日アントニオ猪木がお亡くなりになりました。
いくら馬場さん派の私と言えども、悲しいです。
晩年は痛々しいまでのお姿をさらして戦う姿を
見せ続けた生き様には頭が下がります。
(穿ってみると取り巻きの金目当てか、永久電池事業のためか?)
この好対照な二人なくして日本のプロレスに熱は
これほど発せられなかったと思います。感謝。合掌。

ちなみに、1985年のソントキノ猪木は、
・長州はジャパンプロレスとして全日参戦中
・UWF復帰、前田「猪木なら何をやっても許されるのか?」
・新日対UWFの5対5イリミネーション
・前田対アンドレのセメント
・猪木がアンドレから史上初のギブアップ勝ち
・前田対ドン・ナカヤ・ニールセン
(前田中心イヤーですね)
といった時代にありました。
テレビで見てたな~
土曜7時の全日派ではありましたが。

もっとちなみに、1985年の競馬界は、
シンボリルドルフ絶頂期。勇往邁進!
春天、ジャパンカップ、有馬を制したようです。

以上

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