見出し画像

平成元年に手に入れたものを平成最後に手放したー看護師の仕事。


#平成最後の夏  #看護職離職 #看護界隈 #日々雑文

平成最後の夏に、看護師の仕事を辞める決心をしました。
よほどお金に困らない限り、看護師の仕事をすることはありません。
偶然なのかキリがよく、平成元年に目指した仕事を平成最後の夏に手放しました。

昭和天皇が崩御して、元号が平成に変わった年に看護学校に入学しました。
忌み嫌われる准看護師から正看護師になるために、です。
(医師会看護学校は最低レベルなので、正看護師になっても
「医師会卒は開業医あがり」「なんにも考えずに働いてる」と
散々言われました。看護師が優しいはウソです)
地元の田舎ならではの息苦しさと職場のパワハラに我慢できずに上京、
学閥がほとんどない・休みの取りやすい病院に就職しました。

ですが、結果を出さない・人数はいるけど発言力はない・足の引っ張り合いなど、看護師独特の文化に嫌気がさしてボランティアに逃げました。
ボランティアで感じる間違った充実感に、免疫のないワタクシは
簡単にとりつかれました。
「うまく利用されている」とは、全く考えてなかったワタクシは、
本当に愚かでした。
今の東京オリンピックで、ボランティアという動員と同じことでしたから。
「やりがい」という言葉で搾取されていたのに気づかないほど、
チョロかったのです。

ただ動きまわっていれば「仕事している」「働いている」と評価する看護の職場。それがたまらなくイヤでした。
業務で疑問が出ても、問い合わせようとすると
「そこまでしなくていいんじゃない?」と、疑問に思う自分は意識高いと
酔いしれる人たち。
「専門職としての自立」と言いながら、いざとなったら医師に責任転嫁をする
看護師。
お互いを労わらないから退職者が多すぎて人材不足になることを、
見て見ぬ振りしている日本看護協会。

看護の仕事に疲れては退職・転職を繰り返し、ある職場でパワハラで身体を壊して休職したまま退職しました。
1年の休養後、知人の紹介で就職した職場が時代を逆行する職場。
労基法もパワハラもリスクマネジメントも全く考えてない上司と
職員しかいない職場で、これ以上ここにいると自分がまた潰れる、と
無理やり退職したのが1年前、8月の終わりでした。

ゆっくり休めば、パートタイムで働けるかな?と思ってました。
ですが本当に気持ちが動かないのです、看護師の仕事に復帰することに。
探す求人は製造・調理場・在庫管理など、ほとんど人と接することのない仕事。
今度こそ本当にダメです、看護の仕事。

ただ未練がましいのが、看護師免許を手元に持っていること。
本当に辞めるのであれば、厚労省で登録番号の削除をお願いすれば、
キレイさっぱり看護の仕事から離れられます。
それをしないのは、「この免許とるのにどんだけ苦労したか」という
貧乏くさい気持ちもあります。
ただ、看護に関わる仕事が思い出になっているのは、平成最後の夏で
「過去の仕事」になったからでしょう。


ババアの世迷言に付き合ってくれて感謝感激雨霰。 スキしてくれたら、中の人がめっちゃ喜びます。